鼠を交番に持って行く話2007/02/01 07:05

 春風亭正朝の「藪入り」。 前にも書いたが出囃子の「長崎ぶらぶら節」は、 歌が入って、風情がある。 一番多いのが「親バカ」、わたくし事だが、子供が 三人、一番下が大学を出て、子育てを卒業でき、嬉しい。 受験といえば、夜 も静かにして、稽古も出来ない(ニヤッ)。 こんなに金がかかるとは、自分で はわからなかった。 自分が学生の時は、何とも思わなかった。 親はただの サラリーマンで、さぞや大変だったろうというのが、自分でやってわかった。 

今はみんな大学へ行くけれど、ちょいと前までは、上の学校へ行かなかった。  昭和の初期までは「学生さん」と「さん」づけで、そこには尊敬、羨望、ひが みが入っていた。 子供は、今の小学5,6年生で、奉公に出された。 世の中 みんなビンボーで、住み込みをすれば、助かるのだけれど、子供は大変だ。 君 (ご主人)に忠、親に孝という教育を受けていた。 これ即ち忠孝一貫教育。

 その齢で何をするかといえば、掃除、台所の片付け、荷造り、お使い、ラン プのホヤ磨き、鼠を取る。 丁稚の内は無給で、たまにお駄賃を貰う程度だか ら、鼠を取って交番へ持って行くと二銭くれるのは、いい小遣いになった。 ペ ストが流行ると、それが四銭になる。 ペストは「ばいきん(倍金)」だから。  ここらへんが古典落語の限界だと、正朝は言った(ニヤッ)。 交番ではお金の ほかに、「チュウせん券」という紙切れをくれた。 年に一度、抽選をして、一 等が十五円、二等が十円、三等が五円もらえる。 奉公には、休みがない。 年 に二度、お盆とお正月に「薮入り」という各一日の休みがあるが、里心がつく から、三年勤めて、ようやく、その「やどり」に出す。 (『広辞苑』だとここ で、「やどり(宿下)」→「やどおり(宿下り)」→「やどさがり(宿下がり)」 とたらい回しにされる) 奉公に出した亀が、三年ぶりに帰って来ることにな ったから、親の熊は大騒ぎだ。 と、ここまでが、正朝の「藪入り」の、長い 前振りである。

正朝の「藪入り」に喝采2007/02/02 07:07

 三年ぶりに息子が帰って来るってんで、父親の熊さんは眠れない。 おかみ さんに言う、あったかいおまんまを用意しろ、あいつが好きな納豆、腰の曲っ た婆さんの方じゃなきゃあ駄目だ。 今、何時だ。 12時。 焼き海苔、生卵、 おみおつけ(『広辞苑』によると「御御御付」と書く)、豆腐と油揚げ、さしみ、 魚金に言って中トロ、奴はうなぎも好きだな、中串を二本ばかり、俺もお相伴 しよう、てんぷらもいい、掻揚げを買っといで、洋食も好きだ、ビフテキにカ ツレツ、小豆を煮て、餅をいれよう、安倍川も好きだ。 甘納豆、南京豆に、 はじけ豆。 食傷しちまうよ、とおかみさん。 今、何時だ。 2時半。 奴 が帰って来たら、湯へ行かせてやろう、それからお寺参りだ、観音様と仲見世 も行こう、上野の鈴木さん、新宿の北村さん(席亭の名だろう)にも挨拶に行 こう、品川の松本さん(誰?)、そうだ川崎大師にも行こう、それから横浜、海 が見せてぇからな、鎌倉から江ノ島、豊川稲荷からお伊勢参り、京大阪を見て、 博多まで行こう。 何時だ。 3時回った。 まだ夜が明けないか、昨日は今 頃夜が明けたのに…。 もう御通夜にしよう。 5時になると、起きよう、ホ ウキ出せ、と普段はしたこともない掃除を始める。 近所の人は、熊さんが掃 除している、地震でも来るんじゃないか、と言う。

  「めっきりお寒くなりました。お父さん、お母さん、お変りございませんか」 と、すっかり大人びた挨拶をして、亀が帰って来る。 ここから、熊さんが風 邪を引いて、肺炎になり、家に帰れない亀が、手紙を書いたというあたりのや りとりが、泣かせるのだ。 正朝、とてもいい。 湯銭を出して、湯にやった 息子のがま口を、母親が見ると、折った5円札が3枚入っている。 最初の「や どり」にしては、多過ぎやしないかい。 熊さんも、そういえば鋭い目をして いる、と疑う。 湯から帰った亀を問いただして、ひと悶着、亀が泣く。 こ こで昨日の長い前振りが生きて、目を見ろ、澄んだきれいな目をしている、「こ れもみんなチュウ(忠)のおかげ」となる。 拍手、拍手。

圓太郎の「代り目」2007/02/03 07:07

 橘家圓太郎の「代り目」。 2004年6月30日の第432回落語研究会でも「た がや」で、さん喬の「唐茄子屋政談」と組んだことがあって、私は「圓太郎の “明”と、さん喬の“暗”」と、書いている。(<小人閑居日記 2004.7.1.>)  この日はいよいよ、さん喬がトリで(上)(中)(下)と三回にわけた合計2時 間の長講「ちきり伊勢屋」のクライマックスをやる。 圓太郎は、その話から 入った。 フルコースの料理で、冷たくて甘くないデザートのようなものが出 てきて、これで終わりかなと思っていると、メインディッシュになる。 口直 しだそうだ。 メインディッシュの前には、口直しが出ることになっている。  ずいぶんあちこちのホテルで、フルコースの料理を食べたが、その口直しのお いしかったためしがない、と。

