歴史を見る目、状況的思考、「国の独立」が目的2025/12/09 07:12

橋本五郎さんの話は、≪歴史を見る目≫≪状況的思考≫≪「国の独立」が目的≫と続く。

≪歴史を見る目≫、『文明論之概略』巻之二の第四章に「古より英雄豪傑の士君子、時に遭ふ者、極て稀なり」として、孔子孟子が用いられなかったことや、楠木正成を湊川に死地に陥れせしめたるものは何か、「即ち時勢なり。即ち当時の人の気風なり。即ち其時代の人民に分賦せる智徳の有様なり」とある。 これは「鳥の目」と「虫の目」につながる。 物を見る目は、時勢と合っているかだ。 ニクソンは『指導者とは』(文春学藝ライブラリー)で、「指導者を偉大ならしめる必須の条件は、三つある。偉大な人物、偉大な国家、そして偉大な機会である」「指導者は、時と場所と背景の組み合わせの中から生まれる」

 ≪状況的思考≫。 鎌田栄吉の福沢諭吉コンパス論。 かつて自分で言って自分でも名言だと実は関心しているのだが、福沢先生は、文廻し(馬場註・『広辞苑』はぶんまわしに「規」の一字をあて、「円を描くのに用いる具。」)の如き人、コンパスの如き人である。 コンパスは一本の脚はひとところに固着していて中心を外れない、円を描く他の一本は伸縮大小自由自在。 先生は実にこの通りの人である。 先生を評して、固着の一脚のみを見る人は、自説を固守して移ることを知らぬといい、動く脚を見る人は、説が一定せずしばしば変わると言う。 なるほど先生の言うことは始終変わる、しかし十年、二十年、三十年、四十年、五十年を通じてこれを観ると、その主義とするところは寸毫も違わない、最初からずっと一貫している、という説である。 橋本さんは、その動かざる一本の脚とは、「独立自尊」なのである、とする。

 ≪「国の独立」が目的≫。 「文明とは……至大至重、人事万事皆この文明を目的とせざるものなし」(巻之一第三章) 「文明とは人の安楽と品位との進歩を云ふなり。又この人の安楽と品位とを得せしむるものは人の智徳なるが故に、文明とは結局、人の智徳の進歩と云て可なり」 『文明論之概略』で、こう論じられてきた「文明」が、最終章で突如、国の独立を達成するための手段であると論じられる。 福沢は、人類が文明自体を目的とすべきことを十分に認めながら、あくまで当時の日本とそれをとりまく世界情勢下では、まず国の独立の達成を第一とすることを目的と定めて文明へ向かっていくべきであると留保つきで議論している(都倉武之、『福澤諭吉事典』)。

 巻之六第十章、「目的を定めて文明に進むの一事あるのみ。其目的とは何ぞや。内外の区別を明にして、我本国の独立を保つことなり。而して此独立を保つの法は、文明の外に求む可らず。今の日本国人を文明に進るは、此国の独立を保たんがためのみ。故に、国の独立は目的なり、国民の文明は此目的を達するの術なり」

 岡義武『近代日本政治史』(岩波文庫『明治政治史』上)を読むと、明治日本の最大の課題は、いかに植民地にならないかであり、そのために日本をいかに近代化するかだったことがよくわかる。 岡さんは、明治維新を民族の独立確保を最大の目的にした「民族革命」であると明快に言い切り、そのために苦闘した殖産興業政策の大久保利通や、条約改正のため過度な欧化政策を進めた井上馨の、何とか成果を挙げようとした努力を「焦慮、熱望の現れ」と評価した。

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