半蔵門の気さくなフレンチレストラン2026/05/01 07:06

 3月末に半蔵門のフレンチレストラン、オー・プロヴァンソーで、慶應志木高の同級生でランチをした。 私のクラシック音楽を聴く貴重な機会である上野浅草フィルのチェリストの馴染の店である。 以前も一緒したことのあったそのコンサートで会う仲間に加えて、暮に花園までラグビーの応援に行った軽井沢でペンションをやっているご夫妻が集まった。 この年になると、同級生でも、あちらへ行った者が多くなってきていて、その懐かしい思い出に始まり、志木高ラグビーや軽井沢の音楽ペンションの話で盛り上がった。  南仏プロヴァンスのリゾートにいるようにリラックスしてほしいという想いから、中野寿雄シェフが名付け、上質なレストランながらも肩肘張らない大人のビストロ【中野食堂】をめざしたという、気さくな店の雰囲気も、美味しい料理も十分に楽しむことができた。

 味をしめて、85歳の誕生日を迎えるということもあり、先日、家内を連れてランチに再訪し、家内も大満足、中野シェフは前回のことも覚えていて、暖かく応対してくださった。 ここのデザートは6種類のミニケーキから、いくつでもと選ぶ。 聞けば、全部を選ぶ人もいるそうだ。 ワインを飲まないこともあり、わが家のランチは速い。 そこで思い出したのが、半蔵門ミュージアムのことである。 家内の友人のブログで見た記憶があった。

佐藤賢一『釣り侍』<等々力短信 第1202号 2026(令和8).4.25.>2026/04/25 07:10

 「私の城下町」と「庄内のうまいもの」という「等々力短信」を、昭和62(1987)年3月に書いていた。 山形県鶴岡市は父のルーツの地で、公園地と呼ばれていた城跡や致道博物館に近い家中新町で、伯父が魚屋を営んでいた。 鶴岡出身の佐藤賢一さんの近著『釣り侍』(新潮社)の主人公二人、前原又左衛門と山上藤兵衛の家は、「読んで字のごとくに武家の屋敷が並んでいる町」、その家中新町にある。 羽州大泉藩は、将軍徳川綱吉の生類憐みの令の頃の、三代藩主松平忠義公が武士の嗜み、武用の一助として釣り、鳥刺しを侍の鍛錬として奨励した。 前原と山上は竹馬の友、家格も百石、百十石と近い。 二人は初夏四月、夜中に起き出し、内陸の城下から四里二刻の道を、釣り道具を背負い、三間余の荘内竿を担ぎ、大小を差して、海へと最後の山を越える。

 波の荒い加地(加茂か)の磯の岩場で、朝まずめの釣りどき、前原は二歳鯛(にせで)と呼ぶ若い黒鯛、山上は大タナゴを釣り、鶴茶屋で料理してもらう。 そこへ用人の川村が、磯釣り中の十代藩主松平忠昭公が海に落ちたと、急を告げる。 溺死、幕府には急な病で逝去と届け、跡目相続を急ぐことになる。 嫡子十三歳の万千代か、忠昭の異母弟鉄之介か、それぞれを推す派閥が藩を二分する。 家老竹林、用人川村は万千代を、藩主の親戚中老の信保、郡代石川は鉄之介を推す。 勘定目付の前原は用人川村に頼まれ家老派、郡奉行の山上は石川が上司で中老派に、加わらざるを得なくなった。

 一方前原の娘紗世(さよ)と、山上の息子弁四郎の縁談が進んでいた。 弁四郎は、才気煥発、学問に優れ藩校至道館の助教を務める。 弁四郎は、万千代様に講義して、儒学には朱子学、陽明学、徂徠学があり、朱子学は忠孝の学問、陽明学は理想の学問、徂徠学は解決の学問だ、大泉家の学問は徂徠学、現実の問題に直面したとき、これを如何に乗り越えるか、その知恵を求めようというものだ、と説く。 その弁四郎のひょんな発案から、跡目争いを秋の大泉藩恒例「御磯行」の釣りで決着することになる。

 『釣り侍』は、私も知っている「荘内のうまいもの」のオンパレードだ。 だだちゃ豆ご飯。 松尾芭蕉が<めずらしや山をいで羽(は)の初茄子(なすび)>と詠んだ丸茄子の浅漬け。 赤カブの浅漬け、もって菊のおひたし、はららごのなます。 口細鰈や、鮭の味噌粕漬けの焼物。 氷頭(ひず)なます。 アンコウの皮と身さ、すりつぶした肝の、とも和え。 寒鱈の身、頭、鰭、臓物も放り込んだ「胴殻(どんがら)汁」。

 十一代藩主を決める磯釣り「勝負」、陰謀やチャンバラも絡み、家老派と中老派の争いに負ければ、失脚や懲罰処分となる。 前原家と山上家の運命、紗世と弁四郎の結婚はどうなるか、その結末を楽しみにして、『釣り侍』を読んで頂きたい。

