「八十八夜」と「残花」の句会2024/04/17 07:10

そこで、11日の『夏潮』渋谷句会、兼題は「八十八夜」「残花」。 私は次の七句を出した。
茅葺きの画家八十八夜かな
霜除ファン回り八十八夜かな
次郎長丁(チャウ)張る八十八夜かな
本郷の路地の奥なる残花かな
名にし負ふ吉野千本残る花
残桜や来年も花見られるか
全山にただ一本の残んの花

 私が選句したのは次の七句。
雪形の消へて八十八夜かな       孝子
満々の田水八十八夜かな        作子
旅枕八十八夜の床の冷え        伸子
城跡の広き空堀残花かな        庸夫
残る花散る青山の十字墓        淳子
遠目にも残花の名残りうすあかり    正紀
飛花残花熊野古道の石畳        庸夫

 私の結果。 <茅葺きの画家八十八夜かな>を英主宰、<霜除ファン回り八十八夜かな>をななさん、耕一さん、真智子さん、<本郷の路地の奥なる残花かな>を英主宰、<名にし負ふ吉野千本残る花>を作子さん、<残桜や来年も花見られるか>を淳子さん、真智子さん、<全山にただ一本の残んの花>を美佐子さんが採ってくれた。 主宰選二句、互選七票で、計九票。 近来稀な成績だったので、書く気になったというのが、正直なところだ、すみません。 帰り道で、淳子さんに「紘二さん、来年も花を見て下さいね」と、言われた。

 主宰選評。 <茅葺きの画家八十八夜かな>…音数で「画家」は「絵描き」としたい。都会の画家が、田舎の茅葺きの家に住もうと移住したのか、しょっちゅう絵を描いている境遇。実は、私は4月7日の三田あるこう会で、駒沢大学駅集合、弦巻の向井潤吉アトリエ館に行ったので、向井潤吉を詠んだのだった。 <本郷の路地の奥なる残花かな>…うまい句。菊坂など本郷という土地柄がよく出ている。江戸の隅っこ、一番端の崖に位置する。

 本井英主宰に、新たな病が見つかり、検査入院、さらには手術のための入院をなさるという報告があった。 度重なる病を克服されてきた精神力で、このたびも乗り越えられるに違いない、と信じて、ご快復を祈りたい。

「影が薄い」渋谷句会の俳句2024/04/16 06:59

 11日は『夏潮』渋谷句会だった。 実は「青簾」と「椎の花」の句会<小人閑居日記 2023.6.16.>を書いてから、ずっと渋谷句会の話を書いていなかった。 2023年7月13日「暑気中り」「仙人掌(サボテン)」、8月無し、9月14日「冷やか」「狗尾草(えのころぐさ)」、10月12日(福沢協会の金沢旅行で欠席)、11月9日「十一月」「茎漬」、12月4日「冬帝」「都鳥」、2024年1月11日「ゆづりは」「初明り」、2月無し、3月14日「田楽」「たんぽぽ」という兼題の句会があり、10月の欠席以外はちゃんと出席していたのだ。 4月7日に駒沢大学・桜新町付近を歩いた三田あるこう会で、渋谷句会でもご一緒するMさんに「馬場さん、最近渋谷句会に出ていらっしゃいますか」と、言われてしまった。 スランプで「鳴かず飛ばず」の句会が続いていることもあるが、「影が薄い」のであろう。

 出席していた証拠に、昨年7月からの句会で採っていただいた句を並べておく。〇印は、主宰選。 幸い、スコンクはなかった。
ヘロヘロは倍加す老いの暑気中り
仙人掌や勧善懲悪西部劇
兼題の「冷やか」笑ふ残暑かな
寅さんと源ちゃんの土手猫じゃらし
〇八丈便飛び立ち狗尾草揺れ
閑人も急かされてゐる十一月
十一月良いお年をと言はれをり
お茶請にどさり茎漬スキー宿
自転車で力士の行くや都鳥
水上バス漂ふ都鳥揺らし
初明りハスキーボイスのカラスかな
〇ゆづりはや代々継ぎし衛門の名
走り回る田楽の咒師(すし)二月堂
道端の日本たんぽぽど根性
たんぽぽの絮が車内を通り抜け
たんぽぽの絮は外野を軽く越へ

