ハイブリッド・システム電車でCO2 50%削減 ― 2024/08/20 07:13
二階建通勤電車ロックRockに次いで、イタリアを走る第二の電車ブルースBluesは、CO2 50%の削減率を達成した。 ハイブリッド、複数の方式で走る電車だ。 ヨーロッパの鉄道の40%は非電化区間で、ディーゼル機関車頼りなので、排気ガスCO2の原因になっている。 ブルースBluesで採用されたのは、トリプルモード・システムで、(1)架線からの電気モードで、(2)ディーゼル発電で、(3)バッテリーモードで、それぞれモーターを動かす。 バッテリーモードがあるから、CO2 50%の削減率を達成できた。
フィレンツェ-シエナ間の電車の場合、(1)電気モードで発車、30分ほどのエンポリで(3)バッテリーモードに切り替え、住宅街を通過する(騒音と臭いから解放された)。 郊外に出たら、(2)ディーゼルモードで走行し、終点近くでは回生ブレーキ(自転車のランプと同じやり方)でバッテリーに電気を蓄える。
このハイブリッド・システムは、日本で開発され、経験と実績があった。 小海線のキハE200形「こうみ」として、2007年7月31日に、世界初のハイブリッド営業車両が誕生した。 バッテリーとディーゼルのハイブリッド・システムに、日立製作所水戸事業所の金子貴志さんたちは、2001年からJR東日本と共同開発に取り組み、ne@trainという実験電車をつくり、テスト走行を繰り返していた。 リチウムイオン電池1000本を屋根の上に載せるのだが、直射日光の高温や雪の寒冷地の低温で機能が低下してしまう。 その対策を施した。 ディーゼルとバッテリーでの走行をコントロールする、電気の交通整理を行う集積回路(ICチップ)が特に重要だった。 20年間の研究開発の経験と実績がICチップに組み込まれ、雪・低温対策のEV-E801系「アキュム」(JR東日本と共同開発)、大容量バッテリーのBEC81系「デンチャ」(JR九州と共同開発)が生まれた。 2000年代の初めは、リチウムイオン電池の開発や利用で日本が一番進んでいたという、日本の先見性もあった。
2023年3月、イタリアでブルースBluesが本格運行を開始した。 トリプルモード・システムは、ヨーロッパ初だった。 モード変換時の揺れもなく、騒音と臭いのない快適な乗車が、大好評だった。
2022年9月、国際鉄道見本市イノトランス(ドイツ)にブルースBluesが出展され、注目を浴びた。 アリステア・ドーマーさん(副社長)は、語る。 ブルースは技術的なブレイクスルーであり、鉄道は環境負荷が低いというイメージを定着させた。 日本の鉄道事業は、これから世界に向けて、さらに拡大する可能性を大いに秘めている、と。
イタリアの二階建通勤電車ロックの開発 ― 2024/08/19 07:01
鉄道システムには、車両だけでなく、(1)駅・線路、(2)車両基地、(3)発電所、(4)信号系統などがある。 新しい路線には、特に信号系統が重要なのだが、国によってシステムが違う。 それを一から開発するには、膨大な費用と時間がかかる。 日立製作所は、イタリアで鉄道を売り込むために、2015年2月に二つの会社を買収した。 1853年創業の老舗車両メーカーと、信号システムの大手企業だ。 これがヨーロッパでの鉄道システム進出への足がかりとなった。
二階建通勤電車ロックRockの開発を、車両メーカーのあるピストイアで、現地社員と始めたのは、稲荷田聡さん。 ナポリ工場での製作は、現地社員、スタッフに任せ、現地の人材や文化を生かすやり方を取った。 相手のペースに合わせて、(1)けしてNOと言わない、まず話を聞く、(2)人を選ぶ、本当に決定する人を見つける。 この方針で、丁寧な意見交換をした。 先方が自分たちの主張にこだわるのは、買収された不安にあることもわかった。
鍵になったのは車両用の制御装置だった。 パワーユニット、動力を生み出す機器だが、日本側は小さい方がいいという考え方で、二階建電車の屋根に大きなものを載せるとカーブでバランスを崩す恐れがあった。 イタリア側は、故障した場合の補助を組み込んだ大きなものを主張した。 故障に対する考え方の違いは、日本のパワーユニットの故障率ゼロに近いデータを示して、了解を得た。 2019年、二階建通勤電車ロックRockの運行開始。 ゆったりしたスペース、最高速度160km/h、1600人を乗せ、定時運行、乗り心地の良さで大好評、今や700両になっている。
