福澤先生ウェーランド経済書講述記念日のフランシス・ウェーランド ― 2024/05/21 07:01
5月15日は、戊辰戦争中の慶応4(1868)年5月15日、上野での彰義隊の戦闘のさなか、福沢は動じることなく講義を続けたという、福澤先生ウェーランド経済書講述記念日で、三田の演説館に井奥成彦名誉教授の「福澤諭吉と在来産業―酒造業に対する考え方を中心に―」を聴きに行った。 そのフランシス・ウェーランド(1796~1865)、米国ブラウン大学第4代学長というだけで、くわしいことはあまり紹介されない。
ちょうど、『三田評論』5月号の「福澤諭吉をめぐる人々」その89に、佐々木貴久慶應高校教諭が「フランシス・ウェーランド」を書いていた。 ウェーランドは1796年に敬虔なバプティスト(プロテスタント最大の教派。外的な形式や制度より霊的な信仰の自由を重視し、教会の独立自治を唱える。)の夫妻の間に生まれたが、それ以前の20年間は、独立宣言、合衆国憲法起草、ジョージ・ワシントン大統領の就任と、アメリカの輪郭が徐々に描かれようとする時代だった。
ウェーランドは、医師、聖職者、思想家、教育者、学者、学長。 ユニオン・カレッジを卒業後、医師免許を取得した。 本来は聖職者を目指したかったのだが、家が貧しいのも医師になる一因だった。 改めて1816年神学校に進むが、経済状況が厳しく、翌年母校ユニオン・カレッジから講師のポストを提供され、古典語・化学・数学・修辞学などを担当、1821年念願の牧師にも就任できた。 1826年9月ユニオン・カレッジの教授に就任した矢先、ロードアイランド州プロビデンスのブラウン大学(現在のアイヴィーリーグの一つ)第4代学長に30歳ほどの若さで選任された。 1827年から1855年まで四半世紀以上学長を務め、道徳哲学、精神哲学、修辞学、文芸批判、生理学、経済学を担当した。 道徳哲学の教科書として、福沢の生年1835年に執筆したThe Elements of Moral Science『道徳哲学綱要』や、1837年のThe Elements of Political Economy『経済学綱要』が、福沢の時代はもとより、現在にいたるまで慶應義塾に大きな影響を与えてきたと、佐々木貴久教諭は書いている。
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