豆大福の「松島屋」、英一蝶の墓2024/02/13 07:01

 三田あるこう会の「「御田」から常光寺参拝」、伊皿子から豆大福の松島屋の前を通った。 宮川幸雄さんによると、「東京三大豆大福」は高輪「松島屋」、原宿「瑞穂」、護国寺「群林堂」だそうで、「松島屋」は予約しておかないと買えないと聞いていた、受け取っている人もいたが、直前に電話した人は駄目だったようだ。 我が家で豆大福といえば、虎ノ門の岡埜榮泉だけれど…。 旧高松宮邸の界隈に、かつて虎屋という和菓子屋があって、赤坂や銀座の「とらや黒川」と関係ないので、地元の人は「にせ虎」と呼んでいると、ご近所生れの銀行の支店長に聞いたことがあった。 今は、閉店したようだ。

 高輪消防署二本榎出張所と高輪警察署の少し手前で、私は明治学院中学に通ったという話をしていたら、岡部健二さんが、左手の承教寺にハナブサイッチョウの墓があると言う。 当時、高輪警察の前は、明学の隣の意だろう明隣堂という本屋さんだったが、今はビルの名に残っているだけだ。 ハナブサイッチョウ、聞いたことはあるが、どんな人だったか、その時は浮かんでこなかった。

 雑誌『サライ』3月号の第409回「難航 十字語判断」クロスワード・パズルに、「綱吉の頃の画家。幕府の怒りに触れ三宅島に流罪となり、赦免後に――(9文字)と改名。俳諧をよくし芭蕉や其角とも交友があった。『布晒(ぬのさらし)舞図』『四季日待図巻』」という問題があった。 答を入れていくと、これが「ハナブサイツチヨウ」となった。 『サライ』の「難航 十字語判断」だが、それにはまって「等々力短信」第864号(平成11年12月25日)に「1999年末クロスワード・パズル」というのを書き、自作の問題まで作っているのが、私家本『五の日の手紙 4』370~373頁にある。 以来23年も、ずっとやっていることになる。

 そこでハナブサイッチョウ、英一蝶だが、1652~1724、江戸前期の画家。 英派の祖。 医師多賀伯庵の子として京都に生まれる。 幼名猪三郎、諱(いみな)は信香(のぶか)、字(あざな)は君受(くんじゅ)、剃髪して朝湖(ちょうこ)と称した。 翠蓑翁(すいさおう)、隣樵庵(りんしょうあん)、北窓翁などと号し、俳号に暁雲(ぎょううん)、夕寥(せきりょう)があった。 1659(万治2)年ごろ江戸へ下り、絵を狩野安信に学んだが、いたずらに粉本制作を繰り返し創造性を失った当時の狩野派に飽き足らず、岩佐又兵衛や菱川師宣によって開かれた新興の都市風俗画の世界に新生面を切り開いた。 機知的な主題解釈と構図、洒脱な描写を特色とする異色の風俗画家として成功。 かたわら芭蕉に師事して俳諧もよくした。 1698(元禄11)年幕府の怒りに触れ三宅島に流されたが、1709(宝永6)年将軍代替りの大赦により江戸へ帰り、画名を多賀朝湖から英一蝶と改名した。 晩年はしだいに風俗画を離れ、狩野派風の花鳥画や山水画も描いたが、終生俳諧に培われた軽妙洒脱な機知性を失うことはなかった。 代表作に、いわゆる「島(しま)一蝶」として珍重される三宅島配流時代の作品《四季日待図巻》(出光美術館)や《吉原風俗図鑑》(サントリー美術館)、《布晒舞図(ぬのざらし)まいず》(埼玉・遠山記念館)などがある。(『日本百科全書』榊原悟) 遠山記念館は、昨年3月に三田あるこう会で行った。(遠山記念館で「雛の世界」展を見る<小人閑居日記 2023.3.17.>)

 俵元昭さんの『港区史蹟散歩』(学生社)には、流罪の原因を元禄11(1698)年『当世百人一首』『浅妻船』の図などが将軍幕府を風刺したからとある。 三宅在島11年、58歳で許され、赦免の報に蝶が飛ぶのを見て一蝶と号し、宝永6(1709)年江戸に帰った。 土佐派を折衷した技法で人気に投じた。 享保9(1724)年73歳で死去。 承教寺(高輪二-8-2)は、本堂前の墓碑(都旧跡)に画家らしい辞世「まぎらはす浮き世のわざの色どりもありとや月の薄墨の空」があり、数少ない一蝶の仏画、細密謹厳な筆法の《釈迦如来画像》一幅(区指定文化財)を所蔵する。

お節料理の「田作り」「ごまめ」考2024/01/07 07:26

 お節料理、俳句の季題で重詰めのものを「食積(くいつみ)」というのを知ったのは、ここ数年のことだ。 お節のなかで、人気がなくて、終わりまで残っている、「田作り」「ごまめ」と呼ぶのがある。 カタクチイワシの幼魚(鯷(ひしこ))を干したもの、また、それを炒って、砂糖・醤油・みりんを煮詰めた汁の中に入れてからませたもの。

