新たな習慣を創始して賢明なる行為を2026/02/03 07:04

 今日2月3日は、1901(明治34)年に66歳で亡くなった福沢諭吉の命日、今年は没後125年になる。 安西敏三さんの福澤先生誕生記念会の記念講演「福澤諭吉の智徳論―J・S・ミルとの関連を中心に」のつづき。

   1. 衆論と習慣
 「国内衆人の議論」: 「その時代にありて普(あまね)く人民の間に分賦せる智徳の有様」→「習慣」によって「体裁」→「停滞不流の有様」→幕府 : 「因循姑息」。
 「智力」が権を得る習慣 : 「彼の報国心の粗なる者をして密ならしめ、未熟なる者をして熟せしめ、以て我国体を保護することあらば、無量の幸福」(「国を思ふ心」)<「天稟の愛国心」> から「国を思ふ理」<「推考の愛国心」> へ(←トクヴィル、ミル)
 西洋諸国の衆論 : 国人各個の才知より高尚にして人物に不似合いな説と行動。
 東洋諸国の衆論 : 知恵に不似合いな愚説を吐きて不似合いなる拙を尽くす。
  「習慣の相異」←「衆議の法」 : 「数十百年の古より世々の習慣によりてその俗を成し…今日に至ては知らずして事を成す可し。」
  「習慣の久しきに至れば第二の天然と為り、識らず知らずして事を成す可し。」
   ←“Habit is second nature”  : 「習慣」は人為であるがため変革可能、「天然」は自然←ミル「習慣の圧制」(the despotism of custom)  : 東洋の特徴。 「堅実な習慣」(the steady habit) :  誤りの是正と確実性。
 「日本人が無議の習慣に制せられて、安んずべからざるの穏便に安んじ、開くべきの口を開かず、発すべきの議論を発せざるに驚くのみ。」「利を争うことは古人の禁句なれども、利を争うは即ち理を争うことなり。」

「一国の人民として地方の利害を論ずるの気象なく、一人の人として独一個の栄辱を重んずるの勇力あらざれば、何事も論ずるも無益なるのみ。」(自尊心、独立自尊の契機) : 自然ではなく習慣。「習慣に依りて失うたるものなれば、これを快復するの法もまた習慣に由らざれば叶うべからず。習慣を変ずること大切なりと云ふ可し。」
 ←ミルのindividuality論 :  新たな習慣を創始して賢明なる行為を。

                                  (つづく)

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