コメは余っても、値段が下がらない、その裏に ― 2026/06/21 07:39
朝日新聞の『揺れるコメ改革 減反は何をもたらしたのか』の最終回、「下がったと言うけれど、コメの値段は高いままで変わっていないと感じます」「本当にコメは余っているのでしょうか」という4人暮らしのパート女性の嘆きから始まる。 米価が高騰してからは、銘柄米でなく、価格が安いブレンド米に切り替えたという。
令和の米騒動から1年余、コメをめぐる需給状況は様変わりした。 需給を示す物差しになる民間在庫量は、昨年6月末は155万トンだった。 農水省の予測では、今年6月末には221万トン~234万トンに積み上がる見通しだ。 1年で、過去20年で最低レベルに縮んだ在庫が、過去最大級に膨れる勢いだ。
経済原理に基づけば、米価は急落するはずだ。 だが、実際にはそうはなっていない。 ピークから下落しつつあるものの、2千円強だった2024年4月の倍近くのままだ。
鈴木憲和農水相は、「コメの価格はマーケット(市場)で決まるべきだ」と静観の構えだ。 だが、コメでは多数の買い手と売り手が競りを行う透明性の高い市場が機能していない。 卸売業者がコメを融通し合うスポット市場や大阪・堂島の先物取引所などがあるものの、取引量は年700万トン超の消費量全体の1割あるかどうかの規模だ。
流通の大部分を占めるのが相対取引だ。 交渉力の強い農協の意向が反映されやすい構図で、あるコメ卸大手の担当者は、「コメの適正価格がわからない」と話す。
市場で米価を決める構想は、古くから政府内で検討されてきた。 60年代後半に入ると、コメは慢性的に余るようになり、国を通さずに売買できる自主流通米制度がもうけられた。 95年には食管制度が廃止された。 こうした国のコメへの統制が緩和される度に、農水省は、市場への整備を進めようとした。 だが、市場は整備されなかった。
農水官僚として長くコメ政策に携わった針原寿朗・住友商事顧問によると、2005年には、強い政治力がある農協の全国組織JA全中の反対で、先物市場の創設が見送られたという。 一方、自民党の森山裕・元幹事長は、「生産者側が投機的な取引がなされることを不安視しているのも事実だ」と慎重な姿勢を見せる。
令和の米騒動は、農水省が必要以上に生産量を抑制し、コメが足りなくなって起きた。
コメの需給の調整は、市場を用いた別の方法でも実現しうる。 たとえば。先物取引の活用だ。 先物取引で決まる1年後の米価が指標として定着すれば、農家はこの米価をもとに、生産量を決められる。
コメ政策は農家を支持基盤とする政治の力でもゆがめられてきた。 いまの農水省は、市場機能の強化に及び腰だ。 今年4月に国会に提出した食糧法改正案では、農水省が取引所を設置できるという規定をわざわざ削除した。 「コメはある程度自由に取引ができているなかで、公的関与が強い市場は必要ないと判断した」(農産局企画課)という。
半世紀にわたる減反政策で、国の補助金頼みのコメ作りが定着し、農家の意欲はそがれた。
宮城大の大泉一貫名誉教授(農業経営学)は、「農家一人一人が市場価格を見ながら作付けをする時代に変わっていく必要がある」と指摘し、「国が需給を調整するいまの仕組みを続ければ、いずれ、米騒動が繰り返されることになるだろう」と言う。
なかなか進まぬ集約、未来の農地図は形骸化 ― 2026/06/20 07:35
遠くない将来、コメは足りなくなるかもしれない。 団塊世代が大量離農するからだ。 全国米穀販売事業共済協同組合の24年のシミュレーションによると、最悪の場合、「30年代には需要量を国産だけでまかない切れなくなる可能性がある」という。 対応策として有力なのが、点在した農地を一カ所に集める集約化だ。 移動時間を省き、トラクターなどの農機具を無人で動かすことができるようになる。 農家1人が耕せる水田面積を大きくすれば、耕作放棄地の拡大に歯止めがかけられる。
