教育勅語と福沢諭吉 ― 2014/04/20 07:07
朝日新聞「ひと」の「安川寿之輔さん」を読んで、まず私が思ったのは、こ ういう一方的な主張を「ひと」欄で紹介してもよいのか、ということだった。 「ひと」欄を読む人は、新聞がそこに紹介した人物を、疑いもなく正しい人で、 その主張も正しいと、思いこんでしまう。 注意が必要だろう。
少しコメントしたい。 まず、「市民的自由主義者なのか、アジア侵略の扇動 者なのか、戦前から評価が分かれてきた。」という部分。 福沢が「アジア侵略 の扇動者」とされたのは、戦後のことである。 その議論で問題視される「脱 亜論」という『時事新報』の社説は、『福澤諭吉事典』の「脱亜論」にもあるよ うに、戦前の福沢研究論文や伝記などにいっさい登場しなかったのに、戦後、 福沢諭吉のアジア論を否定的に再評価する流れの中で、端的な表題であること もあいまってにわかに脚光を浴び、広く知られるようになった。
つぎに、「啓蒙思想を紹介する文章と教育勅語に「感泣」し、アジアを蔑視し た自説の文章とは区別すべきだと説く。」の部分。 記者の書き方にも問題があ り、「教育勅語に「感泣」し」たのは、福沢なのか、はっきりしない。 仮に福 沢だとすると、読点の打ち方が悪く、「啓蒙思想を紹介する文章と」の後にも、 読点を打つべきだろう。 おそらく、「教育勅語に「感泣」し」も「自説の文章」 にかけるつもりなのだろうが…。
だが、私は寡聞にして、福沢が「教育勅語に「感泣」し」た事実を知らない。 明治政府は、明治10年代中ごろの自由民権運動の高揚に対抗するため、また その背後に福沢の影響のあることを恐れて、儒教を教育の中心に据える。 そ れは明治23(1890)年10月30日の教育勅語の発布につながる。 福沢の儒 教主義復活と闘う立場は一貫していた。 教育勅語を直接批判してはいないが、 古流の儒教主義的な「忠君愛国」を批判することで、実質的に批判した。 上 からの天皇権威の徹底に対して、福沢はあくまで個々人の自主独立の重要性を 訴えた。 まず経済的に一身が独立したうえで、他者の独立を勧め、一国の独 立を図り、みずから君に仕え、父母、夫婦、兄弟、朋友を重んじるべきだと述 べた。 また、儒教が開国以来の「自主独立」の「公議輿論」に適さないこと を主張した(明治15(1882)年『徳育如何』)。 同年の『帝室論』では、帝 室と政治との分離を説き、その不偏不党性と尊厳神聖によって社会秩序の維持 を図るべきだと主張し、帝室の政治的利用を否定した。 晩年、福沢は慶應義 塾独自の道徳教育の指針の作成を思い立ち、その要請を受けて門下生が「修身 要領」を作成し、明治33(1900)年2月に発表された。 独立自尊主義、男 女の平等、夫婦倫理の尊重などを唱えるもので、その普及活動が展開されたが、 教育勅語とくいちがうものであるという厳しい批判を受けた。
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