家庭用品メーカーに徹する「象印マホービン」 ― 2023/09/28 06:58
『カンブリア宮殿』、次の週は「象印マホービン」だった。 「炎舞炊き」(圧力IH炊飯ジャー)という8万円以上もする炊飯器が、爆発的に売れているという。 毎日食べるご飯が美味しく炊けるという口コミが広がっているらしい。 炊飯器の分野では、家電メーカーが釜の材質を工夫することで競争してきた。 象印は、昔ながらの竈(かまど)の釜で炊く過程の、温度分布やコメの動きを徹底的に研究して、釜の材質でなく、コイルをいくつか配置することによって、炎によってコメが舞う(踊る)ように炊く方式を開発した。 狭い場所に複数のコイルを配置するのは、とても手数がかかり、どうしても製造コストが高くなる。 そのため、販売価格も高く設定しなければならなかったが、美味しいご飯を食べたいという消費者は、そのハードルを越えた。
今、65歳の市川典夫社長が、42歳で社長になった時(2001年)、「象印マホービン」は多種多様の家電製品に手を広げて、行き詰っていた。 重役は当然年上のベテランばかりだ。 大手の家電メーカー各社と競争しても、太刀打ちできない。 そこで家電メーカーでなく、元来の家庭用品メーカーに戻ることにした。 ステンレスの魔法瓶、炊飯器、電気ポット、ホットプレート、暮らしに寄り添った日常生活発想で「ちょっといいコト」「ちゃんといいモノ」を届けようというのだ。 「炎舞炊き」の大ヒットは、その線上にある。
原点は、1918(大正7)年、祖父の魔法瓶のガラスを吹く工場にあった。 今では、ステンレス製の魔法瓶ばかりになって、ガラスの魔法瓶をつくっているのは、「象印マホービン」だけになったそうだ。 しかし、ガラスの魔法瓶は容器の味や臭いが移らないので、アラブ諸国で今も人気があるそうだ。
番組で、魔法瓶のガラスを吹く工場の様子を見て、私は同じような窯で食器を製造していた家業のガラス工場のことを思わないわけにはいかなかった。 市川典夫さんが社長に就任した2001年は、わが社は前年末に窯の火を落として、会社の整理にかかっていた。 『カンブリア宮殿』で、「コクヨ」や「象印マホービン」の跡継ぎ社長たちの、熟考された経営戦略や奮闘努力を見ていると、こちらは零細企業ではあったが、忸怩たる思いがふつふつと湧いてくるのであった。
凸版印刷から、TOPPANへ ― 2023/09/27 07:03
『カンブリア宮殿』、次の週のTOPPANの回も見た。 凸版印刷は、10月に社名から「印刷」を外すという。 持株会社体制への移行で、商号を「TOPPANホールディングス」にし、事業を継承する会社を「TOPPAN」と「TOPPANデジタル」にする。 凸版印刷は、明治33(1900)年に大蔵省印刷局の若手技術者たちが独立して、「エルヘート凸版法」という当時最先端の技術を基礎に、証券印刷やパッケージ印刷などの分野にビジネスチャンスを見い出して創業した会社だ。 現在「印刷技術」をベースに、「情報コミュニケーション事業分野」「生活・産業事業分野」「エレクトロニクス事業」の三分野にわたり幅広く事業を展開している。
麿秀晴社長は、山形大学工学部卒、口下手な技術者だったが、敢て営業への配置を希望し、よくしゃべるようになって、社内外でコミュニケーションが取れるようになったという。 その体験から、会社では「ゼネラルなスペシャリスト」が求められていると語る。 技術者として、いくつかの特許を持っているが、その一つ「GLバリア」透明フィルムは、高いバリア性があり、食品など内容物の鮮度を維持し賞味期限を延長するとともに、環境適性にも優れたパッケージなどとして使われ、トッパンのドル箱になっている。 松山の「一六タルト」、札幌の「白い恋人」は、売り上げが伸びたと喜んでいた。 そして、事業分野の拡大で、観光施設「白い恋人パーク」の、企画設計運営の分野にも関わっている。
