文明の絶頂を見た阿倍仲麻呂 ― 2005/09/23 08:31
夢枕獏さんの「奇想家列伝」、第五回は「文明の絶頂を見た人―阿倍仲麻呂」。 最近石碑が発見されて評判の井真成と同じように、阿倍仲麻呂(698-770)も唐に 渡り、ついに帰って来なかった日本人で、唐で高級官僚として成功した。 吉 備真備(きびのまきび)や後に悪名高くなった僧・玄眆(げんぽう)と一緒に遣唐使 で入唐(にっとう)。 吉備真備も玄眆も日本に帰ったが、阿倍仲麻呂がなぜ日 本に帰らなかったかは謎である。 当時、唐の都長安は、空前の繁栄を誇り、 100万人の人口の内、一割が外国人だった。 阿倍仲麻呂は、玄宗皇帝(712-756 在位)、楊貴妃、杜甫、李白と同じ長安の空気を吸い、李白は阿倍が一緒に酒を 飲んだ友人と考えられるという。 唐は爛熟の牡丹のような時期だったが、外 国人も登用され、出世して行くフトコロの深さがあった。
玄宗皇帝と楊貴妃は、白居易の「長恨歌」に歌われたような、甘く濃密な恋 の日々を過ごしていた。 李白を呼んで書かせた詩を、李亀年が歌い、楊貴妃 が舞った、沈香亭で開かれた空前絶後の宴に、間違いなく阿倍仲麻呂はいた、 と夢枕獏さんはいう(夢枕さんは10分間どこでも行けるタイムマシンがあれば、 このパーティーに行きたいそうだ)。
阿倍は「晁衡(ちょうこう)」と呼ばれ、皇帝に寵遇された。 何度も日本に 帰ろうとするが、朝廷は帰さない。 一度だけ日本に帰るチャンスがあって、 鑑真和上が日本に来たのと同じ一行だったが、海難に遭い、なんとか生き抜い て、苦労して長安に帰った。 そして花の都が、戦乱に巻き込まれるのを見る ことになる。 玄宗皇帝と楊貴妃の逃避行に、阿倍も従った。 阿倍仲麻呂は、 なぜ日本に帰らなかったか。 夢枕獏さんは、好きな女性がいたからではない か、と小説家らしいことを言った。 阿倍仲麻呂の、ご存知望郷の歌「天の原 ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」。
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