着物を着て自転車に乗る2024/07/27 07:06

雑誌『サライ』のクロスワードパズル「十字語判断」、8月号のカギに五字で「着物の裏側、尻が当たる部分に補強のために付ける布地。尻当て」という問題があって、まったく知らなかった。 周りから埋めていって、「イシキアテ」となった。 居敷当。

京都の町は自転車での移動が断然便利だと、着物を着て自転車に乗って、走り回っている通崎睦美さんの本にも「居敷あて」が出てきた。 着物に自転車で、一番大事なのは、座り方。 一度、ふと気が付くと、おしりのところの縫い目がほころびていた。 出先では、恥ずかしいので、先に告白した。 知人は爆笑して、糸と針を貸そうといってくれたが、そそくさと用事を済ませると、そのまま自転車に乗って帰った。 一度もサドルから降りなければ、おしりの裂け目はばれることはない。

学んだ事は、着物で自転車に乗る時は、ぴたっと着付けすぎない。 そして、腰掛ける時は、おしりの縫い目に気をくばる。 「居敷あて」と呼ばれる、おしりの部分への裏からのあて布をしておくと、さらに安心だ。 今、ここ「おしりの部分への裏」をパソコンで打ったら、「おしりの部分屁の裏」と変換した。 通崎睦美さんには、内緒だ。

 着物の袖丈も、問題の一つ、だそうだ。 ある時、袖丈一尺七寸の着物で自転車に乗ったら、いつもの袖丈一尺三寸の着物なら、なんでもないのに、四寸の違いで、袖は風にあおられ、バタバタとひるがえる。 道端の看板や、止めてある自転車のハンドルに引っ掛かりそうになるのだ。 これは、かなり危険。

 ある夏の日、知人が捨てるのはもったいないからもらってくれるかと、数枚の着物を送ってくれた。 なかに、黒地に細い縦縞の、麻の男物が入っていて、これは、いけそう、と洋服の上に羽織ってみた。 その瞬間、計らずも新しいコーディネートが誕生した。 Tシャツと短パンの上に男物の着物を着、それそのままに角帯をしめれば出来上がりである。

 その姿で、自転車に乗って出かけてみた。 麻で全身が覆われているから、直射日光に当たらなくてすむ、身体と着物との空間に風の流れを感じることができ、とても快適。 その上、紐を一本も使っていないから、家に帰れば、ジャケットを脱ぐように着物を脱いで、そのまま仕事ができる。 すっかり、この合理的なコーディネートに、はまってしまった。

 黒が一着あるから、次はうす色がいいかと、男物の着物を探し、見るからに涼しそうな、生成りの小千谷縮(おぢやちぢみ)を求めた。 家に帰って、いつもの通りに羽織って、鏡の前に立ってみた。 すると、問題が発覚。 うす色の着物の場合、中が透けて見えるのだ。 いかにも中に洋服を着ているというのは、美しくない。 黒いスパッツを試してみても足がにょきっと目立つし、白いスパッツをはくとおしりのラインまでくっきりうつる。 困ったなあ、こんな時男の人はどうしているのか、と考えたら、思いついた。 「ステテコ」だ。

 女物のステテコは、和装下着の専門店に、ちゃんと揃っていて、綿のも麻のもある。 とりあえず安い綿のステテコにして、その上にたっぷりとした白っぽいシャツを着て、くだんの着物を羽織ってみる。 これはいける。 このコーディネートで、町に出た。 ステテコのおかげで気分はすっかりオトコだ。 「丸善」で万年筆のインクを物色していると、三文文士のような気分になってきた。 気軽さと楽しさと着心地の良さで、この「ステテコスタイル」に勝る「真夏のカジュアル」はない。

祇園祭の厄除けお粽、和菓子屋三種、おけら詣り2024/07/26 07:03

 通崎睦美著『天使突破一丁目―着物と自転車と』(淡交社・2002年初版刊行)から、京都のことを、もう少し書く。 京都の方、といっても市内でなく、府内の方だが、祇園祭の厄除けお粽「鶏鉾厄除御粽」をいただいたことがあった。(「蘇民将来之子孫也」<小人閑居日記 2008.7.21.>) 通崎睦美さんの本に、浴衣を着たお札(ふだ)売りの子供達が声を合わせて繰り返す、歌声が出ている。 各鉾町によって歌詞や微妙な節回しの違いがあるそうだが…。

