来年の大河ドラマ『逆賊の幕臣』、小栗上野介忠順 ― 2026/11/01 07:52
来年の大河ドラマは『逆賊の幕臣』、小栗上野介忠順を松坂桃李がやるという。 「逆賊」とは「主君にそむいた賊徒」のこと、幕末、小栗上野介忠順が徳川慶喜の恭順の意向に反対して、官軍と徹底抗戦することを進言したことを指すのだろう。 脚本・安達奈緒子。 主な登場人物は、勝海舟(大沢たかお)、吉田松陰(中村倫也)、高杉晋作(寛一郎)、島津久光(斎藤工)、島津斉彬(西岡徳馬)、栗本鋤雲(青木崇高)、小栗の妻みち(上白石萌音)。
小栗上野介忠順(1827(文政10)年~1868(慶応4)年)は、幕末の改革派旗本。 父は新潟奉行小栗忠高(2500石)。 万延元(1860)年通商条約批准交換の遣米使節団の第三使、目付(監察)としてポーハタン号で渡米した。 正使・新見豊前守正興、副使・村垣淡路守範正、総勢77名の使節団だった。 木村摂津守喜毅、勝海舟、福沢諭吉が乗った咸臨丸は、使節団の警護と航海の訓練のため随行した。 小栗は、使節団で日米の通貨比率を定める交渉にもあたっている。
帰国後、外国奉行となり、翌年ロシア軍艦の対馬上陸占拠事件に際して、交渉に赴いた。 文久2(1862)年の幕政改革以後は、勘定奉行、軍艦奉行などの要職に就き、軍制掛として幕府内の保守派、幕府外の公議派や攘夷派と対抗しつつ、敏腕をふるった。 フランス公使ロッシュと提携して企てた巨大な横須賀製鉄所(造船所)の建設を決断、日本で初となる株式会社「兵庫商社」を設立し、郡県制の導入もいち早く提言している。
幕府の瓦解に際しては、徳川慶喜に徹底抗戦を進言するが拒否され、罷免。 知行地の上州・榛名山のふもと権田村に隠棲する。 やがて侵攻してきた新政府軍に捕えられ、申し開きのないまま斬首された。
森田健司著『評伝 小栗忠順』(作品社)の書評(朝日新聞10月17日、山中季広編集委員)によると、明治政府は小栗の名を消し去ろうとする。 彼の先見性が知れると、「時勢遅れの幕府を倒して始めたのはわれら新政府」との維新像が揺らぐと案じたらしい。 森田さんによれば、いま高校で使われる主な日本史教科書7冊の本文にも、その名は登場しないそうだ。 大河ドラマで、この「逆賊」は、どう描かれるのか。
「世界中から戦争がなくなりますように」と言えるか? ― 2026/10/28 07:20
神野紗希さんの「抗(あらが)うための十七音」、7月号は「あなたゐないと呟く自由」。 神野さんは、俳句という詩は、社会常識と距離をとり、固定観念や同調圧力、如何ともしがたい運命などにも抗う力をもつことを、これまでの連載で確かめてきたけれど、「抗わない詩」があるとしたら、どんなものだろうか、と始める。 そして、高村光太郎の詩「十二月八日」、「老若男女みな兵なり/大敵非をさとるに至るまでわれらは戦ふ。/世界の歴史を両断する/十二月八日を記憶せよ。」 戦地には宣伝班として文化人部隊が組織され、作家や詩人、画家などが現地での取材内容をもとに、いかに日本が優勢かと新聞などに広報し、戦意高揚を促した。 逆に、戦争のむごさを描き戦意喪失をもよおす作品は、発行禁止の処分を受けた。 厭戦・反戦的な作家は治安維持法による弾圧を受け、検挙・投獄された。
昭和15年には大政翼賛会が発足、俳壇でも「国民詩たる俳句によって新体制に協力」する日本俳句作家協会が結成される。 17年には「日本文学報国会」が設立される。 詩の部会長は高村光太郎、俳句の部会長は高浜虚子だった。 <美しき御国の空に敵寄せじ 高浜虚子>、<いくさして富士美しき国の春 富安風生>、そもそも俳句では、読者の想像の余地を確保するために「よい/悪い」「美しい/醜い」といった価値判断の明示はさけられるのだが、これらの句では「美しき」とポジティブな評価を示す語が用いられている。 肯定的な言葉を詠みこむことが、体制を支える姿勢を明確にしている。