技術の融合、透明性とハーモニー、日本の「和」の精神だという。 日立製作所は、鉄道部門の本社機能をイギリスへ移し、鉄道部門の売上今期1兆円超予定の8割が海外になっている。 その信号システムも、34カ国で使われているそうだ。
日立製作所、イギリス高速鉄道入札に成功するまで ― 2024/08/18 07:20
12日にたまたまNHKBSを見たら、『驚き! ニッポンの底力』「鉄道王国物語8」というのをやっていて、日本の鉄道技術が英国を始めとする海外で広く受け入れられているという興味深い話で、引き込まれてしまった。
日立製作所は、世紀末の不況で1998年に最大の赤字を出し、対策を迫られていた。 鉄道事業のトップ、山口県下松市の笠戸事業所長の石津澄さんは、海外にマーケットを求めることを提案したが、社長以下役員は「ボートで鯨を釣るようなものだ」と全員反対、黙認という形でイギリスの高速鉄道参入の挑戦を始める。 鉄道は国の重要なインフラであり、国の文化の違いもあり、「不可能」を可能にするような難事業だった。 世界の鉄道事業は、カナダのボンバルディア、フランスTGVのアルストム、ドイツのシーメンスの三社が多くを占めていた。 日本の会社の挑戦は「ペーパートレイン」、「絵に描いた餅」と言われた。
イギリスの高速鉄道の入札で二度失敗。 三度目の入札で、ロンドンから英仏海峡トンネル入口のフォークストンまでの高速鉄道用車両Class 395の受注に成功する。 この成功の要因には、人事の転換があった。 アルストムの営業職だった当時39歳のアリステア・ドーマーさん(現・日立製作所副社長)を採用したのだ。 ドーマーさんは来日して、笠戸事業所を視察、製作中の車両に貼られた小さな付箋から品質管理の高さ、丁寧な仕事に感心して、入札活動に二つの改革を実施した。 (1)日本の技術は素晴らしいのだが、アピールの仕方が拙く、メリットを伝えられなかった。 ドアの開閉では、多く乗れるのか、時間短縮できるか、など、「定時運行」「安全性」を強調した。 (2)電車の心臓、制御装置の優秀さを示すため、イギリスの中古電車に搭載して、ほとんど持ち出しで一年半にわたって実験、高い信頼性を認めさせた。 担当したのは、稲荷田聡さん、現・鉄道ビジネスユニット最高技術責任者だった。
2005年6月、Class 395の入札に成功、2009年12月に運行開始した。 ロンドン-フォークストン間の乗車時間は1時間23分から37分にまで短くなり、通勤前に子供と朝食を一緒にとれると、イギリス人に生活の質の向上をもたらして、「定時運行」「安全性」が大好評だった。 2010年にはイギリスで大寒波があったが、雪の中を走ったのはClass 395だけで、注目を浴びた。 2017年には、Class 800運行開始、王室の御召列車Queen Elizabeth IIに採用された。 20年間で、日立製作所の高速鉄道用車両は、イギリスの交通にはなくてはならぬものになったのである。
セメント王・浅野総一郎の「し尿ビジネス」 ― 2024/08/16 06:46
7月7日三田あるこう会の第568回例会「JR鶴見線をめぐる旅」に参加、初めてJR鶴見線に乗る<小人閑居日記 2024.7.12.>に書いたように、浅野総一郎(1848(嘉永元)-1930(昭和5))が地域の埋め立て、京浜工業地帯の開発と発展に大きな功績のあったことを、あらためて認識した。 そのブログを読んでもらった宮川幸雄さんには、近年は東海道線車窓から見えた浅野学園(中学校・高校)あたりの浅野総一郎銅像が高層建物に隠れて見えなくなったことを教えてもらった。
その浅野総一郎について、面白い記事を読んだので、書いておきたい。 8月3日の朝日新聞朝刊be『はじまりを歩く』「公衆トイレ」である(中村裕記者)。 見出しは「セメント王の し尿ビジネス」。 公衆衛生を目的とした日本初の近代的公衆トイレは、明治時代に横浜市に誕生した。 「横浜市史稿」によると、横浜開港後、日本人の立ち小便の取り締まりを求める声が外国人から起こり、1871(明治4)年、公費で83カ所の「路傍便所」ができた。 ただ、四斗樽(しとだる)を地中に浅く埋めて板囲いをしただけの粗末なもので、たまったし尿の管理も不十分、路上放尿の件数は減らなかった。 そこに登場したのが、のちに「セメント王」として名をはせた実業家、浅野総一郎がつくった便所である。