缶飲料の容器を紙でつくる「カート・カン」、木目を印刷した建材や家具などでも売り上げを伸ばしている。 タグ「RFID」は、ダンボールや袋の中に入っているものにつけたタグの情報を電波で読み取れるもので、複数アイテムを同時に読み取れるため、バーコードに代わる管理手法として、商品の在庫管理や棚卸など、アパレルなどさまざまな業界で、導入が進んでいるそうだ。
そういえば、昭和30(1955)年代に高校新聞を作っていた頃、写真や飾り見出しなどは、活字を組んでもらうのとは別に、注文して「凸版」にしてもらうのだった。 アルミ製かと思う「凸版」が出来て来て、紙面に組む時、活字の組み版と並べるのだった。 朝ドラの『らんまん』で、槙野万太郎は石版印刷を習得し、石版印刷機を入手する。 まだ、「凸版」は普及していなかったのだろう。 あれは、明治何年ごろのことか。 朝井まかてさんの『ボタニカ』を見たら、牧野富太郎が「石版印刷機」を買うと上京し、技術を習得するため、神田錦町の太田石版店に給金なしでと頼み込むのは、明治19(1886)年5月とあった。
『カンブリア宮殿』“Be Unique”の「コクヨ」 ― 2023/09/26 07:03
テレビ東京の『カンブリア宮殿』という番組(木曜日午後11時5分から)は、2013年6月「親を安心して預けられる病院づくり!」大塚宣夫さんの青梅慶友病院、よみうりランド慶友病院の放送で知った。(大塚宣夫さん20日(木)テレビ東京『カンブリア宮殿』に登場<小人閑居日記 2013. 6.16.>)
ずっと見ていなかったが、相変わらず、村上龍、小池栄子の司会で続いている。 文房具の「コクヨ」をやるというので、久しぶりに見た。 若い五代目の黒田英邦社長(47)が“Be Unique”を掲げ、カジュアルな格好で出社し、社員もそれに習っている。 二代目社長の祖父黒田暲之助の「人より先に失敗する」の企業カルチャーを引き継ぎ、数々の改革を押し進めている。
1975年の全面が広がる無線綴じのCampasノートは、お馴染みのヒット商品だが、テープ状の字消しは行間に合わせ5ミリ、4ミリのものがあり、乾くのを待たずにすぐに上に書ける。 消費者の細かいニーズを拾い上げ、アイデア文具を生み出すため、品川の東京本社の1階にカフェ&直営店を設け、直接手に取ったり、遊んだりした来店者から、もろもろのニーズを聞き出している。 鋏と先端のナイフが一体になったダンボール開けもある。
創業者は黒田善太郎、二代目は祖父黒田暲之助。 四代目の父黒田章裕(会長)は、スチール家具に進出するため、試作を重ねるのだが、朝出社すると、二代目に壊されていたという。 スチールデスクも1975年。 1990年代、「フリーアドレスオフィス」を実践、働き方の研究を通じて、事業をオフィス空間設計に広げている。 オフィス家具では、試作を繰り返して、失敗で培ったノウハウを凝縮した、腰に優しい椅子「ベゼル」がヒットしている。
黒田英邦社長は、文具やオフィス家具だけでなく、高齢化が進む地域の活性化を図るため、戸越銀座の社宅跡のビルで、商店街とコラボして、新展開も始めている。 地域に開かれた8つのスタジオをつくり、入居者が週に一日から、やってみたい副業に挑戦できる。 例えば、ヨガやフィットネスの教室、エステ店のような…。 人が集まる拠点をつくって、街を元気にする試みだ。
長い巡礼を達成して得られるものは… ― 2023/09/06 07:02
巡礼路には「アルベルゲ」というユースホステルのような救護施設、宿泊施設(寝袋持参)が点在し、巡礼手帳「クレデシャル」を持つ人は誰でも泊めてくれる。 8ユーロから15ユーロ、または寄付のみで泊れる。 巡礼手帳は教区教会、救護施設、観光案内所で3ユーロほどで入手でき、救護施設に泊まると、公式スタンプ(無料)が押され、集めたスタンプが巡礼の証明になる。
「銀の道」というのは、ローマ遺跡が沢山残り小ローマといわれるメリダから、ローマ時代にセビリアまで銀が運ばれたことによるらしい。 巡礼路は、エストレマドゥーラ州の茶色一色の厳しい不毛の大地が続いている。 この辺りからは、大航海時代に新大陸をめざし莫大な富を持ち帰ったピサロなどのコンキスタドール(征服者)が出たそうだ。 アルカンタラ湖という人造湖があり、付近はイベリコ豚の産地で、樫の木のドングリで育ったその生ハムや、羊のチーズ、トルタ・デル・カサールはとても美味だという。