<靖国で會ふ嬉しさや今朝の空 吉野繁實(しげみ)>、開戦日、特別攻撃隊として真珠湾に突入し戦死した海軍少佐が、出発前に詠んだ辞世の句だ。 靖国神社で会うということは、戦死を意味する。 征けば死が待つ状況でも、いやだ、怖い、と言うことは許されなかった。 本音は「嬉しさ」の影に隠れ、もう分からない。
<熱い味噌汁を啜(すす)りあなたゐない 波止彰夫>、昭和13年、雑誌『京大俳句』掲載の一句だ。 戦死した従兄を思った句だが、大切な人を戦争にとられた人々の普遍的な思いが、ほろりとこぼれた呟きのかたちで言いとめられている。 続く生活の中で、埋められない喪失を抱く、切実な本音が響く。 波止彰夫は、昭和15年2月14日、治安維持法違反容疑で検挙された。 特高警察は彼らの俳句を「反戦思想を含せしめたる作品」「銃後の生活苦等を素材としたる反戦俳句」とみなし、団結して戦うべきときに国家の治安を乱すとして弾圧したのだ。 彰夫はおよそ一年の拘置所生活を経て、執行猶予付きの有罪判決後、しばらく俳句から離れざるを得なかった。 思想弾圧によって、一人一人の人生は、大きく歪められ損なわれてしまったのだ。
神野紗希さんは、現在すでに、社会に「戦争反対」と言えない空気が広がりつつある、という。 今年3月、イラストレーターが、穏やかな兎の絵に「世界中から戦争がなくなりますように」というメッセージを添えてXに投稿したところ、政治思想のためにイラストを利用していると批判を受け、作者が謝罪・削除するという出来事があった。 その後、「#nowarbunny」というハッシュタグで、兎の絵と反戦のメッセージを発信する波が広がっている。 「あなたゐない」と悲しむことが、「戦争がなくなりますように」と祈ることが、勇気の必要な抗いにならず、自然なこころの発露として存在できる自由な社会であるために、言葉にし続けることで、私たちは何度でも、進むべき道を確かめ直すことができるはずだと、神野紗希さんは言う。
簡単なことよ兎は生きている 紗希
福澤、情報はお金になると気づき、需要を読む ― 2026/10/14 07:21
三宅香帆さんの新潮社『波』連載「福澤諭吉をよみなおす」、9月号の第3回「幕末、饒舌は武器にならなかった」を、この日記の9月1日「福沢諭吉と慶應義塾「社中」の由来」に、7月号の第1回「動画の時代に読み直す福澤諭吉」を、9月2日の「「演説」喋りで他人を説得するメディア、相手に伝わる「文体」」、8月号の第2回「なぜ福澤諭吉の書く本は売れたのか?」を、9月3日の「福澤、世間より個人が大切、時代の潮流に乗る」に書いて来た。 たまたま、三宅香帆さんがNHKの『スイッチ・インタビュー』で、大相撲の湊川親方(元大関・貴景勝)と対談しているのを見たので、10月号の第4回「きっと儲かる翻訳のススメ」を読むことにしたい。
1. 福澤父の働いていると本が読めない日々。 福澤のいた中津藩は、江戸後期、換金性の高いコメ以外のものを作る貨幣経済への変化に乗り切れず、譜代藩ののんきさがたたったのか、借金が多かった。 朝ドラ『あさが来た』で有名な豪商・加島屋(廣岡家)に、どれだけの融資を求めたかの記録が残っている。 中津藩の平均収入は1年間に米14万俵、平均支出が24万俵だったらしい。 10万俵の赤字に、借入金が約29万6537両・利子付き、とんだ大赤字藩である。 大坂蔵屋敷に詰めて、財務担当役人、借金工面の係だったのが、福澤の父だった。 もともと漢学者で、本が好きだったのに、大坂商人の番頭の接待飲み会やら、働いてばかりで本が読めない。 結局、福澤が3歳の時に亡くなった。
