昭和10年代の東京で育つ2008/02/21 07:52

「久世光彦~昭和を愛した不良」最終第四回(1月29日放送)は「マイ・ラ スト・ソング」。 歌謡曲を取り入れたドラマをさかんに作った久世光彦には、 もう一つの顔があった。 作詞家・市川睦月、このペンネームで詞を書いた香 西かおりの「帰りたい、帰れない」という「無言坂」は、1993年の日本レコー ド大賞を受賞した。

 小林亜星さんは、久世は流行り歌をバカにしなかった、愛していた、といい、 ふたりが共に昭和10年代の東京で育ったことを挙げた。 亜星さんは5歳の 頃、二村定一の歌う「アラビヤの唄」を聴いて、こういう世界に生きていこう、 と思ったのだそうだ。 一言でいえば「ロマンチック」。 戦前は、実はアメリ カ大好き、ジャズじゃんじゃん、退廃的な時代で、そこに育った二人は「ロマ ンチック」じゃないものは嫌いな世代なのだ。 昭和10年生れ、ませたガキ、 中学1年でバンドをつくってサイド・ギターを弾いたりしていたから、優等生 の枠からはみ出して、とうとうグレタわね、不良、と見られていた。 昭和20 年、敗戦で大人の価値がひっくりかえった。 空が青かった。 楽しかった。  大人がみんな自信をなくして、不良少年は、「ざまあみろ」

 死ぬ時に、あなたは何を聴きたいか。 久世の「マイ・ラスト・ソング」は、 平野愛子が歌う「港が見える丘」だった。 時代の気分をうつしている。 時 代が具現化して、音になっている。 小林亜星さんは、それを感じる人と、感 じない人がいる、と言う。 感じない人は、つまらない人生。 退嬰的なムー ドや、「ロマン」を、自分たちは、感じすぎちゃって…。  亜星さんは久世の「向田ドラマ」の音楽を担当したが、久世の気持がわかっ ているから、やりやすかったし、曲づくりの全てをまかせてくれた。 「ロマ ン」を、曲にこめた。

 2006年3月、突然の逝去。 台本どおりの芝居が嫌いだった久世らしい幕引 き。 「うまくいったね」というのは、おかしいから、「よかった」。 「やあ、 明日見て育った時代だなあ、アハハ」