美海さんのブログ「気がつけば82歳」止まったまま2024/02/19 06:58

 朝日ネットの美海(みみ)さんのブログ「気がつけば82歳」が、95歳の一昨年10月14日の「たくさんのコメント有難うございます。」で止まったままになっている。 長く、朝日ネットのブログランキングで1位になることが多かった、大人気のブログである。 2014年には、幻冬舎から単行本『86歳のブロガーの毎日がハッピー毎日が宝物』も出版された。

その後、どうなさっているのだろうか。 お子さんたちや、朝日ネットの関係者から、何らかの方法で状況をお知らせいただくことはできないのだろうか。

 気がつけば、私も82歳、もうすぐ83歳になり、毎日このブログ「轟亭の小人閑居日記」を書いている。 その最後の発信が、「気がつけば82歳」と同じように、突然途絶えて、どうなっているのかわからなくなる日が来るのであろうか。 美海(みみ)さんのことを心配しつつ、そんなことを思うのである。

 私は『86歳のブロガーの毎日がハッピー毎日が宝物』を読んで、「轟亭の小人閑居日記」に下記を書いていた。
MIMIさんとの出会い<小人閑居日記 2014.6.14.>
違いがわかる男の「ブログ・ランキング」<小人閑居日記 2014.6.15.>
昭和の思い出、戦前から戦争直後<小人閑居日記 2014.6.16.>
「好奇心」は人生最大の楽しみ<小人閑居日記 2014.6.17.>

ボーーッとしている時、アイデアを思いつく?2023/12/30 07:03

 いつだったか、「チコちゃんに叱られる!」で、「ボーーッとしている時、アイデアを思いつくのは、なぜか?」というのをやっていた。 机に座って、アイデアをひねり出そうなどと踏ん張っている時には出てこないで、外を歩いている時などに、ふとアイデアが浮かんで来るというのである。 当方、もっぱら「ボーーッとしている時」が多いので、これは有難いと思った。

 「デフォルトモード・ネットワーク」というのがあるそうだ。 例えば、車でエンジンはかかっているが、走っていない状態。 記憶の整理は、脳の前頭前野という場所で行っている。 記憶の保管場所は大脳皮質にあり、そこから前頭前野に記憶を取り出すことになる。 緑の中にいたり、手足を使ったりしている(デフォルトモード)と、勝手に記憶を取り出すので、あらゆる記憶が結びつく(ネットワーク)のだという。 それが机上では、平凡なアイデアしか生まれない。

 前頭前野は、ワーキングメモリー、反応抑制、行動の切り替え、プランニング、推論などの認知・実行機能を担っている。 老化に伴って最も早く機能低下が起きる部位の一つでもあるという。

 落語を聴いていて、実はメモを取っている。 A4を三度折った小さな紙に、鉛筆で。 先日は、隣に座った女性が気付いて、驚かれた。 全部を書くわけにいかないので、ポイントになる言葉やセリフを、点メモにする。 都々逸など、続けて三つとか、面白いのをやられると、ワーキングメモリーが限られているので、最初の一つは書けても、次のは忘れることがある。 出だしの文句だけでも、書いておけば、後で調べられるのだが…。 限られているというワーキングメモリーが、老化でさらに小さくなっているかもしれないと思う、今日この頃である。

 たまたま、櫻井芳雄さんの『まちがえる脳』(岩波新書)という毎日出版文化賞受賞の本の広告を見たら、「人はまちがえる。それは脳がいいかげんなせい。しかし、だからこそ新たなアイデアを創造し、高次機能を実現し、損傷から回復する。脳の実態と特性を、最新の研究成果をふまえて解説。俗説も正面から撃破。心とは何か、AIとは本質的に異なる真の姿に迫る。」とあった。

 「ボーーッとしている」のは、幼時の昭和20年5月24日未明の空襲で助かった時以来のことだから、80年になる。 せいぜい「ボーーッとして」、面白いアイデアを少しでも思いつければと思っている。