一家で中津に帰るが、大坂の自由で経済の匂いのする空気は、福澤家に漂っていて、中津では身分制度に嫌な思いをすることが多々あった。 士農工商の役割分担がはっきりしていて、武士が稼ぐことを軽蔑していた江戸時代に、福澤は幼少期に是から先き何になる積りかと兄に聞かれて、「先ず日本一の大金持になって思うさま金を使うて見ようと思います」と答えた。
2. 需要を読むのだ。 中津から長崎へ蘭学を学びに出て、山本物次郎という砲術家の家に住み込んだ。 時代はペリーの黒船のうわさが日本中を駆け巡っていた。 眼病を患う先生の身のまわりの世話から何から何でもこなして可愛がられる。 そのうちに、砲術関係の書籍の「写本」が儲かることに気づく。 山本家秘伝の本を写し、貸す時は高額のレンタル料を取った。 福沢はオプションに、大砲の図面を引いて、図入りでわかりやすく砲術の講義をし、出島オランダ屋敷に行きたい人のアテンドをした。 山本家に1年もいないうちに、砲術のプロみたいな顔をして他藩の役人に講義していたのかと、ツッコミを入れたくなるが、おそらくこの時「需要に合った情報を伝えれば人はお金を払ってくれる」ことにも、気付いたのだろう。
山本家を出た福澤は、生涯の師・大坂の緒方洪庵のもとで学ぶことになる。 洪庵の適塾でも、学費が払えなかった福澤は、中津藩の家老の息子から借りて密かに写本を作っていたオランダ要塞造営の書籍を訳して渡す、ということで学費の代わりにしていた(『福翁自伝』)。 情報はお金になる、ということである。
トランプ政権のメディアへの圧力、その抵抗 ― 2026/09/28 07:11
アメリカでは今、トランプ政権がメディアに圧力を加える局面が目立つ。 これに対し、「コンデナスト」のロジャー・リンチCEOは、「現政権はこれまでにない方法でメディアに影響を及ぼしています。放送局なら免許剥奪をちらつかせ、企業買収を進めていれば合併承認を止める。残念ながら、その圧力に屈してしまったメディア企業をいくつか目にしてきました。」 「しかし我々は屈しません。むしろ、放送免許も不要で、政府の承認を必要としない我々は、競争優位です。記者たちには、『ジャーナリズムを行える場所が減っていく以上、一人ひとりに実践する責任がより重くのしかかる』と伝えています。」
19日、トランプ政権はテレビ局のCNN、 MS NOW、ポリティコの3社を「フェイクニュース」と名指しし、ホワイトハウスでの取材に必要な記者証を没収した。 3社は言論の自由を保障する憲法修正第1条に違反するとして、提訴に踏み切った。
アメリカの主要テレビ5社(CBS、ABC、NBC、FOX、The CW)はCNNなどを擁護する姿勢を強め、21日にはトランプ氏の代表撮影を取りやめる事実上のボイコットに踏み切った。 22日に始まった国連総会でも5社は代表撮影を実施せず、テレビ局各社はトランプ氏の演説を放送する際に国連提供の映像を使用した。 CNNは演説自体を中継しなかった。 主要テレビ5社は、23日中国の習近平国家主席がワシントンのアンドルーズ空軍基地に到着し、トランプ大統領が異例の出迎えをした様子も撮影しなかった。
3社の提訴を受けた、ワシントンの連邦地裁のケリー裁判官は24日、記者証の没収について事前の通告や聴取などがなされなかったことを踏まえ、適正手続きを保障した米国憲法第5条に違反する可能性が高いと決定した。 今回の決定の効力は14日間とされ、その間に地裁が改めて審議をする。
