蓮沼、池上本門寺と日蓮、洗足池と勝海舟2023/06/07 07:05

 「東京 池上線の旅」、蒲田の次は、蓮沼。 有名ホテルのコックだった初代が、この町で本格のレストランを始めたが、伸びず、味は自慢のカレーライスと、ラーメンとは呼ばせない塩味の中華ソバのセットに特化して、住民に親しまれるようになる。 初代が年取って、店を閉めようとした時、その味を惜しむ常連客の一人が、この人ならと見込んだ二代目を紹介した。 それで、初代の味を修業して学んだ二代目は、初代の思い出に話が及ぶと、言葉に詰まり、目頭をなでる。 今は、二代目の娘が臨月の体で、店の味を継ぐべく、手伝っている。 番組の終りに、孫娘が誕生し、二代目はその顔をほころばせた。

 池上線の始まりは、池上本門寺参詣客の輸送のために、百年前の1922(大正11)年10月6日、池上電気鉄道が、蒲田-池上間を開業したことにさかのぼる。 池上本門寺は、日蓮宗四大本山の一つ。 弘安5(1282)年9月持病を治療するため身延山を下りた日蓮が、ここに滞留して長栄山本門寺と命名して開基、10月13日にここで入滅した。 お会式(御命講)は日蓮の忌日に行う法会、12日の逮夜には信者が万灯をかざして太鼓を叩き、題目を唱えて参拝する。 子供の頃、中延で第二京浜国道を池上に向かう万灯の行列を見物した。 その頃の10月12日は、今よりずっと寒くドテラなんか羽織って出た。 近年お会式になると、地球温暖化を実感する。

その池上本門寺、「お山」を毎日掃除している細野さん(81)という女性がいる。 北海道の積丹近くの漁師の家に育ち、16歳の時、海難事故で兄を亡くし、嘆く母の心を鎮めたのは日蓮宗の寺だった。 上京して看護婦になり、本門寺に行きたいという母を案内したのが、「お山」との出会い。 そこでは涙を落した母や兄を感じるので、折に触れ訪れるようになった。 母を亡くし、60歳になってから毎日の「お山」掃除を始め、看護婦や水難の供養塔に寺から下げた花を整えて供える。 閑があったら本門寺に来なさい、元気をもらえるよ、と言う。 その姿を見て、他の人を思う温かさにふれたと、今は掃除の跡継ぎ、仲間も出来た。 月二回僧侶と町の人が一緒に掃除をする会があり、細野さんは、若い僧にずいぶん大人になったね、と声をかけていた。

 洗足池駅。 洗足池は、武蔵野台地にある湧水池の一つ、弘安5(1282)年池上に向かう日蓮が、ここで休息し足を洗ったことが名の由来。 広重の浮世絵にも描かれた日蓮ゆかりの袈裟掛けの松もある。 番組では勝海舟夫妻の墓を、これも掃除している62歳の男性がいた。 幕末、勝海舟が池上本門寺へ、西郷隆盛との江戸城無血開城の会談に向かう途中、洗足池に寄って、その風光を愛でて、晩年別荘「洗足軒」を建て、墓地にも指定した。

 洗足池は、子供の頃、父に連れられて、ボートに乗るなど、よく遊びに行った。 たまたま池に落ちた子供がいて、父が飛び込んで救ったことがあった。 近所の魚屋さんの子だった。

自分で出来立てを作る、餡と最中の皮のセット2023/03/24 06:57

 自由が丘の蜂の家で「おはぎ」を買った時、少し並んでいたので、いつもと違う店の中に回り、偶然、「あん場のつまみぐい」という壜と、最中の皮のセットになったのを見かけた。 壜の中は粒餡(あん)で、どうやら「あん場」は餡場、餡をつくるところで、作っている最中に、つまみぐいしたくなるほど、美味しいということらしい。 昨年秋の朝ドラ『カムカムエブリバディ』では、岡山の和菓子屋に育った主人公安子が、子供の頃から「おいしくなーれ、おいしくなーれ」と、心をこめた呪文を唱えながら餡こを炊いてゆくのを見てきたことが、物語の中心に流れていた。

