森林貴彦監督の「全国優勝への転機いくつか」 ― 2024/09/02 07:01
実は、私が「「人間交際」の恵み、福沢諭吉協会五十年」を書かせてもらった福澤諭吉協会の『福澤手帖』201号に、森林貴彦監督が「全国優勝への転機いくつか」という一文を寄せていた。 2023年夏、塾高の応援席をぎっしりと埋めつくした老若男女が、毎試合大きなエネルギーを与えてくれた「社中協力」を体現した姿、応援してくれたすべての人々への感謝と幸せから、それは始まる。
転機として第一に挙げるのは、2018年に春夏連続で甲子園に出場したこと。 監督3年目で、チーム9年ぶりの春は彦根東(滋賀)に初戦負け、10年ぶりの夏は中越(新潟)にサヨナラ勝ちした後、高知商業に完敗した。 このままではダメで、他校にはない特徴を出す差別化を図ることが大事だと、決断する転機になった。 模索の中から、「自分で考える」、「任せて、信じ、待ち、許す」、「新たな伝統を創る」、「フラットな組織を築く」、「独自の視点を持つ」、「伝えたいことを絞る」、「指導者も選手も日々成長」といった指導理念を土台にしたチーム創りが見えてきた。 それは、いわゆる高校野球らしさとの決別を意味し、高校野球の常識を覆すことを目指すのが使命となった。
次の転機はコロナ禍。 本来の部活動の価値を提供できない時期が続く中で、野球部としての新たな取り組みへの意欲が湧き上がる。 それまで独学だったウェイトトレーニングやメンタルトレーニングを専門家に委ね部員に還元していく。 意中の人に接触して話し合い、塾高野球部に関わってもらうことになり、この数年でその指導が本格化した。
2023年春の選抜大会の敗戦も大きな転機となった。 5年ぶりの出場だったが、初戦で仙台育英にタイブレークで負けた瞬間から、夏へのチャレンジが始まった。 仙台育英の強力な投手陣から得点するのにはどうしたらいいのか、どうしたら勝てるのか。 スイング強化のウェイトトレーニングは例年以上時間を確保、打撃練習では「一球で仕留める」ことを意識し、「ありがとう」と「チャレンジ」を旗印とするSBT(スーパーブレイントレーニング)の取り組みも継続、強化した。 「もう一度仙台育英と戦いたい」、「その時には必ず勝ちたい」という一念で練習に臨む日々を過ごした。 再戦は、夏の甲子園決勝戦という最高の舞台が用意された。 そして選手たちの心意気は、応援の後押しもあって、仙台育英を飲み込んだ。
2023年夏の神奈川県大会の優勝も転機としては欠かせない。 七連勝が必要な激戦区、準決勝の東海大相模では序盤から得点を重ねて勝ち、決勝では横浜高校に9回2点ビハインドからの奇跡的逆転勝ち、神奈川を勝ち抜いた自信と勢いを身にまとって、甲子園に乗り込むことができた。
次の転機は、甲子園初戦の北陸高校戦。 県大会決勝から16日間空き、猛暑の中を過ごし、「今できることに集中する」「結果は出すものではなく出るもの」と前向きな考えに勇気を得て、9対4で勝利した。 最終回の4失点も、今後につながると理解した。
転機として決して外せないのは、滞在したホテルや関係者の皆様の温かな対応だった。 「KEIOの日本一」は、単に野球での日本一だけではなく、人間性での日本一も目指すための高い高い目標です、と森林貴彦監督は結んでいる。
「結局のところ、慶應高校の全国優勝は「運」だった」 ― 2024/09/01 07:33
新潮社『波』9月号に、おおたとしまさ(教育ジャーナリスト)さんが「結局のところ、慶應高校の全国優勝は「運」だった」という、加藤弘士著『慶應高校野球部 「まかせる力」が人を育てる』(新潮選書)の書評を書いている。 徹底した現場取材と関係者ヘのインタビューから、107年ぶりの全国優勝に不可欠だったピースを一つ一つ明らかにしていく、プラグマティズム的教育論であり、同時に組織論の教科書である、とする。 そして結局のところ、塾高の全国優勝が「運」であったことがよくわかる、という。(「塾高」と書くところは、この人も慶應義塾かな。)