農水省は、集約に必要な農地の交換の話し合いを促すため、10年後に地域の農地を誰が耕しているかを色分けした未来地図の作成を、市町村に義務づけた。 9割超の市町村がつくったが、形骸化したケースが目立つ。 集約するための話し合いは、しばしばしこりを残す対立になると言う。 集約はなかなか進まなかった。
戦後の農地改革で水田は細分化された。 農家の所得が少ない時代は、それでも国際競争力を保てたが、所得が上昇するにつれ、日本のコメ価格が高止まりする主因となった。
2017年に施行された地域未来投資促進法で、農地の転用がしやすくなった。 政府が食料安全保障を掲げるなか、好条件の農地は保護されそうなものだが、逆に転用の規制は何度も緩和されてきた。 農水省幹部によると、背景には減反政策があるという。 「生産量の抑制を目指すうえで、農地を減らす農地転用は役所にも都合が良かった」。
奥原正明・元農水省事務次官は、農地の利用を根本的に見直すよう提言している。 いったんすべての農地を都道府県の「農地中間管理機構(農地バンク)」が借り、それを農家に貸す仕組みへの転換だ。 奥原氏は、「離農は戦後の構造を変えるチャンスにもなる」と言っている。 ただ、奥原氏の唱える改革は、憲法が保障する財産権の制約があるとして、農水省は及び腰だ。
そこで注目されているのが、新たな栽培方法「節水型乾田直播(かんでんちょくは)」だ。 直接畑に種を播くことで、手間のかかる育苗や田植えを省ける。 田に水を張った状態にしておく必要はなく、水の管理期間を大幅に短縮できる。 2年前に直播を導入したヤマザキライス(埼玉県杉戸町)では、70日間必要だった水の管理が8日間で済むようになり、収穫前までの労働時間を7割削減できたという。 玄米60キロあたりの生産コストは、全国平均の3分の1以下の4500円、米国(約3900円)に近い低コストだ。 水が豊富な場所では田植え、それ以外では直播と言ったように、状況に応じて農法を組み合わせればいい。
国の割り当てや奨励金で、生産構造が固定化 ― 2026/06/19 07:27
ある農水省幹部は、「減反政策は、過去の生産量という『既得権』を守り、経済原理に基づく最適産地での生産を阻害した」と弊害を語った、と第3回の最後にある。
1960年代後半から、コメ余りが定着した。 供給が需要を上回れば製品価格は下落する。 すると、生産性の低い企業は市場から退出し、供給過剰は整理される。 ただコメ産業ではこうした経済原理は機能しなかった。 農水省が1969年から始めた減反政策では、主に過去の実績にもとづき、各都道府県の生産上限が割り当てられ、「食べるコメ」以外の作付けが模索された。 米づくりの適地である新潟で、工業用米がつくられるのも、この名残だ。 いわば「皆が等しく痛みを分かち合う」仕組みのもとで、生産構造が固定化した。
68年と2024年の都道府県のコメの生産量を比較すると、この56年間の順位の変動は平均で1・5位だった。 1968年のトップ10で2024年に圏外になったのは、10位から11位になった岩手県だけだ。
日本列島を「令和の米騒動」が襲った2024年、日本最大の米どころの新潟市が4月に、市内で収穫されたコメを原料の10%程度に使った指定ゴミ袋を導入した。 新型コロナ禍によるコメ需要の急減で在庫が山積みになったときだ。 農水省は主食用米の生産を過去最大規模で抑制するよう呼びかけた。 市にとって非常に大事なコメ産業をいかに未来に残していくかを考え、主食以外の活用が考えられた。 ゴミ袋用の工業用米の生産は、市内の二つの農家が引き受けた。 その一つ、株式会社「やまがら」が決め手にしたのは、国と市が支給する転作奨励金だった。 主食用米と同等の収入が見込めるため、新たな販路を拡大することにした。 同様の動きは、全国にじわりと広がる。 コメを原料に加工するバイオマスレジングループは、新潟、福島、熊本県などから、年約120トンのコメを買いつけている。