『クニオ・バンプルーセン』に出てくる作家と作品2023/12/03 07:35

クニオは飯田橋の泉社という小出版社に入り、社長の与田とこんな会話をする。 「山本周五郎と中里恒子を同類の作家とみることはできない、独自の作品世界に芸術的良心を持ち込み、読者に媚びないという点では一致するのに、書くものが違うからだろう」という与田に、「それもこれも文学でいいでしょう」「私は文学に関してはニュートラルな立場でいたいと思います」というと、「実は私もそうだ」と社長が返した。

月例会議でクニオは、「山田風太郎さんの発言やエッセイを集約してみてはどうでしょう、名言のゴミ箱のようになっています」と提案するが、大物すぎて実現の可能性は低かった。 その年の秋、石坂洋次郎が逝き、追いかけるように円地文子が旅立つと、彼はいつになく息苦しい渇きを覚えて〝女坂〟を読みはじめた。 (1986(昭和61)年のことだ。)

母の真知子は、石川達三、三浦哲郎、水上勉、吉行淳之介、半村良をいいとすすめ、読んだの、と聞く。 クニオは、半村良の〝雨やどり〟はおもしろかった、ああいうものは日本人にしか書けない気がした、という。 「日本の女流はへたな男より剛力よ」と、芝木好子の短編をすすめる。 芝木は病身でヨーロッパ旅行をして、〝ルーアンの木蔭〟〝ヒースの丘〟を一度きりの生を全うしようとする人間の最後の力で書き上げる。 その、たやすくはできない美しい終わり方を思うと、クニオは震えた。 芝木好子の終焉(1991(平成3)年)と前後して昭和に別れを告げた日本はバブル経済が崩壊し、なにか豊かな流れが途切れたときの淋しさが漂うようであった。 日本がまたひとり美しい生を知る作家を失った。

後年、日本文学の精華を求めて名作の再読をはじめたクニオは、あるときその特質を客観的にとらえるために〝ジ・イズ・ダンサー〟を読んだ。 これはもう手のつけようのない別物だと思った。 自在に語順を変えられる日本語の原文と、文章の組み立てに限界のある英語の訳文を比べてみると、冒頭の部分からして柔軟性の差が瞭然としていたからである。 貧しい旅芸人の踊子とダンサー、雨脚とシャワーの違いを早く言うなら、こまやかな情景描写から入る日本文は「道がつづら折りになって」ではじまり、英文は原則通り主語の「にわか雨」ではじまる。

「例えば芝木の短編を作者不詳としてフランス語で仕立て直したら、彼らは傑作とみるだろう。」や、「井伏の〝山椒魚〟はどうだろう、あのラストの心境を外国人が美しいものとして受け入れるだろうか」などというところもある。

編集者を主人公に、作家を、そして文芸を書く2023/12/01 07:06

 乙川優三郎さんが、新潮社の『波』11月号に「あやしい胸底のあれこれ 新刊『クニオ・バンプルーセン』に寄せて」を書いていた。 「出がらしの作家を自覚している。」と始まる。 乙川優三郎さんは1953(昭和28)年2月17日生まれの70歳だ。 「物忘れがすすんで佳い言葉を思い出せない。致命傷を感じて落ち込むものの、ありがたいことに日本語には意味の同じ別の言い方がたくさんあるのでどうにか書いている。もっとも、そんなものが小説の表現として立つはずもなく、ましな一文を求めてうろつく毎日である。」

 「長編小説を書こうとするとき、おぼろげな構成とともに夢が膨らみ、必ず佳いものになると錯覚することがある。文章は書きながら練るしかないと分かっているのに、そんな夢を見ることから私の執筆ははじまる。そしていつものように冒頭でつまずく。」

 「私の場合、書き出しが拙いと最後まで修正がきかなくなるので、これでよいと思えるものになるまで書き直すことになる。言うなれば最初から正念場である。効率の悪い執筆だが、そこをクリアーしないことには先へすすめないのだから、仕方がない。」

 「〝クニオ・バンプルーセン〟の冒頭部分は比較的早く書けた方だが、思い切って千字ほど削った。直感で、いらない、と思い、捨てることはよくあるので、惜しいとも思わなかった。」