第7章「『失敗の機会』を奪わない」が出色で、慶應義塾幼稚舎の教諭でもある森林貴彦監督は、「勝利よりも成長」を掲げ、生徒たちの人間的成長を、指導の目的に据えて、ブレない。 監督の指導の結果でなく、「自分たちでやったけど、うまくいかなかった」の方が、意味がある、「学校というのはやっぱり、失敗させてあげる場なので」と森林監督。 評者のおおたとしまささんは、スポーツでも受験でも、子供たちの挑戦は、人生の学びのためにあるとして、ときに敗北は最良の教材にさえなる、という。 そして、森林監督と同世代の父親として、2023年塾高ナインが得た「運」のなかでも特に二つの偶然に注目する。
チームに、元読売ジャイアンツ・清原和博の息子・清原勝児がいたことと、森林監督の息子・森林賢人(けんと)がいたことだ。 清原勝児は、世間の注目を浴びながら、代打として健気な勇気でグラウンドに立った。 森林賢人は、夏の大会を前にメンバーの30人に選ばれず、監督と面談し、1年生の指導を担当するサポートスタッフになった。 帰宅すると父親から「お疲れさん」とひと言だけねぎらいの言葉があり、胸が熱くなったと息子は言う。 このくだりで評者は、父親の胸の内を想像して、ついにこみあげるものを抑えきれなくなった、という。
二軍はダメ、初戦敗退はダメ、不合格者はダメ、平社員はダメ。――どこがダメなのか言ってみろ! そんなふうに決め付ける社会のほうがダメなんだ! 心底そう思えるひとたちを、森林監督は教育者として、塾高のグラウンドでも幼稚舎の教室でも、育てているのだと、おおたとしまささんは思う。
メダリスト岡慎之助と早田ひなの「言葉の力」 ― 2024/08/13 07:19
パリオリンピックの新聞を読んで、嬉しかったのは、体操で二つ目の金メダルを(当時)獲得した岡慎之助選手(20)の、「言葉の力 岡を頂上に」「読んで 書いて 見つけた自分」(8月2日朝日新聞朝刊・内田快記者)という記事だった。
岡慎之助は少年時代「ノー」と言えなかった、つらく厳しい練習や新しい技への挑戦に…。 今でも親交のある地元・岡山の体操スクール時代のコーチは、かつての岡を「表情が乏しく、何がしたいと言えなかった子」と振り返っているという。 中学卒業と同時に親元を離れ、神奈川県の実業団に進んだ。 15歳での入団は異例だが、すぐに世界ジュニア選手権の個人総合で金メダルを獲得した。 実業団に細かく言う指導者はいなかった。 新技に挑もうとしても、誰かに押されないと出来ない難しさがあり、監督にミスをした理由を聞かれても、「きつかったから」と言うだけで、本当の理由を探れなかった。
18歳の春、右ひざに全治8カ月の重傷を負い手術を受けた。 練習ができない時間を使って本を読み、感想文を書くことを監督やコーチに勧められた。 自分の考えをまとめ、他人に伝えられるようになって欲しいという願いがあった。 1週間に1冊ほどのペースで計20冊。 人生の「谷」にいるときの考え方など、先人の知恵を吸収していった。 自分で選んだ本の感想文をA4用紙1枚につづった。
練習に復帰すると言葉が少しずつ出てくるようになった。 演技の成功、失敗の要因を説明できるように。 試合中に演技の難易度を下げるよう提案を受けても、必要ないと思えば断るようになった。
岡がオリンピックで生き生きと演技する姿を見て、地元時代のコーチは、押しつけるような指導の過ちに気づき、「全部、慎之助が覆してくれました」と言ったそうだ。
卓球女子シングルスで、左手を負傷しながらがんばって、銅メダルを獲得した早田ひな選手には、「ひな語」というのがあるそうだ。(8月6日朝日新聞夕刊・鈴木健輔記者) 五輪前のある大会で優勝した後、プレーで意識したことを問われて、「結構、恥ずかしいけど……。パラパラチャーハン」と言った。 ぽかんとする報道陣に、必死に説明し、「自分は手足が長いので、両サイドは届く。相手は体の真ん中を狙ってくるので、足を動かして」と、フォアハンドで打てるように、右に左に自在に動き回ることを言っているらしい。
「パラパラチャーハン」は、早田が中学時代から使い始めた独特のワード、「ひな語」の一つだ。 石田大輔コーチは、「何かのひらめきで頭と体にパコッとはまる時がある」、そのひらめきを逃さないよう、良い感覚を言語化したものが「ひな語」だという。
最初に誕生したのが、「さくらんぼドライブ」。 大塚愛の人気曲「さくらんぼ」が流れていた時、スムーズにドライブが打てた。 「すあー」は、早田本人にも意味が不明だが、硬くなっている時に、口にすると、脱力できるという。 「ひな語」はまだまだあり、「技術が先なのか言葉が先なのかはありますが、頭をシンプルにするためにいいなと思っています」と、話したそうだ。