2018年からは、都道府県への生産上限の割り当てはなくなったが、転作奨励金や水面下の指導で、国が需給を差配する仕組みは温存された。 農家には国と自治体が支給する複雑な奨励金の仕組みを読み解いて、奨励金目当てに生産する慣行が定着した。
国と自治体などの21種類の奨励金は、小麦とソバ、野菜など18品目を作った場合に、それぞれいくらもらえるのか――。 北海道のコメ商社が、作付け前の農家に、参考資料として一覧表を作っている。 奨励金は、不公平のもとにもなってきた。 同じ作物をつくっても、もとが畑か水田かで奨励金に差が出るからだ。 転作を始めた当初は、水田由来の土地は畑作に不向きなため、奨励金で補償する意味合いがあった。 だが、今では多くで排水工事が行われ、むしろ生産性が高いという。
収穫量の競争から、高く売れるブランド米へ ― 2026/06/18 08:12
日本は60年代後半にコメ余りの時代に突入した。 農水省は関税などで国内市場を隔離したうえで、予測する需要量にあわせて生産量を抑制する減反政策を続けた。 それがコメ作りにどんなひずみをもたらしているのか、『揺れるコメ改革 減反は何をもたらしたのか』を見てみたい。 第2回では、10アールあたりの収穫量(単収)を競う全国コンテストと、品種開発の歴史が扱われている。
10アールあたりの収穫量(単収)を競う全国コンテストは、終戦直後の食糧難の解決が緊急課題だった1949年に始まった。 毎年およそ2万人が参加する激戦を勝ち抜こうと、農家はいち早く多収品種を導入し、日本一に輝く品種は、毎年のように入れ替わった。 前年に配布が始まった新品種「ふ系55号」を採用して、1961年に975キロ、62年に863キロで制した八ヶ岳の麓に広がる長野県富士見町の小池政之さん夫妻の田んぼには「日本一 生産の地」の石碑が建っている。 一方、2025年産の収穫量の全国平均は、農水省によると573キロだ。 コンテストは、68年で打ち切られた。 そのころ、コメ政策は転換点を迎えていた。 増産が進む一方、食生活の洋風化で需要は伸び悩み、政府は山積みになる余剰米の処理に苦悶していた。 翌69年には、生産量を抑えるための減反に踏み切った。
減反で消えた、もう一つ、品種開発では、多収の研究が止まり、食味や冷害への対応力の向上が中心になった。 限られた生産量でいかに収入を増やすかに注力し、高く売れるブランド米ばかりをつくるようになった。 それが半世紀にわたって続いた結果、かつて世界トップレベルを誇った日本のコメの単収の地位が大きく低下した。
国連食糧農業機関(FAO)の統計によると、日本の1968年の単収は世界4位だったが、2024年は14位に落ち込んだ。 米国(8位から5位)中国(25位から5位)などに抜かれた。 日本が減反を始めたころ、世界では単収を引き上げるために肥料を多く与えても稲穂が倒れないよう、背丈が低い品種の開発や普及が加速した。 日本で進んだのは、この逆だった。 1979年以降、作付面積トップのコシヒカリは、背丈は高く、単収は少ない。 コシヒカリは、56年に命名された古い品種だ。 海外の主流品種は、古くても10年ぐらい前のもので、半世紀以上前に開発された品種がいまだにトップになっている日本の構図は、世界では異例だという。
増産をタブー視するコメ作りに変化の兆しも出てきた。 20年に安倍政権は「食料・農業・農村基本計画」に、長年封印してきた「多収品種の導入」を盛り込んだ。 注目されたのが、15年に配布を始めた「にじのきらめき」、食味と収量を両立させた品種で、通常の品種より1~3割ほど多く収穫できる。 ただ、「にじのきらめき」など多収米の収穫量は、まだ全体の6%程度だ。 立ちはだかるのは、半世紀で築き上げられてきたブランド米信仰の壁だ。
