三田あるこう会、NHKアーカイブス『テレビ評伝 福沢諭吉』2025/12/10 07:13

 12月7日は、三田あるこう会の第583回例会があった。 例によって10時30分JR京浜東北線の西川口駅集合。 スマホの「乗換案内」で検索すると、自由が丘から大井町に出るルートは皆無で、渋谷回り埼京線で赤羽乗り換えが出るので、そちらで行く。 西川口駅東口から青木町平和公園の1964(昭和39)年東京オリンピックの聖火台のレプリカを見る。 川口は鋳物の街、吉永小百合・当時17歳の『キューポラのある街』(1962(昭和37)年、浦山桐郎監督)という映画があった。 もともとは1958(昭和33)年のアジア競技大会のために作られた聖火台で、川口屈指の鋳物師、鈴木萬之助・文吾親子二代の聖火台鋳造の苦労話はNHKの番組で見たことがある。 1964年は、私が大学を卒業した東海道新幹線開業の年でもある。 現場で名前を思い出せなかった聖火の最終ランナーは、早稲田大学競走部の坂井義則選手、広島原爆投下の日に近くの三次市で生まれた日本復興の象徴といわれた、亡くなられたそうだが…。

 青木町平和公園は、川口マラソンが終わったところらしく、ゴチャゴチヤしていた。 そこから丸く刈り込んだメタセコイアの並木のある中央通りを、もとはNHK川口放送所があり、1937(昭和12)年に建てられた当時世界一の高さ312.8メートルの電波塔があったSKIPシティへ向かう。 ところが、入り組んだ道で、なかなか目的の場所が現れず、ヘトヘトとなって、一時道端で休み、腕を抱えられて歩くことになってしまった。(この日の歩数計は、13,085歩だった。)

 SKIPシティでは、NHKアーカイブスを「どーも君シアター」の大画面で視聴した。 当番の松岡久幸さんが手配してくれてあったのは、1983(昭和58)年3月21日に教育テレビスペシャルで放映された『テレビ評伝 福沢諭吉』だった。 福沢の生涯と業績を紹介するもので、内容は承知のことが多かったけれど、時折はさむインタビューに、懐かしい方々の若い姿と談話があった。 富田正文さん、芳賀徹さん、高村象平さん、清岡暎一さん、萩原延寿さん、西川俊作さん。 岡山大学の広田昌希さんは、知らなかった。 福沢の慶應義塾が輩出した人物として、小幡篤次郎、馬場辰猪、荘田平五郎、朝吹英二、中上川彦次郎、犬養毅、尾崎行雄、藤山雷太、池田成彬、藤原銀次郎など主に実業界で活躍した人々が紹介された。

 福沢の思想は日本の近代化に大きく影響したが、それはアジアなど後進の諸国でも役に立つのか、タイの留学生で『学問のすゝめ』をタイ語に翻訳した人が登場した。 タイで出版されたが、当時は軍が政権を掌握した状態で、どんな影響を及ぼすか分からないという話だった。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
「等々力」を漢字一字で書いて下さい?

コメント:

トラックバック