 「厄よけ火よけのお粽は これよりでます つねはでません今晩かぎり ご信心のおん方さまは うけてお帰りなされましょう おろうそく一ちょう 献じられましょう」

 京都の町の中には千件を超える和菓子を扱う店があるが、一般的に、扱う品物の違いによって、三つの分類が人々の間に浸透している、という。 お餅、赤飯をメインとしながらお饅頭も売る「おもちやさん」、多種類の饅頭や餅菓子を並べる「おまんやさん」、そしてお茶席で使う上菓子を扱う「菓子司(かしつかさ)」。 この「菓子司」が普段は「お菓子やさん」と呼ばれている。 睦美さんの家から一番近い「おもちやさん」は、「小島餅本店」、一番近い「菓子司」は、お茶人さんの間での評判も高い「末富(すえとみ)」。 それぞれのおじさんを呼ぶときは、「小島のおっちゃん」、「末富さんのご主人」となる。 三種の店には、そういうニュアンスの違いがある。

 大晦日から元旦にかけて、祇園の八坂神社にお詣りする。 境内で買った縄に、本殿前のおけら灯籠からおけら火をいただき、火が消えないように縄をくるくる回しながら、家に持ち帰る。 そして、その火を神棚の灯明に灯したり、雑煮を炊く時に用いるなどして無病息災を願い、新年を祝う。 これが、京都で古くから行われているお正月を迎える行事、おけら詣りである。

 おけら火のもとの火は、一年中絶やすことのない御神火として本殿に灯される浄火。 毎年十二月二十八日の寅の刻、午前四時に鑽火式(ひきりしき)を行い、身を清めた権宮司が、古式に従い檜の火鑽り杵(ひきりきね)と火鑽り臼をこすり合わせて、鑽りだす。 この日が大晦日の除夜祭で、削り掛けの木片(檜の削りくず)に移され、参拝者が願い事を書いて奉納したおけら木とおけらの根をまぜ、鉄灯籠で炊かれる。 ちなみに、おけらとはキク科の植物で、健胃の薬草として知られ、邪気を祓う力があるとされている。

 燃え残った縄は、台所に祀っておくと、火伏のお守りになる。 浄火を移す檜の削りくずは、老舗の箸店、市原平兵衛商店で檜箸を作る時に出る削り屑で、毎年、事始めの日に納められるのだそうだ。

『題名のない音楽会』、雅楽由来の言葉<等々力短信 第1181号 2024(令和6).7.25.>2024/07/25 07:10

 クラシック音楽には、高校同級生のチェロ弾きがいる上野浅草フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会に行く以外、ほとんど縁がないのだけれど、テレビ朝日、土曜朝10時の『題名のない音楽会』は、昔から見ている。 黛敏郎の司会で始まったのは1964年8月というから、大学を卒業した年だ。 司会は、永六輔、武田鉄矢、羽田健太郎、佐渡裕、五嶋龍と来て、2017年4月から今の石丸幹二になっている。 最近では、ヴァンオリンの葉加瀬太郎「プロ塾」でプロのコメントの凄さに驚き、子供の頃に指揮することを希望して出たことがあったというピアノの反田恭平の会社組織の多彩な活動や結婚を知り、ピアノの藤田真央の柔らかいタッチと人柄に感心したりしている。

 先日、珍しく「雅楽」をテーマにした回があり、雅楽芸人カニササレアヤコを知った。 早稲田大学文化構想学部卒、在学中はお笑いサークルで活動、「R-1グランプリ」に東儀秀樹さんのものまねでファイナリストになる。 2022年4月東京芸術大学音楽学部邦楽科雅楽専攻に進学、経済誌Forbes JAPANで「世界を変える30歳未満の30人」に選ばれたという。 今回は雅楽専攻の仲間との演奏で、本人は管楽器の笙(しょう)を担当、笙は湿ると音が変わるので絶えず乾かす必要があると、炙り続けていた。

