目標を立て、そのために何をするか、を書く2023/05/09 06:53

 3月8日の朝日新聞朝刊「名将メソッド」が、花巻東高校野球部の佐々木洋監督だった。 見出しは、「「何をするか」具体的に、期限設定。自ら奮い立たせる言葉を」だった。 佐々木洋さん(47)は、1975(昭和50)年というから「等々力短信」(の前身「広尾短信」)と同じ年の岩手県北上市出身、黒沢尻北高から国士館大学へ進み、捕手で、プロ野球選手になりたい、高校野球の指導者もいいな、そんな夢を思い描いていた。 しかし芽が出ず、2年生のとき、野球部の寮を退寮させられた。 自分は一体、何をしているんだ、何をしたかったんだ。 自分の進むべき道に迷って悩んでいて、ふと入った書店で手にした一冊の本に、人生を開くヒントがあったという。

 「思考は現実化する」とあり、「夢と目標は違う」「目標には数字と期限がある」ともあった。 「目標は書け」とあったので、人生で初めて手帳を買って、書いた。 「28歳で甲子園に出る」と。 自分のやるべきことがはっきりとした。 そして、逃げ場もなくなった。

 目標を立て、そのためにすべきことを考え、自分の進むべき道を明確にする。 この方法に行き着いたのは、自分の20歳の苦い体験からだった。

 花巻東高校野球部では、部員全員が必ずすることがある。 目標を立てるのだ。 81マスの設定シートに記入する。 3×3=9マスの真ん中に最終目標、その周囲の8マスに「そのために何をするか」を書く。 これは中間目標、その周りもマスで囲い、「何をするか」を書いていく。 ポイントは、具体的な内容であることと、期限を設けることだ。

 菊池雄星(ブルージエィズ)の最終目標は「高卒でドジャース入団」だった。 中間目標には、「甲子園で優勝」「MAX155(キロ)」などとあり、155キロを出すためには「フルスクワットで140キロ」と記していた。

 設定シート以外にも、自分を奮い立たせる言葉で埋めた自作のポスターを作らせた。 大谷翔平(エンゼルス)は「世界最高のプレーヤーになる」と書いたことがあったが、2021年にアメリカン・リーグの最優秀選手に選ばれたのは、偶然ではないと思っている、という。

 生徒によく伝える、好きな言葉がある。 米国の教育者、ベンジャミン・メイズの、「人生の悲劇は目標を達成しないことではなく、目標を持たないことである」。 佐々木洋監督が、生徒や部長、コーチたちとともに、初めて甲子園に出たのは、2005年の夏、30歳のときだった。

「大谷翔平の魔法の81マス」2023/05/08 06:55

 大谷翔平選手の「マンダラート」<小人閑居日記 2018.4.26.>というのを書いていた。 これも、「羽鳥慎一モーニングショー」だった。

 「大谷翔平の魔法の81マス」を、テレ朝の「羽鳥慎一モーニングショー」(4月10日)で見た。 花巻東高校野球部の佐々木洋監督は「マンダラート」の方法を使って、1年生に「達成するための目標」を書かせるのだそうだ。 「81マス」というのは、まず中心となる大目標の「マンダラート」を埋め、その8マスを八方の「マンダラート」の中心に展開して、それぞれの「マンダラート」を埋めていく。 9マス×9で「81マス」になるわけだ。

 1年生大谷翔平選手は、「マンダラート」の大目標を「ドラ1・8球団」、つまり高校卒業時に8球団からドラフト1位に指名されることに置き、周囲の8マスを「体作り」「コントロール」「キレ」「スピード160km/h」「変化球」「運」「人間性」「メンタル」とした。 凄いのは、「運」「人間性」「メンタル」と書いていることだ。 高校1年生の野球選手が、こんなことを目標にするだろうか。

 「運」の「マンダラート」8マスに、どんなことを書いているか。 「あいさつ」「ゴミ拾い」「部屋掃除」「審判さんへの態度」「本を読む」「応援される人間になる」「プラス思考」「道具を大切に使う」。

 「人間性」の「マンダラート」8マスには、「感性」「愛される人間」「仲間を思いやる心」「感謝」「継続力」「信頼される人間」「礼儀」「思いやり」。

「メンタル」の「マンダラート」8マスには、「はっきりした目標、目的をもつ」「一喜一憂しない」「頭は冷静に、心は熱く」「雰囲気に流されない」「仲間を思いやる心」「勝利への執念」「波を作らない」「ピンチに強い」。