北林惣吉『浅野総一郎伝』(千倉書房、1930年)によると、し尿を大量に集めることができればカネになるとにらみ、神奈川県から融資をとりつけ小便器と大便器を備え換気にも配慮したモダンな「共同便所」(当初は「公同便所」と呼称)を1879(明治12)年に63カ所設置。 市民からは歓迎され、し尿は下請けのくみ取り業者を通じて農家に売りさばき、1年で投資額を回収したうえ、その後年間3千円の利益をあげた、というのだ。
『下山の時代を生きる』 ― 2024/07/17 06:53
小林奎二さんの『百代随想 自耕自食への下山 日本が生きるために』で、すぐ思い出したのは、以前「等々力短信」に『下山の時代を生きる』(平凡社新書)を書いたことだった。 著者は鈴木孝夫先生と平田オリザさん。 鈴木孝夫先生は、2021年2月に亡くなられた。 混迷を続ける国会で今、真に議論しなければならないのは何か、小林奎二さんといい、鈴木孝夫先生といい、老碩学の主張には傾聴すべきものがあると思われるので、再録したい。
等々力短信 第1108号 2018(平成30)6月25日 『下山の時代を生きる』
劇作家で演出家の平田オリザさんと、言語社会学の鈴木孝夫慶應義塾大学名誉教授の、『下山の時代を生きる』(平凡社新書)を読んだ。 オリザさんという珍しいお名前だが、父上が日本は米が大事な国だからと、ラテン語の米オリザと名づけたのだそうだ。 戦後、オリザニンというビタミンB1の薬があった。 明治43(1910)年、鈴木梅太郎が脚気に効くとして米ぬかから抽出・命名した。 注射のアンプルを製造していた父は、オリザニンレッドというビタミン注射の流行で、景気の良い時期があった。
平田さんは、その現代口語演劇と呼ばれる理論を構築するのに、最も影響を受けた言語学者が鈴木孝夫先生だという。 西洋の近代演劇を翻訳劇として輸入した日本では、セリフ一つとっても非常に言いにくかった。 その鈴木先生の著作が、世の中にはびこる「日本礼賛本」と並べられ「トンデモ本」として揶揄されているのを、ネットで目撃して、この対談を切望したという。 一方、鈴木先生も、平田さんの『下り坂をそろそろと下る』(講談社現代新書)を読み、若き同憂の士を得た思いがしたそうだ。
司馬遼太郎『坂の上の雲』の冒頭をもじって、「まことに小さな国が、衰退期をむかえようとしている」で始まり、そこには、鈴木先生年来の主張、「日本はさらなる経済成長なんてとんでもない。いや日本だけでなく人類全体が、あらゆる生物の複雑さを極めた連携的共存共栄をも視野に入れた、全生態系の持続的安定こそを目標とする下山の時代を迎えている」と、ほとんど違わない考えに基づく、日本人の生き方についての処方箋があった。 今の生活の便利さを二割諦めるのなら、納得してもらえそうだ。
鈴木先生は、以前から全世界規模の「鎖国のすすめ」を主張し、江戸260年の戦争のない省エネシステムの壮大な実績や、日本の古代性と近代を併せ持つ二刀流を、世界に発信して東西文化の懸け橋になれる、と。 平田さんは、隠岐島や小豆島での具体的体験から、長野県一国だったら鎖国できるという。 一つ一つの地域がまずある種の自立をする、食料的にも経済的にもエネルギー的にも。 地方の自治体が実践している施策を、国全体の政策にできるかが課題。 国だけが、まだ経済成長を前提としている。
面白い指摘がいくつもある。 鈴木先生は、SFC湘南藤沢で英語を必修から外したことがあった。 日本人は、英米人の目で世界を見ている。 いま地政学的に肝要なのは、アラビア語、ロシア語、朝鮮語、中国語だ。 リニアモーターカーの建設に反対、新幹線の安全保守対策をすべき、何年も前からシートベルト装備を言っている。
平田さんも、参議院では少なくとも党議拘束を外せ、日本に相応しい政治システムを獲得した上で、10年間「凍憲」し、地球市民の憲法をつくれと提案する。
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