話題は、雅楽由来の日本語があるということだった。 諸説あるらしいが…。

「音頭」「音頭をとる」は、それぞれの楽器のパートリーダーが、調子をそろえるために、初めの部分を一人で演奏すること。 オーケストラの音合わせのように。

「塩梅(あんばい)」は、篳篥(ひちりき)で塩梅(えんばい)という、なだらかに息づかいで音を変える演奏法から来ている。 奏者は指孔に手を触れていなかった。

「野暮(やぼ)」。 笙(しょう)は長短17本の竹管が立ち、木製椀型の頭(かしら)にある吹口から吹き、または吸って鳴らす。 17本の内、15本には指孔があるが、2本は音が出ない、17本にはそれぞれの名前があり、この2本の名は「也」と「毛」という。 無音の「やもう」が、「やぼ」となったという。 無粋、無骨、無風流。

「やたら」。 みだり、むやみを意味する言葉。 雅楽はほとんど4拍子なのだが、夜多羅拍子(やたらびょうし)という舞に合わせる4拍子の曲がある。 「千秋楽」。 法会などの最後に演奏される雅楽の曲名から来た。 哀調のある曲で、平安中期の後三条天皇の大嘗祭に監物頼吉(けんもつよりよし)がつくったという。

雅楽は、国風歌舞(くにぶりのうたまい)、外来楽舞、歌物(うたいもの)に大別される。 それぞれ、日本古来の皇室系・神道系の祭祀用歌舞、平安初期までに伝来した唐楽と高麗楽、平安中期頃成立の饗宴用楽舞。 かなり古いことは確かだ。

京都の老舗あれこれ、着物のコーディネート2024/07/24 06:53

 通崎睦美さんは、京都には、老舗の風格が漂う「今昔西村」をはじめ、結構な数の古着屋さんがあって、店主の「目」を感じることができるという。 睦美さんが通いつめているのは、東山三条にある「裂(きれ)・菅野(すがの)」、店主の菅野伸子さんを勝手に師と仰いで、勝手になついているそうだ。

 自分は古道具屋でみつけた扇子を使っているが、プレゼントのお扇子は、やっぱり「宮脇売扇庵」で買い求める。 お客さんがあるというと、麩は「麩嘉(ふうか)」まで買いに行こうか、漬け物はどこにしよう、と自然に老舗の看板が頭に浮かぶ。 考えてみれば、京都は老舗でなくても上質なものが手に入りやすいうえに、老舗は「そのへん」にある。

 老舗は「せめて百年でないとね」と、よく耳にするが、創業百年以上の店が京都の街には軽く五百軒を超えるという。 「とらや」は、1600年頃には、すでに菓子業を営んでいた記録があり、お店のいろいろに使われている虎の絵のことをたずねたら、うちが鉄斎さんに間貸しをしていたことがありましてね、ときた。 「宮脇売扇庵」の扇面画をちりばめた格天井も、明治京都画壇の作品がずらり、富岡鉄斎、竹内栖鳳、山元春挙等々が並んでいる。

 着物に興味を持ち始めた頃、弘法さんの市で、とても雰囲気のある下駄が目にとまって、買った。 家で早速履いてみようとしたが、鼻緒がきつくてどうにも足が入らない。 行きつけの店はないし、デパートでは直してもらえそうにない。 思いついたのが、四条河原町の「伊と忠」、老舗履物店として雑誌などによく登場している店だ。 遠慮がちに風呂敷包みをといて下駄を出すと、奥から出てきた番頭さんが「へぇ、桐の柾目のいい下駄ですね、今ではなかなか手に入りませんよ。どうしはったんですか。」と声をかけてくれた。 それですっかり気持がほぐれ、たくさんの伊と忠製鼻緒の中から、黒と茶の縦縞のものを選び、その場で新しいものにすげ替えてもらった。

 変わった図柄の色足袋・がら足袋を履いて歩いていると、着物好きの人からよく声をかけられる。 「へぇ、めずらしい足袋。御誂えでしょ。」 ほとんどが誂えではなく既製品。 実は、東京で買う、向島の「めうやが」、江戸の老舗が並ぶデパートの催事で出会った。