ワシントン連邦地裁の決定を受け、ホワイトハウスは、CNN、MS NOW、ポリティコ3社の記者証を返還したが、主要テレビ5社は習近平国家主席のホワイトハウス到着時まで代表取材を再開しなかった。 その後、国賓訪問最終日の25日、両首脳夫妻による茶会(CBS代表取材)や国立公文書館訪問(CNN代表取材)は主要局で中継された。 しかし、26日テネシー州での大学アメリカンフットボールの試合観戦へ向かう大統領専用機に同乗して代表取材を担う予定だったCNNは取材を拒否された。
「禁書」広がるアメリカで本を配る図書館 ― 2026/09/17 07:11
三日間にわたって紹介した8月5日の「朝日新聞GROBE」「たたかう図書館」を取材した秋山訓子記者が、8月31日夕刊の「Another Note」に「「禁書」広がるアメリカで本を配る図書館」を書いていた。
6月下旬からアメリカへ、「図書館」をテーマに取材に行った。 アメリカはこの数年、図書館が「戦場」とも表現される状態になっているのだが、取材のアポが全然取れない。 禁書運動側も反禁書側も、取材に応じてくれない。 「メディアに出たって全然いいことがない」、「必ず逆側から批判される。時間の無駄」だというのだ。 ましてや名も知らない遠い日本のメディアなんて相手にしてくれない。
そんななかでフロリダ州マイアミで「Bookleggers Library」というNPOと連絡が取れた。 無料で本を配っている団体らしい。 創設者のナサニエル・サンドラーは、マイアミで生まれ育ち、ニューヨークの大学に行き、日本美術、安土桃山時代の絵画や庭園に関心を持つ。 大学卒業後、04年から2年間、海外の若者を日本に招き、地方に派遣して語学教師などで働くJETプログラムで石川県へ。 羽咋市の高校で英語を教えた。
帰国後はマイアミでジャーナリストなどとして働く。 今の活動の原型を始めたのは12年。 「本が好きで、何か新しいことを始めたかった」。 本を寄付などで集め、バーやレストランに配るイベントを始めた。 「最初の1冊は無料、2冊目からは2ドル。すごくたくさん人が来た。当時のマイアミには、文化的なことを始める高揚感(cultural startup mentalityという言葉を使った)、何かやろう、という気分が満ちていた」。 イベントには毎回、200人ほどが来た。 「人は本やコミュニティーとのつながりを求めていると思って」14年にNPO化。 場所を借りて最初は週に一度、一般に開放し始めた。
「アメリカでは、居心地のいい場所がどんどんなくなっている。お金を使わずに、人が入れて、座って、リラックスできる場所はとても少ない。ここはお金を使う必要もなく、ただ座って本を読んでいてもいい。そういう場所を作りたかった」。 名前は、もとは「酒の密造や密売」を意味する「bootleg」から。 「Bookleggingとは、歴史的に実際あった概念。政治的な文書が違法とされた時代には、それをひそかに運んだ人たちがいた。性的な内容やエロチックな本なども、かつては秘密裏に人から人へ渡されていた。本を自由に人から人へ渡す、という意味をこめたんだ。」 「こんな時代が来るとはその時は思っていなかったけど。情報は自由であるべきで、ここはどんな本でも守る防衛線でありたいと思っているよ」。
今の場所に移ってきたのはコロナ禍の20年。 今、本は完全に無料だ。 助成金や寄付で運営している。 「無料にしたら、逆に寄付だとお金を置いていく人が増えた」という。 スタッフになって2年というサラは「ここは本を媒介に人が集まる。誰でも受け入れてもらえ、歓迎されていると感じられる場所。人が孤立しがちな今の時代、本当に珍しいことだと思う」。 トレーラーに本を積んで、公園などに止め、本を配ってもいる。 「偶然出会った本に顔を輝かせ、持ち帰る子どもを見るのが本当にうれしい」。
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