多くの農協は、ブランド米を前提に作業日程や貯蔵庫などの設備を構築してきた。 このため従来の品種以外への対応は柔軟に行えず、「にじのきらめき」の栽培は、自前の流通設備を整えた大規模農家に限られているという。
日本のコメ、失われた国際競争力の裏に ― 2026/06/17 07:20
日本は戦後、自由貿易を掲げて関税を引き下げてきた。 世界銀行によると、日本の22年の平均関税率は1・6%で、米国(1・5%)や欧州連合(1・3%)と遜色ない水準だ。 だが、コメの事情は別だ。 日本は無関税枠を除く輸入に、1キロあたり341円をかけている。 輸入価格によって率は変わるが、23年の実績をもとにすると200%程度だ。 トランプ大統領は、相互関税を発表した25年4月、「日本は友人だが、700%の関税をかけている。なぜなら、我々にコメを売らせたくないからだ」と批判した。 「700%」は事実ではないが、関税が高率であることは否定できない。
「令和の米騒動」では、業界関係者が驚く事態が起きた。 高関税で事実上禁止したはずのコメの輸入が急増したのだ。 25年の関税を払う民間輸入は、前年の95倍の9万6834トンに跳ね上がった。 米価急騰で、関税を支払ってでも輸入した方が安くなったためだ。 輸入米の多くを利用していると見られるのが、一部を海外産に切り替えた牛丼チェーンの松屋や吉野家といった業務用の分野だ。 輸入拡大を食い止めようと、農水省は業務用のコメの生産に出す新たな補助金を検討中だ。 「輸入封じ」の補助金とみなされれば、米国とのさらなる火種になる恐れもある。
コメの輸出が補助金頼みになるのは、日本の米価が国際水準からかけ離れて高いからだ。 農水省によると、25年産の国産米の業者間取引(1キロあたり)は627円。 タイ産はその10分の1の63円、米国産は4分の1以下の142円だ。
政府は昨年4月、「食料・農業・農村基本計画」を閣議決定し、24年は4・6万トンだった輸出量を、30年に35・3万トンに増やす野心的な目標を掲げた。 だが、25年はほぼ横ばいの4・8万トンだった。
実は、日本のコメの価格は、昔から高かったわけではない。 1950年12月、池田勇人蔵相(当時)の失言とされた「貧乏人は麦を食え」は、朝鮮半島産やタイ・ビルマ産の輸入米と比べ、国内の生産者米価は2~3割安いので、国際価格にあわせて国内の米価が上昇した際には、低所得の人は麦を食べてほしいという文脈だった。 池田は、自由貿易のもとでは、米価も他の製品と同様に、「国際市場に鞘寄せされる運命」だという持論を述べたのだが、75年以上経った今も、池田が「運命」だとした米価の国際価格への「鞘よせ」(価格差が小さくなる)は、国際価格より高い国産米という逆の形で、実現していない。
日本は60年代後半にコメ余りの時代に突入した。 そのころには、人件費が上昇するなどして、国際競争力を失っていた。 経済原理に従えば、コメが余れば米価は下落し、国際競争力は回復していくはずだった。 だが、実際にはそうはならなかった。 農水省は関税などで国内市場を隔離したうえで、予測する需要量にあわせて生産量を抑制する減反政策を続け、米価の高値誘導を続けたからだ。
高い米価は、疲弊する地方経済を下支えし、農家を主な支持基盤とする自民党が安定政権を築くことを可能にした。
その一方で、消費者は、税金や社会保険料の負担が増すなかでも、高いコメを購入し続けることを強いられた。 高い米価のもとで生産性が低い零細農家が残り、農家の技術革新も停滞した。
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