「根岸御行の松 因果塚の由来」 ― 2026/04/03 07:08
実は柳家喬太郎、昨年の9月2日の第687回落語研究会で「お若伊之助」を演っていた。(柳家喬太郎の「お若伊之助」前半<小人閑居日記 2025.9.9.>、柳家喬太郎の「お若伊之助」後半<小人閑居日記 2025.9.10.>)
そのラストを、私はこう綴っている。 「高根新斎は六連発の短筒、ピストルを手にして、参るぞ。 バン! 弾は伊之助の胸元を貫いて、お若は気を失う。 伊之、面を見せろ、先生、伊之助じゃござんせん。 狸! 年経る狸でございます。 夜毎、たぶらかしにきていたのだ。 一件落着でございますね。 さて、どうかな。 先生! 身共の見立てたところ、お若は懐妊しておる。
十月十日が過ぎて、子供が生まれた。 男と女の双子、タネは狸だ。 お若が、愛しいのはわかるが、このままではいけない。 よい里親を、二組見つけて、育ててもらうことにした。 しかし、運命の糸は、これから狂って参ります。」
『アーバンライフ東京』というサイトの「東京すたこら落語マップ(7)」に、櫻庭由紀子さん(落語・伝統話芸ライター)が、「お若伊之助」のさらなる物語の展開を書いている。(https://urbanlife.tokyo/post/29778/)
お若の産んだ双子は、男の子と女の子で、伊之吉、お米と名付けられる。 伊之吉は、鳶頭・初五郎の口利きで大工の棟梁・芳太郎に、お米は大阪の豪商越前屋佐兵衛に養子に出される。 お若にどこか嫁に行くように勧めてみても、かたくなに行こうとしない。 そして、西念寺に庵を構え、お若は尼として閉じこもるようになる。
そのうち、ある一中節の門付けが毎日やって来るようになる。 彼こそ伊之助、再会した二人は、人目を忍んで逢瀬を重ねるようになる。 しかし叔父に知られてしまうところとなり、二人は神奈川へ駆け落ちする。 やがて二人に子供が出来、岩次と名付け幸せに暮らし始めた。
時が経ち、品川の和国楼という廓で、花里という女郎と良い仲になったのが、お若が産んだ伊之吉だった。 花里が身請けされそうになり、二人は見世抜けをして品川から逃げる。
一方、お若と伊之助が神奈川で生んだ岩次も十八になった。 叔父のところに謝りに行こうと、根岸へ行く。 すると、叔父は「お若はあれからずっと伏せって根岸の家で暮らしている」と言う。 さてはまた妖の類いかとみれば、どちらのお若も変ったところがない。 二人とも、正真正銘のお若なのだ。 そこに追われて駆け込んで来る男女。 伊之吉と花里だ。 二人は瓜二つ。 花里はお若が産んだ双子の女の子、お米だった。 叔父はお米を身請けしたが、伊之吉とお米は兄妹のため結婚することはできない。 契りを結んでしまっていた二人は、綾瀬川に身を投げて心中した。
そして二人のお若の方はというと、叔父は人の身体が分身し生活するという離魂病を思い出す。 わかれたふたつの体は、同じ空間に存在すると死んでしまうという。 明くる日、伊之助とともに暮らしたお若は消えており、根岸のお若も死んでしまった。
伊之助は絶望し首をくくり、岩次は両親と兄妹を弔うため仏門に入った。 そして、谷中へ一基の因果塚を建立。 因果塚の由来の一席。
矢野誠一『新版 落語手帖』の「お若伊之助=因果塚」は、1914(大正3)年の3代目春風亭柳枝の速記と同じ内容になっている。 元々の三遊亭圓朝の噺がどんなものだったかは謎という。 1927(昭和2)年出版の春陽堂版『圓朝』全集を編纂した鈴木行三氏によれば、「これは圓朝の『因果塚』を、偽作屋が勝手に小細工をして、圓朝没後圓朝の名で出版したものと思われます。圓朝の『お若伊之助』の速記が出来ていない為已むを得ず参考として編入したのであります」ということなのだそうだ。
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