七つの時から、おさんどんをして料理を覚える2026/04/24 07:03

 後日、田ノ上ヨネ子が口述筆記に、北鎌倉を訪れる。 春子と使用人の松山(満島真之介)が迎え、どうかと聞く春子に腕と肩が筋肉痛だと言う。 いつもの部屋で待たされていると、魯山人が聞いているラジオの音がする。 ちょっと覗くと、魯山人は泣いていた。 「あんた、部屋を覗いたな、顔に出ている。」 「すみませんでした。」 「正直でよろしい、好奇心があるのもよろしい。」 「あんた、何が知りたい?」 「世間で、傍若無人、傲岸不遜と虫けらのように言われる北大路魯山人が、どのように出来たか、知りたいのです。」 「あんた、はっきりしていていいな。」

 「生れは、京都上賀茂や、調べて知っているだろう。私は、捨て子や。父も母も知らん。房次郎という名前だけある。三つの時、真っ赤な躑躅(つつじ)を見て、美しいものを探すために生れてきたんだと思った。それから里親を何人か転々として、ようわからん。叱って棒で打つ、錯乱した中年女の醜い顔が目に浮かぶ。」

 番組は、モノクロの小さな画面になる。 「そんから、木版屋の福田家にもらわれ、やっと福田という苗字がついて、福田房次郎になった。福田の家で、役に立つ人間になろうと思って、おさんどん、台所仕事を自分から始めた。」 房次郎が、かまどで薪をくべて米を炊き、福田の父、母と食事をしている。 父親が飯を食い、「美味い、美味すぎる。一等米を買ったのか?」と怒る。 母親が「三等米の金しか渡してません。」 問い詰める父に、房次郎は「何種類かの三等米を少しつくね混ぜて、水切り時間をきっちり計って、強う炊いたら、美味しくなります。毎日ここで勉強させていただきまして。」 画面には、いつの間にか、色がついていた。 「何か、褒美をやろう。」 「釜についたオコゲをください。」 「オコゲか、なんぼでも食え。」

 「食べ物に執着して、道端の野草や、田圃のタニシでも、美味しいものをつくった。福田の親の喜ぶ顔が見たくて。」

 ヨネ子が、「実のご両親のことは」と聞くと、魯山人は席を外してしまった。 三十分、永遠かと思われる時間が流れて、いい匂いがしてきた。 ヨネ子の腹が鳴る、立って行くと、魯山人がかまどに薪をくべてご飯を炊いていた。 「覗いてないで、こっちきいや。お米も水も毎日違う、真心込めて炊くんや。オコゲが出来るほど、強く炊いたら美味しくなる。あんた、オコゲが好きか。」 「好きです。」 魯山人は、皮のある何か(?)を削って、オコゲの茶づけを作ってくれた。 胡瓜とシラスの和え物を添えて。 ヨネ子は、魯山人の目の前で、それを食べる、ニコニコしながら。 「ご飯は、最高の料理なんや、私がつくり、あんたが食べるんや。あんた、食いしん坊やな、これ持って帰れ」と、小さな風呂敷包みを渡した。

 家に戻ってヨネ子がそれを開けると、楕円の赤い塗り物の弁当箱に、握り飯、タニシの佃煮、沢庵が入っていた。

魯山人、吉田茂首相を唸らせる2026/04/23 07:10

 魯山人の家のことをしている使用人の春子(中村優子)が北鎌倉の畑で、「♪桑港(サンフランシスコ)のチャイナタウン 夜霧に濡れて 夢紅く 誰を待つ 柳の小窓 泣いている 泣いている おぼろな瞳 花やさし 霧の街 チャイナタウンの恋の夜」と歌いながら、茄子や獅子唐を収穫して、大磯の吉田邸へ。

 吉田邸では、吉田茂首相(柄本明)が、「ようこそ、大磯まで」と北大路魯山人を迎え、手を出して握手する。 そして「傍若無人、人を人と思わぬ北大路何とかという人の料理を食べてみたくてね」と。 魯山人も、「私のほうこそ、マッカーサーとやりおうて、ふだんは人を食って生きている、吉田ナニガシという方に料理をつくること、ほんま嬉しいですね。」 「私に似て、口が悪い。」 「貴方こそ、私の真似をしていらっしゃる。」

 台所で、魯山人は弟子の板前に、「吉田さんはイタリアやイギリスが長いから、白葡萄酒がお好きだろう、前菜は鶏肝と味噌を和えて」と。 そこへ、京丹波和知川の鮎が届く。 田ノ上ヨネ子は、もうフラフラ、台所に倒れ込んで、寝てしまう。

 魯山人は、吉田茂に、「おこんだて」と書いた紙を渡す。 「前菜 鮎しおやき 鮎いろいろ お茶づけ 北大路魯山人 吉田茂様 御侍史」 吉田は「温かい字だ、良寛さんがお好きか。字には全てが表れる、よい字を書こうとすると、さもしい根性まで表れる。」 魯山人は「そうですな。おのれ以上のものは出来ません、料理と同じです。」