こうした心掛けが、インタビューを聞いていても、いつも冷静で、一喜一憂しない姿勢、ファンからもチームメートからも愛されている、好青年をつくったのだろう。 「仲間を思いやる心」が、二か所に出てくるのが、微笑ましい。

凄腕リサーチャー、喜多あおいさん2023/04/20 07:01

 「凄腕(スゴウデ)しごとにん」というページが、月曜の朝日新聞夕刊にある。 4月3日は、一昨日のコラム「売れてる本」の筆者・喜多あおいさん(58)、「調べ物で関わった番組【約600本】」だった。 肩書はズノー執行役員・リサーチャー。 プロフィルに、94年、放送作家事務所「オンリーユー」でリサーチャーとして活動開始。98年に番組制作会社「ジーワン」(合併で現ズノー)に移り、2012年より現職とある。

 テレビ業界の縁の下の力持ち、番組の調べ物を担うリサーチャーは1990年代に専門職として確立した。 喜多あおいさんは、その頃から活躍する一人として、「なるほど!ザ・ワールド」「日曜日の初耳学」「家売るオンナ」「ファミリーヒストリー」「THE TIME.」「カズレーザーと学ぶ。」など多くの番組に関わってきた。 その数、約600本。 放送界で功績をあげた女性に贈られる「放送ウーマン賞」を、2014年度に受賞した。

 テレビのほか、映画や企業マーケティングなどの依頼も含め、常時並行して15件ほどの調査を抱え、毎日何らかの締め切りを迎える。 増え続ける依頼に対応するため、調査チームを組んで指揮をとる仕事も増えている。

 辞書、書籍、新聞、雑誌、インターネット、SNS、時にリアルな取材も含めた調査を重ねる。 番組で出る情報のファクトチェックやトレンド分析、出演者の親類縁者をたどっていくような調査は、リサーチャーとしての典型的な仕事だ。

 歴史も科学もエンターテインメントも、あらゆるジャンルを守備範囲とするのは業界のなかでも、そう多くない。 提案した調査結果から、リアルなドラマが生まれたり、深みのある情報番組が出来たりして、依頼人のクリエーティブのスイッチを押すことになれば、最高の結果だ。

 20代の頃からは、いろいろな仕事を経験した。 出版社では、ダイレクトメールを発送するのに、想定される問い合わせと答えを作り続けた。 新聞社では、記事のデータベースを構築した。 大物作家の秘書の時代は、取材や口述筆記を担当した。 「どれも今の仕事につながる楽しい仕事だったけれど、もっと誰かのために調べ物をしたいという思いが消えなかった」と振り返っている。

 調べ物の基本は、何をおいてもまず辞書、事典、図鑑から。 「索引」付きの本を収集する癖があり、3千冊の蔵書を持つ。 世の中の風を感じるための大型書店巡りや百貨店めぐりは日課。 「調査依頼を反芻(はんすう)してその場に行くと、バンバン情報が飛んでくる。心理学でいうところのカラーバス効果です」。

 「カラーバス効果」とは、色を浴びる、ある特定のものを意識し始めると、関連情報が自然に目に留まりやすく、目に飛び込んでくる心理効果。 アンテナを張っていると、そういうことが起こるのは、48年間「等々力短信」を続けている私もしばしば経験していることだ。

国立国会図書館の「デジタルコレクション」サービス2023/04/19 06:43

たまたま、『三田評論』4月号の「執筆ノート」に、小林昌樹さんが『調べる技術 国会図書館秘伝のレファレンス・チップス』(皓星社)を書いていた。 肩書は近代出版研究所所長・塾員。 国立国会図書館(NDL)を2021年に早期退職したのは、出版史や読書史を研究しようと思ったからで、塾の非常勤講師をしつつ、週一回神保町の出版社、皓星社に顔を出すことにした。 そこでは近代出版研究会を開催し、2022年4月に『近代出版研究』という年刊の研究同人誌を発刊した。 『調べる技術』は、皓星社の社長に自社のメルマガに何か連載を書いてほしいと言われ、NDL人文課で毎日やっていたルーチン、調べもののノウハウを書き出したものだった。

