ラジオは「娯楽の殿堂」、演芸、『話の泉』『二十の扉』他 ― 2026/03/20 07:14
鴨下信一さんの『誰も「戦後」を覚えていない』の、「ラジオ.デイズ それは〈ごった煮〉の文化だった」だが、昨日見た多種類の報道.情報系番組よりも、ずっと分量が多く、生活に占めた位置が大きかったのが、娯楽番組だった。 ラジオは「娯楽の殿堂」だったのだ。 演芸は、昭和30年過ぎまで黄金期で、数多くの名人.人気者がラジオの電波に乗った。 落語の文楽.金馬.柳好がいて、志ん生も円生も苦労して満州から引き揚げてきた。 業界では〝お化け〟と呼ぶが、こつぜんと現われた大人気者には三遊亭歌笑がいた。 『歌笑純情詩集』と名付けたナンセンス創作落語が売り物だった。 この人は進駐軍のジープにひかれて死ぬ。 (『昭和の爆笑王 三遊亭歌笑』「等々力短信」第1017号2010(平成22)年11月25日参照) 漫談の牧野周一、大辻司郎、声帯模写の木下華声、音曲の三亀松、演歌師の石田一松など、ジャンルも人材も多彩で盛んだった。
クイズないし、その変形、いまの言い方なら知的エンターテインメント、『話の泉』『二十の扉』は、子供の私も聴いていた。 『話の泉』(昭21.12.3~39.3.31)、雑学の博識を競う番組、もとはアメリカの『Information Please』。 レギュラー回答者は、堀内敬三(音楽評論家、数々の名訳詞がある)、山本嘉次郎(映画監督、『海軍』等が代表作、黒澤明の師)、渡辺紳一郎(新聞記者、コラムニストの〝はしり〟のような人)、サトウ.ハチロー(詩人.作詞家、ややトンチンカンで、しかしユーモアあふれる答をする役割)。 司会は、最初は徳川夢声で、和田信賢アナに替わり、以後高橋圭三、鈴木健二と、NHK名物アナの指定席になる。
ほぼ一年遅れで『二十の扉』(昭22.11.1~35.4.2)が始まる。 これももとはアメリカの『20 Question』、この〝て〟の番組はもちろんCIE(民間情報教育局)の指示でできたものだが、これは良いことをしてもらったと感謝していい、と鴨下信一さん。 万物を動物.植物.鉱物にわけて、20の質問の間に当てるもの。 司会は藤倉修一、回答者は作詞家の藤浦洸、医師で随筆家の宮田重雄、推理作家の大下宇陀児(うだる)、新聞記者の塙(はなわ)長一郎、女優の竹下千恵子(後に柴田早苗)だった。
昭和24年には、新しい二本が始まる。 『私は誰でしょう』(昭24.1.2~44.3.23)は司会高橋圭三。 聴取者が登場するのがユニークで新しかった。 純粋に日本産なのが『とんち教室』(昭24.1.2~43.3.28)、言葉遊び、洒落.地口.物は付け.見立てなどの趣向に富んだもので、司会は先生、回答者は生徒で、青木一雄アナが先生、生徒は石黒敬七(柔道家、長くフランスで教えていた、本業はユーモリストと称し、ガラクタを蒐集)、長崎抜天(漫画家)、春風亭柳橋(落語家)、三味線豊吉(俗曲の名手)。
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