記者クラブ、サツ廻り、「編集」の“集”2005/09/16 07:08

 日記を読むと、森正蔵さんは優秀な新聞記者で、生起する問題に的確な意見 を持っている上、アイデアマンでもあって、いろいろな所に引っ張り出されて 重用され、多忙にならざるを得なかったことがよく分かる。

 私が感心したのは、昭和20(1945)年9月21日の時点で、「記者倶楽部、記者 会などといふ有害無益な存在は、この際無くしてしまはなければならぬ」と書 いていることだ。 その日、内務省の記者倶楽部が、毎日の仕事を自由競争に よってすべきか、従来通り発表本位とすべきか協議をして、後者に決定した。  司法省の倶楽部でも先日、同じ申し合わせと発表をした。 「恐ろしく馬鹿話 しである。自由競争にこそ新聞記者の生命と興味とがあるのに、これを自ら退 けようとする気持ちが解らない」と、ある。 先見の明というべきだが、記者 クラブと発表本位の弊害は、60年後の今日になっても、まだ解決していないの である。

 森正蔵さんは、社会部長として、当時編集局内にいた見習生の「通報員」や、 「給仕」とか「子供」とか呼ばれていた使い走りのうちの特に素質のよい者を、 警察署を回る「サツ廻り」として使い、新聞記者への登龍門にしようと考えた。  新聞記者修行に「サツ廻り」が何より効果があるとも書いているので、新人記 者がまず「サツ廻り」に配属されるという慣習は、あるいはここに起源がある のかもしれない。(12月3日、13日) 「給仕」連中には喜ばれたようで、翌年 1月5日に給仕60人で結成された双葉会という会の発会式兼新年会に招かれて いる。

 界隈の読書人と社員の教養のために、新聞社内に書籍の売店をと計画し、岩 波書店に交渉しているし、社員のためのスタイル・ブック(用語の手引き)も計 画して実現させている。(昭和21年3月7日)  昭和21年11月当用漢字・新 かなづかいが発表されると、17日の日記から採用し、毎日新聞社としても12 月1日からの早期採用を主張した。 従来の「編輯」を「編修」とするか「編 集」とするか、新聞各社で議論して、「編集」に決まったのには、森さんの力が 大きかったようだ。(昭和21年12月9日)