『続・続・最後から二番目の恋』2025/05/24 07:17

テレビドラマは、大河ドラマと朝ドラ以外ほとんど見ないのだが、フジテレビの月9、『続・続・最後から二番目の恋』は、鎌倉や江ノ電が舞台で、2012年1月からの第1期、2014年4月からの第2期を見ていたので、今年4月からも見ている。 何といっても岡田恵和の脚本が軽快で、会話のやりとりが愉快な、ロマンチック・コメディだ。 最初からは13年を経て、第二回の題は「若さより輝く時だってあるんだぜ」、中井貴一の長倉和平は鎌倉市の課長を定年になって63歳の嘱託、課長になったかつての部下の松尾諭に「長倉君」と呼ばれる。 吉野千明の小泉今日子は、60歳を目前にチームを率いるテレビ局でドラマ制作が続けられるかどうかの瀬戸際にある。

たまたまBSフジの木曜夜に「飯島直子の今夜一杯いっちゃう」という番組があって、学芸大学のLODGE BISTRO SARUで、中井貴一と小泉今日子と、ジビエ料理とワインを楽しみながら、このドラマの話をしているのを見た。 何と言っても、第1期、第2期と同じメンバーが皆元気で、一緒にこのドラマをつくれることが楽しいという。 子役だった長倉和平の娘えりな役の白本彩奈が大きくなって、モデルをしながら俳優の道へ、学費を稼ぎながら大学にも行くなど、その実生活の成長も見つめているような話をしていた。

19日の第6回「どうせならファンキーに年をとりたい」ともなると、第1期、第2期の忘れていた関係性を、あれこれと思い出すのだった。 長倉和平の弟真平(坂口憲二)と妹の万里子(内田有紀)が双子だったことを、万里子が真平の異常を双子だったのに気付けなかったというセリフで…。 真平の妻、知美(佐津川愛美)が、鎌倉市役所で長倉和平の席の後ろに勤めていたり、今回あまり出てこなかった美保純が、その知美の母だったことなど。

吉野千明(小泉今日子)の母親から父親の肝臓が悪いという連絡があり、父母を安心させるために長倉和平(中井貴一)「事実婚」の相手ということにして、信州上田の実家に豊島屋の鳩サブレ―34枚を土産に行くことになる。 母吉野有里子は三田佳子、実は元気だった父吉野隆司は小倉蒼蛙だった。 小倉蒼蛙、アオガエルという名前、どっかで見たことがあると思ったら、朝ドラ『あんぱん』の御免与、朝田家に親しい団子屋(和菓子屋)の親父桂万平なのだった。 小倉一郎という名前で知っていたが、2023年にがんを克服して小倉蒼蛙となったのだそうだ。

杏の里の染織家と志村ふくみさん2025/04/18 07:24

 15日、銀座和光のセイコーハウスホールへ「工芸・Kogeiの創造―人間国宝展―」を観に行って、特別出品の志村ふくみさんの紬織の着物を見てきた。 少し前に、NHKの放送100年記念番組の一つ、『小さな旅』の回顧「つないでつむぐ」を見た。 その最初に、長野県千曲市森地区の杏(あんず)の里で、杏の木から草木染めをしている父と娘をやっていた。 昔、番組に登場した父親は、私と同じ歳になっていて、まだ杏の染物をつくっており、娘さんがそれを引き継いでいるのだった。 森地区の杏の里の見事なのは、その花盛りに毎年、父が油絵を描きに通っていたので知っていた。

 3月25日の朝日新聞「天声人語」は、「この季節になると、中学の教科書で読んだ逸話を思い出す。春を告げる桜は、花だけでなく幹の中までピンクに染まっている。そんな話だった。あれは誰が書いたのだろう。40年ぶりに調べ、詩人の大岡信さんの文章にたどりついた」と書き出した。

 「京都を訪ねた大岡さんは、上気したような美しい色の着物を目にする。桜で染めたものだと染織家の志村ふくみさんに教えられ、可憐な花びらを煮詰めたのだろうと思い込む。実際は、ごつごつした樹皮から取り出した色だった。そして開花の直前でないと、この色は出せないと聞く。」

「大岡さんは不思議な感じに襲われた。桜が「木全体で懸命になって最上のピンクの色になろうとしている姿が、私の脳裡にゆらめいたからである」(「言葉の力」)。」

森地区の杏の木を割って、染織をしている人も、志村ふくみさんとまったく同じことを言っていた。

「龍馬を斬った男」今井信郎のこと2025/04/14 07:00

 大河ドラマ『龍馬伝』が放送された2010年8月22日、坂本龍馬とキリスト教として、龍馬とクリスチャン二人の話(8月20日と21日)に次いで、「今井信郎のこと」を書いていた。 