東京六大学野球、2024春の慶應義塾 ― 2024/06/06 07:07
東京六大学野球の2024春季リーグ戦は、1日、2日の早慶戦で、早稲田は勝ち点を取れば優勝、慶應が連勝すれば明治の優勝、2勝1敗なら早明の優勝決定戦だったのだが、慶應が1対8、2対12で連敗して、早稲田の7季ぶりの完全優勝に終わった。 最近の早慶戦では、優勝しそうな慶應が早稲田にやられることが多いので、その逆もあるかと思ったのだけれど、歴史的な大敗となってしまった。 慶應の試合はBIG6.TVでほとんど見ていたのだが、2日の早慶戦だけはNHKのEテレで見た。 アナウンサーがリーグ戦を、何度も「今大会」というのが気になった。 6月10日から始まるのは、全日本大学野球選手権大会で、これなら「大会」だけれど…。
そんな八つ当たりをしたくなるのは、慶應は6勝6敗1分で3位だったからか。 出だしは、よかったのだ。 東大1回戦、4番ファースト清原正吾(背番号3)のタイムリー二塁打を皮きりに主戦投手(古いね)外丸(8回)と小川で5対2、2回戦も渡辺和大先発、勝投手沖村で8対3と連勝。
法政1回戦に2対6と外丸で敗れたものの、2回戦は竹内、広池、渡辺和、小暮、外丸とつないで5対4で勝利、3回戦は9回一アウトまで外丸、渡辺和、小暮とつなぎ、1対1の延長12回、代打渡辺憩(1年、慶應高昨年夏の優勝捕手)の神宮初打席さよならホームランで2対1、勝ち点を得た。(日本で最も古い野球部は?<小人閑居日記 2024.5.5.>参照)
立教1回戦は外丸完投、9回清原のタイムリー二塁打と暴投で2対0の勝利。 2回戦竹内、渡辺和、沖村、小暮、広池、2対4で立教の対慶應21連敗阻止かと思われた9回裏、今津ヒットの二死、佐藤駿の三塁打、渡辺憩の二塁打で4対4の引分(プロ併用日)となった。 3回戦は渡辺和先発、渡辺憩捕手の渡辺バッテリー、広池、小川とつなぎ、7回まで1対7とリードを許し、8回水鳥、清原の内野安打、本間のホームラン、渡辺憩のタイムリー(この日4打数3安打)で4点を取って追い上げたが、5対7で立教は対慶應21連敗を阻止した。 雨で一日延期となった4回戦は、外丸完投、1点先制された3回清原、2点タイムリー二塁打で逆転、5回に同点とされたが8回常松のタイムリー二塁打で3対2で勝ち点を3とした。
この試合、渡辺憩が一塁に滑り込んだ時に、右手の親指かと思うが負傷して森谷に交代した。 ここまでラッキーボーイ的存在だった渡辺憩が出場できなくなり、危い所で何とか幸運な勝ちを拾ってきた今シーズンの慶應の運が尽き、明治戦を0対5、3対4で連敗してしまったのだった。
「女」の諺、成句、慣用句 ― 2024/05/11 07:01
そこで、『広辞苑』で「女」から始まる、諺、成句、慣用句を拾ってみた。 昔から使われてきた言葉だから、全体的にジェンダーフリーとは相容れないものが多く、猪爪寅子(ともこ)には「はて!」と顔を顰められそうだ。
「女の足駄にて造れる笛には秋の鹿寄る」…女の色香に男はまよいやすいことのたとえ。
「女の髪の毛には大象も繋がる」…[五苦章句経]女の色香にはどんな男もまよいやすいことのたとえ。
「女の腐ったよう」…柔弱で煮え切らない性質の男の形容。
「女の知恵は後へ回る」…女は知恵のまわりがおそく、事が終わってから出る。
「女の鼻の先知恵」…女は目先のことしか考えない意。女の鼻先思案。女は鼻の先。
「女の目には鈴を張れ」…「男の目には糸を引け、女の目には鈴を張れ」男の目は細く鋭いのがよく、女の目はぱっちりしたのがよい。
「女は氏無うて玉の輿」…女は家柄がいやしくても、容姿や運次第で富貴の人の妻になれる。氏なくして玉の輿。
「女は門開き」…天鈿女命(あめのうずめのみこと)が舞を舞って岩屋の戸を開いたという故事から、女は縁起がよいものという意。
「女は化け物」…女は化粧や着物次第で美しく変わるの意。
「女寡(やもめ)に花が咲く」…夫に先立たれた女はかえって身ぎれいになり、世の男にもてはやされること。
「女を拵える」…情人として女を持つ。
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