 アサヒビールが主催する文化講座で、「アンティークきものの世界~きこなすアート」という話をした。 着物の図案をアートとしてとらえる。 152~153頁に、「銘仙のきもの」の写真がある。 大正から昭和初期、図案を「デザイン」としてとらえ始めた頃の、気迫や楽しみが見える着物だ。 講師だから「かしこそうに見える」コーディネートの着物にした。 箪笥の中から、からし色の無地に、蜘蛛の巣文様が描いてある錦紗の着物を選びだした。 地味な色目ながら、蜘蛛の巣文様というひねりがいい。 あまりさみしいのもよくないかと、帯はピカソを思わせるような派手めなものを合わせてみた。

 ところが後日、ある本にこう書いてあった。 「蜘蛛の巣の糸が張られた意匠は、よい鴨がひっかかりますように、と花柳界の女性が好んで着た着物。」

古い着物に目覚める、弘法さんと天神さんの骨董市2024/07/23 07:01

 梅棹忠夫さんの『京都の精神』(角川選書)に、「京都には七五三という風習はない。戦後は神社とデパートなどの宣伝にのせられ、七五三という人も出てきたが、それは関東方面からの移住者目あての、商業上の戦略からはじまったのであろう。(中略)破魔矢、千歳あめもみかけない。(中略)京都に特徴的なのは、十三詣りである。」とあるそうだ。

通崎睦美さんは、無理矢理着物を着せられた「十三詣り」以来、着物はもうこりごりだと思っていた。 ところがある日、箪笥から出てきた、大正生まれの伯母の形見の着物と出会い、突然着物に目覚めた、というのだ。 大胆な構図に斬新な色遣い。 とにかくそこには、「着たい!」と思わせるものがあった。 20代半ばになって、着物との関係は、着たいから着る、という全く単純な理由で再スタートした。 家にあるものだけには飽き足らず、伯母の着物に似合う帯、伯母の帯に合う着物と、ひとつひとつ買い足していくうちに、ふと気がつくと、睦美さんのまわりはアンティークの着物でいっぱいになっていた。 自分の感覚だけを頼りに着たい着物を探していると、なぜか昭和初期を中心とする古い着物に落ち着いていった。 この時代の着物を見ていると、職人さんの巧みな技、そのなにげなさがうれしくなる。 そして、えもいわれぬセンスに、「ちょっと憎いな」とほくそ笑むのだ、という。

睦美さんは、毎月二十一日と二十五日は、しみじみ京都に住んでいて本当によかったなぁ、と思う。 東寺の弘法さん(毎月二十一日)と、北野天満宮の天神さん(毎月二十五日)の骨董市があるからだ。 着物や帯を買う目的で骨董市に出入りするようになって、それらの店の場所と特徴を覚えた。 やがて余裕が出てくると、着物だけでなく、帯締め、帯留めなど着物関係の小物類にも目がとまるようになる。 そうなると、道具屋さんの店先をのぞいて、箪笥や小ひき出しをちょこちょこと調達しだす。 そのうち、箪笥の横にある雑器も気になり、手にとってみる。 一枚ずつ微妙に異なる絵付けが新鮮で、一度古いお皿を使ってみようか、となってくる。 そんな風に、ここ数年で、生活のなかにじわじわ古物(ふるもの)が入り込んできた。

古物の楽しみ方は、ひとそれぞれ、気軽に買って、気軽に使うのが楽しい。 眺めたりしまい込むものより、ひたすら実用中心だ。 睦美さんが買うのは、価値の高い骨董品ではなく、皿やカバンを始めとする、普段使いの生活用品、それも、日本の昭和初期あたりのものが中心だ。 贋作すらないので、目利きである必要はない。 せいぜい三つのことを身に点ければ、失敗せずに、手に入れられる。

まず「明治以前」「大正から昭和初期」「戦後間もなくから70年代」「ここ30年」、このスパンで時代を見るちょっとした知識。 それから、欠けていないか、割れがないか等、状態をチェックする注意力。 そして、大事なのは、自分のセンスを意識すること。 この三つを身に付けた上で、さらに必要なのは、面白い物を探し当てるぞ、という気力、執念である。