        今井信郎のこと<小人閑居日記 2010.8.22.>

 磯田道史さんが「龍馬を斬った男」と書いた今井信郎(のぶお)のことを調べる。 司馬遼太郎さんの『竜馬がゆく』を読んだ頃に買ったのだろう、平尾道雄著『龍馬のすべて』(久保書店・1966年)という本が書棚にあった。

 坂本龍馬が京都の近江屋で暗殺されたのは、慶應3(1867)年11月15日の夜。 暗殺犯は特定されていないが、定説では徳川幕府側の京都見廻組の七人ということになっている。 その七人の中に、今井信郎がいた。 戊辰戦争では、榎本武揚に従い北海道箱館で最後の抵抗を試みたが、降伏している。 その時、刑部省が取り調べた口供書「箱館降伏人 元京都見廻組今井信郎口上 午三十歳」によると、当夜近江屋を襲ったのは見廻組の与頭(よがしら)佐々木唯(只)三郎(同じ慶應3年4月江戸で庄内の清河八郎を斬った)と配下の渡辺吉太郎、高橋安次郎、桂隼之助、土肥仲蔵、今井信郎、桜井大三郎の七人、佐々木は二階の上り口でがんばり、二階に踏み込んで龍馬と中岡慎太郎を斬ったのは渡辺、高橋、桂の三人で、肝心の今井を含む三人は家の周辺を警戒していたという。

 当初、龍馬暗殺は新撰組の仕業だと言われていた。 近藤勇が捕えられて尋問を受けた時、新撰組の原田佐之助がやったと認めたという。 上の今井と同じ箱館降伏人のうちに新撰組の横倉甚五郎、相馬主殿(とのも)、大石鍬次郎らがいて、彼らの口供書に、近藤勇の陳述は合点がいかない、どうせ打首になるのだから弁解を避けたのだろうとし、かねがね近藤は見廻組今井信郎、高橋某だと言っていた、とある。 今井信郎の名だけが、はっきりと挙げられている。

 今井信郎は徳川家の旗本の家に生れ、剣客榊原鍵吉門下で、小太刀の名手だった。 維新後は遠州初倉村にひっこみ、事件については一切語らず、熱心なクリスチャンとして晩年を送った。 今井信郎の孫から、そのいとこが聞いた話が、高知新聞に載ったことがある。 信郎の妻いわは同行して京都にいた。 ある晩おそく帰って、一室に閉じこもって出てこない。 ふすまをあけて見ると、右手の中指がザックリ削がれているのを、焼酎で洗っていた。 その時、坂本龍馬を殺しに行って、中岡慎太郎に斬られたと話したらしい、と。

     坂本龍馬とキリスト教、その一<小人閑居日記 2010.8.20.>

 『龍馬伝』15日放送の「亀山社中の大仕事」では、龍馬が芸者の元(蒼井優)と取引をした。 長崎奉行所のスパイ元が、隠れキリシタンと知り、薩長連合の工作を奉行所に伝えないように取引したのである。 「みんなが笑って暮らせる国」という点で、両者は一致した。 この話はフィクションであろうが、坂本龍馬の縁者からキリスト教に関係している人物が二人出ている。

 ひとりは、山本(澤辺)琢磨(1825~1913)。 『龍馬伝』2月28日放送の「生命の値段」で、江戸で二度目の剣術修行中だった坂本龍馬が助けた、同じ土佐藩郷士、龍馬の従弟である(『龍馬伝』では、確か武市半平太の妻・冨のいとこという設定だった)。 拾った時計を売り払ったことで責任を問われ、切腹させられそうになったのを、龍馬が逃がした。 箱館へ逃れ、神宮社宮司の養子となって澤辺姓となる。 新島襄にロシア正教伝道のために来日していた宣教師ニコライの話を聞き、尊皇攘夷の立場から殺害しようとして近づくが、逆に神父の崇高な教えに感銘を受けて、自ら刀を捨てて、信仰を受け入れ、1868(慶應4)年受洗する。 ロシア正教会の日本人最初の信者で、1875(明治8)年ニコライの創設した日本ハリストス正教会の最初の司祭となる。 聖名パウエル。 各地(主に東北)での布教活動に貢献し、ニコライ堂の建立にもかかわった。

田沼意次の「牧之原市史料館」と、坂本竜馬暗殺犯人2025/04/13 07:47

 毎月「等々力短信」に返信して下さる静岡の方から、3月の第1189号「蔦屋重三郎のサロン」に関連して長文のお手紙を頂いた。 御前崎近くの牧之原市の相良城本丸跡に「牧之原市史料館」があって、大河ドラマ『べらぼう』に関連して「蔦屋重三郎と田沼意次」を特集しているので、近く行ってみようと思っている。 そこで一つ、学芸員に聞きたいことがある、という。

