「万歳(バンザイ)」の起源 ― 2007/08/25 07:08
そこで「万歳」の起源だが、「ウィキペディア」によると元々は中国で使われ る言葉で、「千秋万歳」の後半を取ったもの。 万歳は一万年で、皇帝の寿命を 示す言葉であり、皇帝以外には使わない、という。 『広辞苑』には、古くは 「バンゼイ」とある。 再び「ウィキペディア」によると、「バンザイ」と発音 するようになったのは、1889(明治22)年2月11日の大日本帝国憲法発布の 日、青山練兵場での臨時観兵式に向う明治天皇の馬車に向って万歳三唱したの が最初だという。 伝統といわれるものは、案外そんなに古いものではないと よくいわれるが、これも明治起源なのであった。 偽文書「萬歳三唱令」が、 明治23年4月1日付なのは、そのへんを突いた巧妙な悪戯なのかもしれない。
俳誌『夏潮』の誕生<等々力短信 第978号 2007.8.25.> ― 2007/08/25 07:10
8月1日、月刊の俳句雑誌『夏潮』が創刊された。 夏潮会のある本井英主 宰のご自宅は、湘南の逗子桜山にある。 尾形久子画伯の表紙絵は、夏潮打ち 寄せる白砂青松の浜辺にヨットの白い帆が風を孕む、気持のよい大景だ。 育 ちの良さと真面目なお人柄のにじみ出た主宰の題字を、たくみに配しての表紙 デザインは、グラフィック・デザイナーのお姉さま本井富士子さんが担当され た。 まことに微笑ましい合作である。
12人の方が祝辞・祝句を寄せている。 鷹羽狩行さんは「本井英夏の怒濤に 立ち向ふ」、ご近所にお住まいの高橋睦郎さんは「夏潮の逗子と呼ぶべく漲りぬ」 と詠んだ。 有馬朗人さんと今井千鶴子さんはそれぞれ、本井英さんの積極性 と活動力、企画性と実行力に言及している。 ながさく清江さんは、「虚子を絶 対とする氏の、信仰にも近い「花鳥諷詠」への信念の源流は、母上が立子門で 「玉藻」の本井邸での句会に、立子先生も参加された由の幼年期に遡り、やが て慶應高校で清崎敏郎先生より俳諧や古典も学び実作に入られたが、私の印象 では鎌倉の「虚子庵」書庫の後片付けを一任され、虚子の記された数多の真筆 の息づかいに触れて一層深まった敬慕が、先年の「追っかけて虚子」の旅とな り、「虚子『渡仏日記』紀行」の上梓となり、更に昨年「日盛会」念願の実現と なったように思う」と、本井英主宰の俳句の歩みを見事にまとめられた。
主宰近詠から、僭越ながら、好きな句を五句引いておく。 「湯に放つ菊の 軽さよ菊膾」「木の実降るどの保母さんも若きこと」「浅草に佳きバーひとつ酉 の市」「炭焼くや犬は遊びに行つたまま」「山茶花に足もとのすうすうしたる」
深見けん二、今井千鶴子、高橋睦郎、本井英(司会)各氏の創刊記念座談会 「虚子再見」(全四回)が始まり、まず各々の「花鳥諷詠」「客観写生」が語ら れる。 虚子研究の基礎編、虚子ハンドブックをめざす主宰の連載「虚子への 道」、第一回は「父、池内荘四郎政忠まで」。 虚子の父が九州まで剣術修行に 出た柳生流の剣術の達人で、松山藩内の第一人者であるとともに、詠歌三千首 を超える文武両道の人だったことを知る。
そして俳句雑誌として最も大切な、主宰選の会員の「雑詠」、その句評。 さ らに季題研究のために気鋭の若手が選句する「課題句」。 両方の中に、初めて 師につき、俳句結社に入会した私の句も、印刷されている。 本井英主宰は「俳 句は、まず楽しいもの」と考える。 俳句をやってみたい方は、ぜひ『夏潮』 にご入会を…。
○連絡先 〒249-0005 神奈川県逗子市桜山8―5―28 夏潮会
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