 「代り目」は、酔っ払って帰ってきた旦那が、うちでも飲みたいと、おかみ さんに掛け合う例の噺だ。 何か、つまむものがあるだろう、人が住んでいて 何かあるから、油虫でも出てくるんだ。 「食べちゃった」はいけない、「いた だきました」と言えという、あれである。 今朝の納豆が、36粒半残っていた、 あれは、どうした。 圓太郎らしく、フジテレビの前に捨てて来た、とやって、 受けていた。 おでんを買いに行くというおかみさんとの、「がん」とか「ぺん」 とかいう部分は省略して、鍋焼きうどん屋を呼び込んで、お燗をつけさせ、海 苔を炙らせ、当りめ(するめの忌詞)を焼かせるところをたっぷりやった。 こ れが可笑しい。 当りめは、足のぽちぽちのこげこげになったのが美味しい、 さすが食いもん商売だ、さぞやほうぼうにいいお得意さんがいるんだろう、だ ったら、そこへお行きなさい。 うどんは嫌いだ。 うどん食うくらいなら、 メメズ食った方がいい。 怒って出て行ったうどん屋を、亭主が親切なうどん 屋さんだったと言うのを聞いて、帰ってきたおかみさんが、私が食べるよ、と 呼びに行く。 あそこはいけねえ、銚子の「代り目」でござんしょう、という 落ちが題名になっている。 熱演の圓太郎、足がしびれて、抜き足差し足でひ っこんだのも、ご愛嬌。

さん喬の「ちきり伊勢屋」(下)の(上)2007/02/04 07:02

 いよいよ、さん喬の「ちきり伊勢屋」のクライマックス、(下)である。 ち きり伊勢屋の伝次郎が占い師の白井左近に死ぬといわれた2月15日が近づい て、一緒に暮している幇間の善平、その仲間の一八や何かがみんな集まって来 て、毎晩大騒ぎをする。 当日、伝次郎は白無垢の羽二重に、おでこには三角 の白布をつけ、窓をつけた早桶に入る。 善さん、もう一人は入れるよ。 い いよ。 表には忌中の札を出す。 おさらばだ。 お元気でご成仏なさいます ように、なんて変なことを言って、皆ワッと泣く。 前の加賀屋新次郎の番頭、 藤助がどなたが亡くなったのでしょうか、と尋ねて来る。 これから、死にま す、というのでびっくり。 早桶に、酒、煙草、握り飯、鮭とおカカがいい(梅 干が嫌いなんで)というのも入れ、みんなでかついで、目黒の報徳寺へ。 読 経の間に、伝次郎は寝てしまう。

 寒いので、気がつくと、ザクリザクリ、墓掘りが穴を埋める音。 死ななか ったんだ、私は生きている、と早桶のふたを跳ね上げる。 墓掘りは腰を抜か し、寺の前の花屋に行くと、おかみも、主も、目を回す。 白無垢を汚い着物 に着がえて、二十文の銭をもらって、立ち去った。 寺のお堂やなんかに寝て、 二十文は一日、二日で使い果す。 四、五日目、麻布一の橋のごみためで、芋 の切れ端を拾っているところを、二人の乞食に、どこの者だ、ここは俺たちの 縄張りだ、と蹴飛ばされる。 前に施しをした乞食だったろうに…。

さん喬の「ちきり伊勢屋」(下)の(中)2007/02/05 07:40

 伝さんじゃあないか、と声をかけてきたのが、幼馴染の遠州屋の清太郎、吉 原に連れて行ってもらった清ちゃんだった。 噂どおり、生きていたんだ、と いう清ちゃんに、こんな乞食みたいななりでというと、みたいでなく立派な乞 食だ、と言われる。

清ちゃんは、この近くの赤羽橋に白井左近がいて、大道易者をしているとい う。 人のテンキ(転帰?)、死相を占って、易断を誤り、その財産を失わしめ たというので、お上が財産を取り上げ、家は取り潰し、江戸所払いになって、 赤羽橋にいるという。 伝次郎が連れて行ってもらうと、左近は「お前さんに 会いたかった、ご無事で何より、もう一度あなたの相を見たかった」と天眼鏡 で覗き、「天庭(額)に一点の曇りもない、不思議だ。 人の命を助けたことは ありませんか」。 心中の親子三人を助けた。 「それだ、あなたの死相は消え た。 辰巳の方角へ進めば、運が開ける」と、左近は二分包んで「どうぞ許し てもらいたい」という。

 辰巳といえば品川だ、清ちゃんは今、勘当されて品川の長屋にいるというの で、伝次郎はそこに居候をする。 二分の金を、二人でぶらぶらして使い果た すと、大家が店子の八五郎という駕籠かきが半年前に国へ行って帰って来ない、 遊んでいるのなら駕籠をかついだらどうだ、という。 札の辻で待っていると、 品川へ遊びに行く連中が乗るから、と。 「土蔵相模までやってくれ」と乗っ た最初の客、二人は重くてかつげない。 鉢巻の巻き方から身なりまで教えて くれた、その客は幇間の善平だった。 品川に客を待たせてあるし手持ちもな いのでと、質屋へ持っていくようにと、以前伝次郎にもらった上等の着物を脱 いで渡してくれた。