 田沼意次は、徳川家重の小姓組番頭・御側から出世して一万石の大名となり、つぎの徳川家治の信任も厚く側用人となり、遠江国相良(さがら)に築城して二万石の藩主となった。 老中、五万七千石にまで進んだが、その経済政策が賄賂政治だという批判があり、嫡男意知(おきとも)が江戸城で暗殺される事件があって権勢が衰え、家治が急病死すると、失脚した。 嫡孫意明(おきあき)が家督を継いだが、一万石に減封され、陸奥国下村に転封となった。

 田沼の賄賂政治と悪くいわれる一方で、意次は、遠江国相良の国元では、町方と村方の統治を明確化し、城下町の整備、東海道藤枝宿から相良までの分岐路の整備(田沼街道・相良街道)、相良港の整備を行い、殖産興業にも力を入れた。 また、郡上一揆の調査と裁定を行なった経歴から、年貢増徴政策だけでは経済が行き詰ることを知っていて、家訓で年貢増徴を戒めたので、領内の年貢が軽いことを百姓が喜んでいたという逸話が残っている。

 静岡の読者が、学芸員に尋ねたいのは、その田沼意次でなく、坂本竜馬を殺した犯人とされる今井信郎の件だという。 犯人には諸説あるが、一応京都見廻り組の今井信郎が自供している。 法政大学の田中優子さんも、今井信郎でいいと思います、と話していたという。 今井信郎は、戊辰戦争で生き残り、牧之原茶園の開拓をして、大井川の近く現在の島田市に住んでおり、亡くなったと、本で読んだことがあったので、それを学芸員に確かめたいのだそうだ。

 私も、坂本竜馬には興味があったので、これまでにも今井信郎について書いたことがあった。 それは、また明日。

平賀源内『根南志具佐』と瀬川菊之丞2025/03/27 07:05

 源内は戯作でも1763(宝暦13)年、天竺浪人のペンネームで『根南志具佐(ねなしぐさ)』というベストセラーを出している。 とある僧侶が、美貌の女形二代目瀬川菊之丞に惚れて、貢ぐために悪事を働いたため地獄の閻魔大王の所に連れて来られる。 閻魔大王は、男色を汚らわしいと非難するのだが、瀬川菊之丞の絵を見て、一目惚れしてしまい、竜宮城の龍王に菊之丞をさらって来るよう命じる。

 その役を引き受けた河童が、同じ女形の荻野八重桐とともに舟遊びをしている菊之丞のもとに、若い侍の姿で現れる。 菊之丞を川の中に引き込んで、さらっていく手筈だった。 だが河童も菊之丞に一目惚れして、菊之丞もこの若侍に惹かれて、一夜を共にする。 河童が洗いざらい打ち明けると、心も美しい菊之丞は、自分を閻魔大王の所に連れて行け、と言って身を投げようとする。 河童は必死に止め、二人がすったもんだしているのを聞きつけ、荻野八重桐が現れ、二人の真摯な思いに感じて、自分を閻魔大王の所に連れて行け、と言って身を投げる。 河童は消え、一人残された菊之丞は、飛び込んで八重桐を探そうとするが、「危ない」と止められ、呆然として水面を眺めていた。

 この物語は1763(宝暦13)年、荻野八重桐が隅田川で川遊びの最中に、誤って川に落ち、溺死した事件をベースにしている。

『べらぼう』、「瀬川」と平賀源内<小人閑居日記 2025.3.17.>に書いたように、大河ドラマ『べらぼう』で、蔦重の幼馴染の花魁花の井(小芝風花)は、源内の好みを知っていて、男装で現れ「あっちでよければ、瀬川とお呼びくだせえまし」と、源内を喜ばせる。 源内は、花の井の「瀬川」に「ひとさし舞っちゃあくれねえかい」と。 翌朝、花の井は、平賀源内が福内鬼外(ふくうちきがい)の名で書いてくれた『吉原細見』の「序文」を蔦重に渡す。 版元・鱗形屋孫兵衛の「改め」(調査・情報収集・編集)となって、蔦重が仕事をした、この『細見嗚呼御江戸』は、よく売れたのだった。

花の井は、『根南志具佐』を読んでいたわけだ。 鱗形屋の『細見嗚呼御江戸』は、1774(安永3)年の刊行だから、『根南志具佐』がベストセラーになってから11年後のことになる。 杉田玄白、前野良沢、中川淳庵らの『解体新書』の出版も、この年、1774(安永3)年の刊行。

 蔦屋重三郎と「瀬川」、吉原細見『籬の花』<小人閑居日記 2025.3.18.>に書いたように、松葉屋の花の井は、松葉屋伝説の名跡「瀬川」の五代目を、蔦重のために襲名する決心をする。 蔦重の新しい「吉原細見」『籬の花』には、「瀬川」の名が掲載され、伝説の名跡襲名の話題は『吉原細見』の売上を伸ばすことになった。 吉原細見『籬の花』の出版は、1775(安永4)年7月だった。