 吉田は、白葡萄酒のマルゴー1937を出させる。 茄子や獅子唐、菊の葉で飾られた前菜、「このパテは何だ?」 「味噌と鶏肝で。」 「日本の食べ物は、ヨーロッパ以上だな。」

 台所では、竹串を打った鮎二匹が焼けた。 まだ寝ているヨネ子を跨いで、レモンを添えた鮎を吉田に出す。 魯山人も、吉田の前でビール瓶の栓を抜いて、飲む。 「お手に取って、腹からガブリと」 「ウーーン! 美味い、何だこれ?」 「鮎です。」 「そのビール、もらえるか?」 「わかっていらっしゃる。」 「美味い!」 次は、蓼(たで)酢につけて、齧る。 「ウーーン!」 魯山人も、鮎を齧る。 吉田は「もう、一匹焼いてくれるか。」 「ありません、これっきりです、すみません。」 「どうぞ」とビールを注ぎ、二人でビールを飲む。

 台所で、鮎を焼きますかという弟子に、「焼かない。二匹目は、一匹目より美味しゅうはならん。」と言い、「もう一匹だけ焼いとってや」。

 吉田は、「なぜ鮎がこんなに美味いのか」と、聞く。 「京都丹波の和知川の鮎の美味さは、腸(はらわた)にございまして、釣ったらすぐ、その腸を揺れないようにして、生きたまま大磯まで運びました。蓼は近所の川で取りました。今日の料理は、私が作ったというものではなくて、自然が育んだものを、美味しく頂戴しただけです。エヘヘヘ!」 「参った。料理は、いつ覚えた?」 「七つの時から、京都でおさんどんをして、吉田さんのような王子でなく。」 「王子と乞食か」 「王子と捨て子で」 「魯山人、口は悪いが、料理は本物だ。」 「吉田茂はんの、舌も口も大したもんでございます。」 「今度、金を持っている奴らを行かせることにするから、頼む。」

 台所でようやくヨネ子が目を覚ます。 腹が鳴る。 弟子が「先生からです」と、一匹だけ焼いた鮎を差し出し、ヨネ子はそれにかぶりつく。

『魯山人のかまど』初夏編、星岡茶寮、京丹波和知川の鮎2026/04/22 07:01

 「♪ラメちゃんたらギッチョンチョンでパイのパイのパイ、パリコットバナナで フライ フライ フライ」、エノケンの「東京節」の音楽がタイトルに軽快に流れて、NHKのドラマ『魯山人のかまど』第1話、初夏編は始まる。 音楽は、朝ドラ『あまちゃん』の大友良英。

 星岡茶寮(ほしがおかさりょう)で北大路魯山人(藤竜也)が、居並ぶ客たちの目の前でフグを捌く。 フグの洗膾(あらい)を供して言う、「フグは食いたし命は惜しし、世間のあらゆる毒を喰らうてここまで来られた皆様でしょうが、死なない程度に召し上がって下さい。毒を食わば皿までと言いますが、私の作りました赤絵の皿までは食べられません。どうぞ、ごゆっくり。」 即座に下がる魯山人に、「よっ、北大路魯山人!」「さすが、星岡茶寮!」と、声がかかる。 そして、引っ込む廊下で怒り出し、料理人の一人に「お前、馘や! 出てけ!」と。

 戦後の混乱が収まった頃、北鎌倉の自邸に引っ込んで作陶をしている魯山人のところへ、雑誌『婦人の暮し』の編集長に連れられ、記者の田ノ上ヨネ子(古川琴音)がやってくる。 魯山人の語る半生を口述筆記するためだが、怒りっぽい魯山人のことだから、ヨネ子で五人目になる。 ヘイコラと恐縮する編集長の横で、ヨネ子は出された茶を美味しく飲み、赤い花の茶碗をこねくり回している。 魯山人が、「何を見ている?」 「美しくて見入っていました、白の中の牡丹が、まるでここにあるようで。」 「あんた、正直でよい。その湯呑、持って帰れ。吉田茂首相のところで料理をつくるから、手伝いに来なさい。あんた、京都が好きか? ほな、行っといで。」

 ヨネ子は一人、京都の山の中へ。 釣りの仕度をした男が、川へ連れて行き、「あんた、先生から何も聞いて来なかったのか?」 「先生は、藻を食べて来いと。」 「先生は、京丹波の和知川の鮎は日本一だと言って、昔は毎日星岡茶寮に生きた鮎を千匹運んだ。」と、川の藻をちぎって渡す。 藻を食べたヨネ子は、「ほのかな香りがします。」 「この香りの藻をぎょうさん食べて鮎は高貴な香りになる、先生は「西洋のメロン」の香りだと。」 鮎を釣って桶に入れ、「わしとあんたで大磯の吉田邸まで、トラックで運ぶ、チャプチャプ揺らして。何度も水を替え、わしが運転するから、あんたがトラックの上でチャプチャプやったままで。きばってや!」