サラマンカは、ローマ時代から交易の中心で、13世紀からのスペイン最古のサラマンカ大学があり、16万冊の図書館を誇る、大航海時代には天文学などから綿密な航海計画が練られ、かのアメリカ大陸発見のコロンブスも学んだ。 サラマンカのマコール広場は、世界一美しい広場といわれ、トゥナという学生バンドが中世の衣装で演奏していた。
カンタブリア山脈を越え、アストゥリアス州に入ると、茶色の大地は一変して、緑あふるるグリーン・スペインとなる。 レオンの大聖堂のステンドグラスは世界一、(9月4日に書いた)古都オビエドのサン・サルバドール大聖堂のスダリオ(聖骸布)を経て、いよいよ最終の難関、険しい山道「原始の道」を越えていく。
番組では、巡礼者だったカップルが経営する寄付制の巡礼宿に泊った巡礼者たちが、配膳を手伝った食事と乾杯の前に、どこから来た誰か、なぜ巡礼に来たかを発表する。 苦労して歩いて来た者同士の、心を開いた交流があって、なごやかな雰囲気で、食事となる。
最終日、雲海の下に、聖地サンティアゴ・デ・コンテスポーラが見えて来る。 天候の変化、霧、山越えと、困難な巡礼路を歩いて来た、巡礼者たちを、所々にある黄色の矢印が導いて来た。 黄色の矢印の生みの親は、1980年代に巡礼路の復活を目指した、エリアス・バリーニャ神父だそうだ。 目前の町メリデは、蛸料理が名物で、茹でた蛸をぶつ切りにして、岩塩とオリーブオイルだけで食べるのが、美味しそうだ。
モンテ・デ・ゴッソの丘までくれば、あともう少し。 サンティアゴ・デ・コンテスポーラ大聖堂前のオブラドイロ広場では、大きなリュックを背負った巡礼者たちが、互いに無事に辿り着いたことを喜び合い、涙を流しながら抱き合っている。 この長い巡礼の道で、神と共にあることを実感し、人生をやり直すことや、人にやさしくすることを決意して…。
ローマ、イスラム、キリスト教の各時代が遺る ― 2023/09/05 07:07
「聖なる巡礼路を行く」II「巡礼の道 スペイン縦断1500キロ」、アンダルシア地方を歩き、最初に辿りつくのはグラナダである。 スペイン最後のイスラム王朝であるグラナダ王国(1238~1492)の首都。 城塞・宮殿のアルハンブラ、離宮ヘネラリフェ、アルバイシン地区は世界遺産。 アルハンブラは、中世イスラム建築の遺構。 小高い船形の丘サビーカの上にあり、砦、王宮、浴場、モスクなどを城壁で囲んだ城塞都市だった。 アルハンブラの名は、赤を意味するアル・ハムラ、城壁に塗られた赤い漆喰に由来する。 三つの中庭(パティオ)を中心に、噴水、林立する細身の大理石の円柱、天井、壁、床は漆喰と彩色タイルによるアラベスク模様で埋め尽くされ、イスラム建築の粋を集めた精緻な人工美を誇る。
丘の上にイスラム時代の城があるモクリンという村の祭では、村の人口の何十倍の人がつめかけ、布のキリストの絵が練り歩く。 その絵の額に触れると、その後に行った古都オビエドのスダリオ(聖骸布)と同じような効果が信じられていた。
アンダルシア地方では、オリーブ畑の道が100㎞も続く。 古代ローマ時代に、イスラム教徒が灌漑栽培を持ち込んだという。 コルドバは、古代ローマ時代から栄え、ローマ橋が残る、中世にはムーア人(アフリカ北西部から出たイスラム教徒でアラビア語を話す)の後、イスラムの後ウマイヤ朝(756~1031)の首都となった。 1236年にカスティリア王国のフェルナンド3世がこの町をキリスト教徒の手に奪回した。(カスティリアは、カステラという日本語の起源だそうだ。) ローマ時代の建物、ムーア人時代の宮殿、中世の修道院、礼拝堂、学校など現存する旧市街は、1984年世界遺産の文化遺産に登録された。 番組では、キリスト教の大聖堂になっているメスキータ(コルドバの大モスク)やユダヤ人街を訪れた。
最近のコメント