 下戸で、甘いものには目がない方なので、餡と最中の皮を別々にしてセットで売っていて、自分で食べる時に最中にすると、出来立てでパリパリして美味しいことは知っていた。 鶴屋八幡の百楽にも、塩瀬総本家の袖ケ浦最中にもある。 袖ケ浦最中は、九代目市川團十郎の考案・命名によるので、一名團十郎最中ともいうらしい。 それで「あん場のつまみぐい」を買ってきたのだが、蜂の家の粒餡はなるほど美味しいけれど、最中の皮が繭の形で小さくて割れやすく、感心しなかった。 もっとも、餡はトーストやお餅に合わせても美味しいと、説明があったが…。

 餡と最中の皮のセット、私のお勧めは、塩瀬総本家の袖ケ浦最中である。

春の彼岸は「牡丹餅」で、「御萩」は秋か?2023/03/23 07:01

 お彼岸なので、自由が丘の蜂の家で「おはぎ」を買ってきた。 先日、テレビで、「おはぎ」は「お萩」だから秋の彼岸、春の彼岸のものは牡丹の「ぼたもち」と言わねばならない、と言っていた。 でも「ぼたもち」というと、何かぼってりした大きめの感じがしていた。

 そこで、『広辞苑』を引いてみる。 「おはぎ【御萩】「はぎのもち」の別称。」 「ぼたもち【牡丹餅】(1)(赤小豆餡をまぶしたところが牡丹の花に似るからいう)「はぎのもち」に同じ。(2)女の顔の円く大きく醜いもの。(3)円くて大きなもののたとえ。」

そこで、「はぎのもち【萩の餅】」も、見てみよう。 「糯米(もちごめ)や粳米(うるちまい)などを炊き、軽くついて小さく丸め、餡(あん)・黄粉(きなこ)・胡麻などをつけた餅。煮た小豆を粒のまま散らしかけたのが、萩の花の咲きみだれるさまに似るのでいう。また牡丹に似るから牡丹餅(ぼたもち)ともいう。おはぎ。はぎのはな。きたまど。隣知らず。萩の強飯(こわいい)。」 季節についての言及はなかった。

ついでに、「きたまど【北窓】(1)北側の窓。(2)(北窓の「つき(月)入らず」を「つき(搗)入らず」にかけた意という)萩の餅の異称。」

さらに、「隣知らず」は「となりしらず【隣知らず】(1)牡丹餅の異称。(嬉遊笑覧)(2)手軽に婚礼をととのえること。(俚言集覧)」

 俳句では、「彼岸」を「春分の日を「お中日」とした前後三日ずつの七日間」といい、秋分の日を中心とした秋のそれは「秋彼岸」または「後の彼岸」という。 歳時記をざっと見たところ、「牡丹餅」や「御萩」は見つからない。 『ホトトギス 新歳時記』に「彼岸詣」という季題があり、傍題として家々では「彼岸団子」を作る、とある。 『合本 新歳時記』(角川書店)では、「彼岸会」の傍題に「彼岸団子」「彼岸餅」があり、<彼岸牡丹餅木曽義仲の墓前かな 下田 稔><海に出づ彼岸の餅を平らげて 中 拓夫>という例句があった。

「酒呑みだけが名を留める」李白の詩2023/01/26 07:06

 二木屋の欄間に、李太白の詩の額があった。 木堂とあるから、犬養木堂、犬養毅の書だろう。 創業者の小林玖仁男の祖父で、昭和10年建築のこの軍人の屋敷を買ったという小林英三(明治25(1892)年~昭和47(1972)年)という人が、保守大合同した自由民主党最初の鳩山一郎内閣の厚生大臣だったというから、その縁での犬養毅の書だろう。 小林家は、先祖が毛利家の家老で、尾道で商人になり林を屋号にしていたので、林を二つにわけての二木屋なのだそうだ。

李太白の詩は、「古来聖賢皆寂寞 惟有飲者留其名」。 ネットで検索すると、「将進酒」酒をお勧めする、という詩の一節。 古来(こらい)聖賢(せいけん)皆寂寞(みなせきばく)、惟(た)だ飲者(いんじゃ)のみ其(その)名を留(とど)むる有り。 昔から聖路や賢人は幾人もいたが、死んでしまえばそれまでだ。ただ酒呑みだけが、その名を留めている。 酒を飲めないので、二木屋の日本料理のような美味しいものに出合う機会が少ない。 酒を飲めないために、どれだけの交遊や愉快な時間を逃してきたかと思うことがある。

