なぜ、源助が人柱に立ったのか?2025/10/23 07:11

 小泉八雲著、平井呈一訳『日本瞥見記』(上)「神々の国の首都」、橋の話のつづき。

 この人柱に立った男は、雑賀町に住む、源助というものであった。 なぜ、この男が人柱に立ったのかというと、昔から、“まち”のついていない袴をはいて、はじめて新しい橋を渡ったものは、橋の下に生き埋めにされるという掟があって、たまたま源助は“まち”のない袴をはいて橋を渡ったところを見咎められたので、かれが人身御供に上がったというわけであった。 そんなわけでこの古い方の橋の、まんなかにあった橋杭は、犠牲者の名をそのままとって、三百年このかた、源助柱と呼ばれていた。 月のない晩など、草木も眠る丑満つのころになると、源助柱のあたりには、しきりと鬼火が飛んだと言い伝えられている。 日本の国でも、外国と同じように、鬼火はたいがい青いものだと聞いているが、源助柱の鬼火は、色が赤かったそうである。

 一説によると、源助というのは、人の名前ではなくて、あれは年号の名だ、人の名に似ているので、それが訛って、誤りつたえられたのだともいう。 それはともかくとして、この伝説は、ずいぶん深く信じられていて、こんどの新しい橋の普請中にも、在方の人たちは、町へ出るのを恐がったものだ。 それは、こんども新しい人柱が要る、そして、それは在方の中から選ばれる、それもいまだに頭を旧弊のちょん髷(まげ)を結っている人のなかから選ばれる、という流言がひろまったからである。 そのために、何百人という年寄り連中が、ちょん髷を切ったくらいであった。 すると、こんどはまた、渡りぞめの日に橋を渡った千人目の人間を捕えて、これを源助とおなじように人柱に上げるようにという、秘密の命令が警察にきている。――そういう流言が、まことしやかに伝えられた。 そんなことから、例年は在方の百姓たちでにぎわう城山の稲荷祭も、ことしはだいぶ人出が少なかったそうで、町の商いにとっては、数千円の損害だったということである。

 朝ドラ『ばけばけ』の脚本を書いた、ふじきみつ彦さんは、この箇所を読んだことで、主人公松野トキ(高石あかり)の父司之介(岡部たかし)、祖父勘右衛門(小日向文世)、さらに婿になる銀二郎(寛一郎)を、初め、ちょん髷(まげ)頭を守る武家として描いたのではないだろうか、と思った。