勝海舟と福沢・新島・蘇峰(1)2013/12/13 06:41

 『資料集成 明治人の観た福沢諭吉』の「福沢諭吉君と新島襄君」の伊藤正雄 さんの解説に、徳富蘇峰の出世著作は『将来之日本』(明治19(1886)年刊) と『新日本之青年』(明治20年刊)の二書であるが、そこには『学問のすゝめ』 『文明論之概略』をはじめ、福沢の諸著の換骨奪胎がいかに多いかは、証跡歴 然たるものがあり、初期の蘇峰の思想形成に、福沢の影響が大きかったことは 争うべくもない、という指摘がある。

 その解説に、伊藤正雄さんの『福沢諭吉論考』(吉川弘文館・昭和44(1969) 年)所載「福沢諭吉と勝海舟、新島襄、徳富蘇峰」参照とあったので、その一 文も読んでみた。 「筐底のメモより」とあり、昭和39(1964)年8月稿。  いくつか、初めて知ることがあった(新島が海軍伝習所にいたことは、明日ふ れる)。 福沢の全集で、福沢が新島に言及した文章はただ一つあるだけだとい う。 それは明治23(1890)年1月23日、新島が病死した際、26日の『時 事新報』に掲げた「新島襄氏の卒去」(全集12巻、359~60頁)と題する弔文 である。 その内容は、世間の滔々とした官権崇拝の中にあって、新島がひと りその流れに溺れず、あくまで民間一個の独立士人として、多年教育宗教の事 に尽瘁(一生懸命力を尽くして労苦)した識見と節義を称揚したものだ。 福 沢が新島を論じたのは、この簡単な一文だけだが、元来福沢が、わが国名士の 死に際してその弔文を草して新聞紙上に掲載したのは、森有礼の横死の時を除 いては、この新島の場合があるだけだ(これを馬場は知らなかったが、ほかに もあるような気はする)。 これによってみれば、福沢が新島をひそかに敬重し ていたという心事を察するに足るだろうか、と伊藤さんは書いている。