「進歩」について考える ― 2008/12/11 07:11
松浦寿輝さんは、つぎに「進歩」を考える。 西欧でも「進歩」の概念は、 今日考えるほど自明のものではなかった。 たとえば「ルネッサンス」は古代 の復権だ。 18世紀になって「進歩」の概念が出現した。 「百科全書派」(デ ィドロ、ダランベール、コンドルセなど)の「知」の集大成。 19世紀の「万 国博」、この「万国」はユニベルセール(「一国の」ではない、普遍的な)。 1889 年の「万国博」の際に建設された物理科学の粋である鉄の塔、エッフェル塔は、 スキャンダラスな事件だった。 景観に合わない、「こういうのはアメリカにま かせておけばいい」と反対運動が起こった。 これは「知」の問題で、伝統的 なモラルや美意識、保守主義を乗り越えるのが「近代」だった。 エッフェル 塔は、「知」の勝利の記念碑。 福沢は、物質文明の進歩した西欧に追いつかな ければならぬ、と考えた。 丸山真男は「福沢における実学の展開」で、福沢 の「実学」は物理学のことだといった。 倫理から物理へ。
福沢が依拠したバックル『英国開化史(文明史)』やギゾー『欧州文明史』は、 知の進歩を歴史の領域に移して、知の進歩は歴史に当然の流れとした、進歩の 観念による歴史の記述だった。 バックルは「自然科学なくして歴史なし」と 書いている。
1859年にダーウィンの『種の起源』が出版され、その「進化論」が社会現象 に適用されて、スペンサーが「社会進化論」を唱え、「進歩」=「進化」という 自然科学と社会科学が絡み合い、重なり合う、野合のようなことが起こった。 「進化論」は『文明論之概略』の三年後の明治10年、大森貝塚発見のモース によって日本に紹介された。 数年後には「社会進化論」も導入され、ちょう ど啓蒙思想ではなく、個々の学問分野を確立しようという時期だったこともあ り、知は総合的でシステマティックなものでなければならぬ(サイエンス)、事 物をことごとく網羅して原因結果の次第を論ずる、総合的な法則性を究明する、 大学の学問分野の体系が求められることになった。 バックルも、歴史学は、 原因結果、法則性の究明だと言っている。
西周も重要だ。 『百学連環』で、知が織りなすシステムを構築しようとし た。 「システム(「規模」と訳す)」という言葉を使っている。 歴史を、 『史記』のような記述体でなく、システムで書かねばならぬ、と。 文明は、 進歩の概念と切り離せないものだ。(つづく)
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