「我ネーションのデスチニー」2007/02/10 07:02

 母校志木高校生、伊藤孝太、吉岡直祐両君が朗読したのが、よく引用される 明治7年10月12日、ロンドンの馬場辰猪あて書簡だった。 「方今日本にて 兵乱既に治りたれども、マインドの騒動は今なお止まず。」「古来未曾有のこの 好機会に乗じ、旧習の惑溺を一掃して新しきエレメントを誘導し、民心の改革 をいたしたく、とても今の有様にては、外国交際の刺衝に堪え申さず。法の権 も商の権も、日に外人に犯され、ついにはいかんともすべからざるの場合に至 るべき哉(か)と、学者終身の患(うれい)はただこの一事のみ。」「結局我輩 の目的は、我邦のナショナリチを保護するの赤心のみ。」「幾重にも祈る所は、 身体を健康にし、精神を豁如(かつじょ)ならしめ、あくまでご勉強の上ご帰 国、我ネーションのデスチニーをご担当成られたく、万々祈り奉り候なり。」

 岩波文庫『福沢諭吉の手紙』を読んで、あらためて私は福沢のカタカナの面 白さに魅せられ、「福沢諭吉の片仮名力(ぢから)」という文章を『福澤手帖』122 号に書かせてもらったことがある。 志木高校でこの朗読を指導された速水淳 子教諭は、『福澤手帖』125号に「福沢諭吉の手紙を音読する」という文章を寄 せている。 2004年6月、出版早々の『福沢諭吉の手紙』を一年生の国語の時 間に漢文入門として音読した経験を綴ったものだ。 その中で高校生たちが、 福沢の手紙の漢文口調の強い日本語の中に、ひょいひょいと飛び込んでくる英 語の単語、その愉快なリズムに、思わず笑いを漏らす場面もあった、というく だりがあった。 わが意を得たりという感じがしたものである。

 音読をすることによって一人一人の中に、手紙を書いた時の福沢諭吉の熱意 が流れ込み、その福沢の気持をしっかりと受け止めた生徒たちの共感が、教室 に温かい雰囲気を醸し出した、という。 そこに学ぶ者の輝きを感じた教師の 幸せを、速水先生は感動的に書いている。 おそらくこの試みが、今回の企画 の本になったのであろう。