 なぜ、「田作り」というのか、という「チコちゃん」のような疑問が頭をかすめた。 江戸時代、イワシを干したのを「干鰯(ほしか)」と呼んで肥料にしていたのは聞いたことがあったから、それで「田作り」というのではないかと、連想した。

 辞書で「田作り」を見ると、「ごまめ。昔、田の肥料にしたことからの名という。正月の祝い肴(さかな)にする。」とあって、予想が当たってニヤッとする。 その辞書はさらに、[季 新年]として正岡子規の<田作りや庵の肴も海のもの>が引いてあった。 季題だったのだ。 「ごまめ」も見る。 鱓という字を書く。 「ことのばら」ともいうようだ。 こちらには、松根東洋城の[季 新年]<噛み噛むや歯切れこまかに鱓の香>が引いてある。

 そこで『角川俳句大歳時記』にあたる。 [新年]田作【たづくり】の立項で、傍題に「五万米(ごまめ)」「小殿原(ことのばら)」。 解説「鯷(ひしこ)(カタクチイワシの幼魚)の乾燥したものを炒って飴煮にしたもの。田作りという語源は田の肥料にしたことから、豊作を祈念して五万米といい、武家では、小さいながらもお頭がついていることから小殿原とよんだ。正月に欠かせないお節料理の一つである。(岩淵喜代子)」

 「考証」には、「鱓(ことのばら)」「韶陽魚(ごまめ)」「伍真米(ごまめ)」「小殿腹と称して、子孫繁栄の義を祝するなり」「鮎の至つて小さきものを韶陽魚と称して、俗に〈ごまめ〉といふものなり。その源、押鮎より起れるならし」などの表記や記述がある。

以下のような例句があった。

臆せずも海老に並ぶや小殿原       一箕
田づくりや鯷の秋をむかし顔        士巧
自嘲して五万米の歯ぎしりといふ言葉  富安風生
田作りや碌々として弟子一人        安住 敦
ごまめ噛む歯のみ健やか幸とせむ    細川加賀
田作りやむかし九人の子沢山       岬 雪夫
田作を噛みて名前の忘れ初め       榎本好宏
百歳まで生くるてふ夫ごまめ噛む     村山たかゑ
片隅にごまめの目玉ひしめきて      塩野典子
田作や昭和と同じ齢重ね          宮武章之
姉が来てごまめ作りをはじめけり     小圷健水

令和五年『夏潮』「雑詠」掲載句2024/01/01 08:02

 明けましておめでとうございます。 まず、大晦日年越しクイズの、答は「ちまき」。 「ちかき」のあいだに「か」はならず、「ま」入りまする、で「ちまき」。 そこで、元日の恒例になった昨年の『夏潮』「雑詠」掲載句を、お笑い草にご覧に入れることにしたい。

    一月号
コスモスも御接待なる遍路道
ディスプレイ夜業の顔を照らし出し
    二月号
末枯や何かと傘寿鼻にかけ
徒然に檸檬転がす掌
強さうなぬすびとはぎも末枯れて
   三月号
ポインセチア閑居一隅明るくし
冬ざれの八十路の坂の嶮しかり
   四月号
そそり立つメタセコイアに月の冴ゆ
冬の月ルオーの街を照らしをり
ケータイに友の訃報や冬の月
数へ日ののどか賀状も出し終へて
   五月号
ロゼットの蒲公英花を上げんとす
江戸からの上水に沿ひ冬の草
はちやめちやの新作落語笑ひ初め
   六月号
(締め切り遅れ掲載無し)
   七月号
静けさをまとひて立てる山桜
夕まぐれ棚田に茅花吹かるるよ
卒業の子ら手をつなぎ青き踏む
 (前号追加)
春の海ゆるり休めと言ふ如く
まんまるに門の白梅刈り込まれ
    八月号
麗らかや芝生に円くジャズ囲む
白牡丹男鰥の塀際に
ネモフィアの太平洋へなだれこみ
    九月号
紫陽花に音なく雨の降りかかる
鬼灯の律儀に花を開きをり
今年また歯医者に通ふ梅雨の頃
    十月号
沖の島見ゆる高さに簾巻き
西向きの安アパートや青簾
温泉の桶音響き伊予簾
    十一月号
暑い暑いとなまけ心を甘やかし
土用鰻ふんはりが好き江戸風の
    十二月号
笹舟の形の器水羊羹
いつの間に莟立ち上げ玉すだれ