 「けれども、もしこの時点で編集者が読んでいたら」と、乙川さんは言う。 あってもよいのではないかと言うに違いない。 彼らは読者にとって非常に親切な説明が好きだ。 長編は編集者の期待に応えてすべてを言いつくすことができるが、乙川さんはそれを好まない。 想像あっての読書であり、行間あっての小説だと思うからだ。 そこを編集者がつついてくるなら、「教則本をかくわけではないから」というのが、乙川さんの密かな返答だという。

 「そもそも編集者には自信家が多く、小うるさい。押し並べて人当たりが良く、押し並べて底意地が悪い。見識はあるが、他業種での経験がないせいか、意外に考え方が狭い。海千山千の作家から見ると、知的な凡人といった印象が強い。しかし、よい目を持ち、よい仕事を選んだ人たちでもある。」

 主人公のクニオ・バンプルーセンは、編集者である。 「編集者を書くことは作家を書くことでもあり、私の属する文芸を書くことでもある。」

 そこで〝クニオ・バンプルーセン〟の冒頭部分である。 まず安房鴨川の地の描写。 定年まで数年を残して退職したクニオが、知人の車で、たぶんもう帰ることはないだろうと思う東京から、最後の棲みかにする別荘へ向かっている。 そして最近よく思い出す、英語の児童文学の最後の一節、もうすぐ七百歳になる楽園の亀の述懐だ。

「世間話」こそ、「社会学」の萌芽2023/11/15 06:57

 加藤秀俊さんの中公新書『社会学』(2018年)の第一章は「「社会学」――現代の世間話」。 加藤さんは、「社会」というのは、「世間」のことだ、と理解すれば、べつだん「社会学」などと名づけなくても、われわれはずいぶん以前から世間を学ぶことを知り、それを日常経験としてきた、という。 「世間話」こそ、「社会学」の萌芽なのだ。

 その世間話のあれこれに興味をもち、それをこまやかに記録する伝統にかけては日本は世界で突出していた。 一般に「江戸随筆」とよばれている厖大な量の雑記録がそれである。 『浮世のありさま』、松浦静山『甲子(かっし)夜話』、大田南畝『一話一言』、喜多村信節(のぶよ)『嬉遊笑覧』などなど。 世間話の運搬者、「遊行女婦(ゆうこうじょふ)」や宗教的布教者たち、行商人などが、たくさんいた。 さらに、ほうぼうを遍歴し、職業を転々として、数奇な人生をおくった「世間師」がいた。 いまでも現代版「世間師」なのかもしれない「話題の豊富なひと」がいる、落語の横町の隠居のようなひと、それが市井の「社会学者」なのだ、と加藤さんはいう。

 加藤秀俊さんは、この時88歳、米寿だったが、学問と年齢は関係ないと、あとがきにある。 私は77歳になったところで、まさに隠居だけれど、当<小人閑居日記>や<等々力短信>も、「江戸随筆」の流れをくむ、昭和平成の「世間話」の末端をうろついているとすれば、「社会学」なのかもしれないと思って、ニヤリとした、と書いていた。

 加藤秀俊さんの中公新書『暮らしの世相史 かわるもの、かわらないもの』(2002年)は、かつての加藤さんの著作の印象にくらべて、暗く、悲観的な色が濃い。 還暦をすぎて、大学人としての現役を退き、大病をされたこともあるのだろうか。 戦後五十数年を経た世相を、しっかりみつめなおしてみると、暗く、悲観的なものばかり、うかびあがってくるということだろうか。 9つの章があり、大まかに商、衣、住、日本語、言論、宗教(「餓鬼」の時代、「世直し」の系譜)、アメリカ、外国人を扱っている。

 たとえば「餓鬼」の時代とは何か。 いまや都会の団地やマンションには仏壇はなく、少子化は「後嗣」のない「家」の断絶をもたらす。 子孫がなければ、死んだ人間の霊魂は「無縁仏」となり、現世にもどってきてもゆくところもなくさまよう、そのさまよえる霊魂を仏法で「餓鬼」という。 そもそも、墓をもつ、ということじたいが近代にはじまった習慣であったが、「家存続の願い」は、わずか一世紀の理想、あるいは幻想にすぎなかったのである、と加藤秀俊さんはいうのだ。