正月事納め8日の「天声人語」、「ソバーキュリアス」というカタカナ言葉にハッとさせられた、と。 「直訳すれば、しらふの好奇心。あえてお酒を飲まないことで得られる気づきといった意味か▼作家の桜井鈴茂(すずも)さん(54)がそんな断酒の生き方を始めたのは3年前。ひどい二日酔いがきっかけだった。すぐに気づいたのは「1日の時間が長く感じられるようになりました。頭がすっきりし、夜には読書もできる」」 和製英語なのだろう、curiousは形容詞だから、名詞にすれば sober-curiosityか、sober-curiousnessとなるのかな。

そういえば、「われわれが酒を飲んでいる間に、馬場さんは本を読んでいるんだろう」と、ずいぶん買いかぶってくれた方がいた。 実態は、居眠りをしながらテレビの巨人戦を見ているのであるが…。

「天声人語」は、「確かに人類の歴史はお酒との歩みにほかならない。」として、晋代の陶淵明の〈夕(ゆうべ)として飲まざるなし〉、李白の名詩〈一杯一杯また一杯〉〈一飲三百杯〉を引き、「もしも偉大な詩人たちが晩年に禁酒していたなら、どんな詩を残していただろう」、「飲むか。飲まないか。人間らしい悩みのなかに新たな気づきをみつけたい。」と締めた。

「和食」日本料理、ピンからキリまで2023/01/25 07:03

 二木屋、よく取れましたねという、知る人ぞ知るという店だそうで、薪能もやるらしい庭のある「大正ロマン漂う」日本国登録有形文化財「小林邸」の建物に靴を脱いで上がる。 幸い三人ずつのテーブル席、正面床の間には正月らしい紅白の餅花飾りがしてあって、「昔の家で、昔の飾りを楽しむ「室礼(しつらい)」」と謳う。 三田あるこう会は、ほぼ日曜日開催なのだが、1月2月は福沢先生の誕生日と命日の関係で平日になる。 先生誕生日翌日の11日は、水曜日で、本格的日本料理の「好百々(こもも)」という割安な平日限定ランチコースの機会に恵まれた。 店のメインは、「のざき牛」「鹿児島牛」のステーキを油や調味料無しで焼き、岩塩や山葵醤油で食すものらしいが…。

 そこで「好百々」、令和五年初月のお品書きがテーブルに置いてあった。 コメディアンとは二字違いの、伊藤四郎料理長。 箸付・小鉢・前菜・お椀・造里・煮物・強肴・お食事・甘味と九品、それをいちいち人手をかけて給仕してくれる。 一度に出すようなことはしない。 箸付・鮟肝寄せ ポン酢 小鉢・牛肉と牛蒡のきんぴら。 註に「【曾祖母のレシピ】この料理は、二木屋創業者・小林玖仁男の曾祖母で料理研究家であった小林カツ子(文久二年(1862)~昭和十年(1935))の約百二十年前のレシピを再現しました。」とある。 前菜・数の子 姫皮蟹煮凍り 鰆柚庵焼サーモン小袖寿司 大根人参ピーナッツ和え。 「鰆」は「さわら」だと読めたが、今、これを書いていて、「姫皮蟹」が分らず、ネットを検索したら、二木屋の「好百々」献立が出てきたので、あとはそれをご覧いただくとしよう。 「姫皮」は、たけのこの先端の皮の内側にある白くて柔らかい部分だそうだ。 「好百々」のデザート、甘味・安納芋羊羹 五家宝。 となっていたが、当日は1月11日の鏡開きだったので、安納芋羊羹の代りに、お餅入りのお汁粉になっていたのも、心くばりが感じられた。 全体に、手間をかけて調理されているのがわかって、美味しかった。

 別の日に、ある甘味屋(脱サラのような店ではない)で○○膳というランチを食した。 小ぶりの寿司、天ぷら、蕎麦、茶碗蒸、小皿の煮物。 素人にも、茶碗蒸など、きちんと出汁を取っているのか、板前がいるのかと思われるほどの味だった。 ユネスコ無形文化遺産の「和食」、日本料理にも、ピンからキリまであることが、歴然とわかった。