敗戦直後も絶えない宴席 ― 2005/09/15 08:02
森正蔵さんの日記で驚くのは、昭和20(1945)年8月という時点でさえ、宴会 の絶えないことである。 実によく、酒の席がある。 陸海軍の将校、大企業 の幹部(東芝の副社長に築地の錦水に招かれたのは8月16日)、そして社内の人 間と。 毎日新聞社は銀座二丁目あたりの「大作」 (料亭か)という店をよく使 っていたらしく、その近くらしい「昭和寮」という社の倶楽部もひんぱんに出 てくる。 そこには宿泊施設もあり、森さんは一時、住まいに使っていたから、 よけいにそういう機会が多かったようだ。 冷酒、生麦酒、日本酒、ウィスキ ーはもとより、牛肉のカツレツとステーキ、すき焼、黒鯛、鯛の浜焼き、蟹、 鰻、車蝦、握り鮨などの文字が見える。 世間の食糧事情と比較して、こうい う人々もいたのかと、まったく意外な感じがした。 今日の「休肝日」という 言葉を当時どう言ったかというと「ドライ」、「けふはひさしぶりにドライで過 す」(11月7日)などとある。
私などは酒を飲まない上、ずっとよい品物さえ作っていればという零細企業 をやっていたので、そういう事情はまったくわからないのだが、考えてみれば、 情報収集・交換や談合などのための宴席というのは、バブル崩壊後は減ったと はいえ、ずっと続いているのだろう。 政治家が料亭で相談しているのはテレ ビのニュースによく出てくるが、政官財にメディアもひっくるめて、そういう 体質・慣習になっているのかもしれない。 敗戦の最中でさえ、やっていたのだから…。
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