当初買ってくれたのは、ライター、校正者など、調べものを仕事にする人々だったらしいが、昨年末、有名書店で週間ベストセラーになって、とても驚いた。 想定に反し、ビジネス書として売れたのだった。 卒論書きの学部生、院生にも役立つはずだ。 実は『調べる技術』発行直後、NDLの重要データベース「デジタルコレクション」が大拡大された。 戦前図書や官報がメインだが、家の隣に帝国図書館が建ったようなもの。 日本の人文社会系学問が書き換わってしまうので、あわてて、「大検索時代のレファレンス・チップス」と題して、下記のメルマガ連載を再開したところだという。 https://www.libro-koseisha.co.jp/webcolumn_category/mail-reference-tips-daikensaku/

余談だが、「チップスtips」を辞書で引いてみた。 ヒント、秘訣、知恵。

そういえば、朝日新聞俳壇歌壇の「うたをよむ」2022年12月4日に、俳人の浅川芳直さんが「古くても新鮮」で、2022年に開始された国立国会図書館「デジタルコレクション」の個人向けデジタル化資料送信サービスで、河東碧梧桐の高弟、安斎桜磈子(おうかいし)(1886~1953)の資料を探した話があった。 <雨雲を角(つの)に去(い)なしぬ蝸牛(かたつむり) 桜磈子>

小林昌樹著『調べる技術 国会図書館秘伝のレファレンス・チップス』2023/04/18 06:58

 若い時から「調べる技術」に興味があった。

「知識には二種類ある。自分で何かを知っているか。知りたいものについて何を調べたらいいかを知っているか。」――サミュエル・ジョンソン

 学生時代に読んだ図書館学の藤川正信さんの、『第二の知識の本』(新潮社ポケット・ライブラリ)という題の本の扉に記されていた、この言葉を忘れることができない。 以来、自分で何かを知っているほうの努力は、もっぱら省力化して、どこを調べたら情報が出て来るかだけ、おぼえておくことにした。 これは気が楽だ。 その後、アメリカの学校図書館を視察してきた人が「『学力をつける』ことは知識をつめ込むことではない。文字通り『学ぶ力をつける』こと、自学能力を高めること」と考えて教育しているアメリカでは「図書館の使い方がほんとうに子供たちの身についている」と書いていたのに、わが意を得た。

 それで、レファレンス・ブックに関心を持ち、徳島県立図書館司書で、『わがモラエス伝』(河出書房新社・1966年10月)を書かれた佃實夫さんの『文献探索学入門』(思想の科学社・1969年7月)などという本も持っていた。

 近年、「調べる」ことは、もっぱらインターネットの検索に頼っていて、レファレンス・ブックなどは「古い」ものになったのかと思っていた。 ところがどっこい、小林昌樹著『調べる技術 国会図書館秘伝のレファレンス・チップス』(皓星社)が「売れてる本」だという(2月18日朝日新聞読書欄)。

このコラムを書いたのは、「調べた情報」をテレビ番組などに提供するリサーチャーの喜多あおいさんだ。 「調べ物においてキチンと答えを出す」には「情報源」を制するのが近道。 「検索語」だけに頼っていては雑多な情報の中で迷子になるばかりである、という。 リサーチャーは「情報源」が生命線なので、仕事柄、司書のレファレンス(調べ物相談)に助けられた経験は多い。 特に著名人の家族史をたどる番組(おそらくNHKの「ファミリーヒストリー」)の取材では、秋田・京都……多くの地域図書館で、調査に活路を見いだしてもらった。 「アタリをつける」勘どころがすごい。 それが筆者・小林昌樹さんのような膨大な資料と対峙する国会図書館司書であれば、そのテクニックの集積も更にすさまじかろう。 この本にはそんな秘伝・奥義が、巻末の「索引」にズラリと並んでいる。 例えば、「ドキュバース(文章宇宙)」、「アイドル研究」、オリジナル技法の「わらしべ長者法」、「全米が泣いた」、「なぜこの本で?」。 この本で、多彩な「参照すべき情報源」と邂逅(かいこう)できる。 多数の固有名詞の採録は、実用書のみならず、「調べもの史」の読み物としてもとても面白かった、という。