岡本隆司著『倭寇とは何か』、中国揺るがし600年 ― 2025/06/07 06:58
最近読んだ新聞記事で面白かったのは、歴史学者の岡本隆司さんの近著『倭寇とは何か』中国を揺さぶる「海賊」の正体(新潮選書)についての、5月25日の朝日新聞だった。
歴史の教科書の一般的説明だと、倭寇は東アジアで略奪や密貿易を行った海賊で、その担い手は、14世紀後半がピークの前期倭寇では主に日本列島の人々だったのに対し、16世紀の後期倭寇では、中国大陸出身者を中心に日本やポルトガルなどの様々な人がいた、というものだった。 実際は、単なる海賊ではなく、その正体は、権力・当局に服さず、国境を越えて活動する民間商人らの「ネットワーク」だった。
前期倭寇の時代、明の政権は、「日本からの脅威」とみなし、貿易や渡航を制限する海禁政策を取る一方で、日中双方が管理する勘合貿易をおこなって倭寇を沈静化させる。 ところが後期倭寇の時代になると、長江下流域の江南デルタの経済的発展に加えて、大航海時代が到来する。 日本の石見銀山やアメリカ大陸でとれた銀が、中国や、ポルトガル、スペインなど「南蛮」との交易を支える。 海を越えて結びついた列島人や大陸人、南蛮人・紅毛人たちが、国家による国境や貿易の管理を超えた「境界人」として活躍するのだ。 つまり倭寇は、日本人か中国人かを問うよりも、沿海に出て商業を営む雑多な人々がアジアの海を股にかけて活動したという「状況」であり、「現象」として捉えるべきだと、岡本隆司さんは言う。
17世紀に入ると、日本は海禁・鎖国への道を歩み、倭寇は消えたとされるが、その実体であった華人(中国系移民)の貿易ネットワークは、中華の正統な秩序(華夷(かい)秩序)の外で、異国と自由に結びつき、越境的に動く民間の運動体として、グローバル化でさらに発達していく。
そんな倭寇の末裔たちを抱え込むのか、抑え込むのか。 中国は今に至る600年もの間、ある意味この「倭寇」的存在と向き合ってきたと、岡本隆司さんは解釈できるとする。
清(1644~1912年)の時代に入ると、シナ海貿易を大規模展開していた中国人の父と日本人の母を持ち、台湾を占拠した鄭成功らの海上勢力を武力で抑えつけた時期もあるが、その後は異国と結びつこうとする「倭寇」を政権側に取り込むため「互市」(貿易開放)政策へと転じた。
19世紀以降のアヘン戦争や日清戦争といった大英帝国や日本の侵略も、中国側からは「倭寇」の流れに位置づけられるだろう、とする。 英国も日本も中央(北京)の統制を受けないアヘン流通や作物生産の拠点を求め、香港や台湾を手に入れようとしたわけだから。
では、習近平政権は「倭寇」とどう向き合っているのか。 習氏はビジネスを通じて外国と過度に結びつく勢力の出現を体制を揺るがす火だねと見なし、経済の過熱を抑えて国家的統制を強める方向に舵をきっているようにみえる。 「一国二制度」のはずの香港を弾圧し、台湾にも「一つの中国」を強要し軍事的に威圧する。 どちらも他国と結びついて行う自由な経済・政治活動を抑えつけるもので、「倭寇」対策のあらわれにみえる。
結果として、富裕層を中心に日本などへ移住する中国人も急増している。 「倭寇」を支配下に置こうとする習氏の試みは、さらに新たな「倭寇」を生み出していくかもしれない、というのだ。
備蓄米入札、「買戻し条件」の撤廃を ― 2025/05/21 07:05
昨年12月17日に発信した「等々力短信」第1186号 2024(令和6).12.25.「最近気になるCMやニュース」に、こう書いた。
「「令和の米騒動」には、いくつかの原因が指摘されている。 去年の米が、大雨や高温被害で不作だった。 8月コメの在庫が一番少くなる時期に、南海トラフの臨時情報や台風接近による家庭の備蓄が増えた。 インバウンドの需要増加。 減反政策によって、予想される需要ギリギリまでしか生産されていないこと。 新米が出回れば、米の価格は元に戻るといわれていたが、高止まりしているのはなぜか。 スーパーで米がなくなったという報道に便乗して、どこだか素人にはわからないけれど、高止まりさせる企図があって、それが成功したのではないだろうか、と私は疑っている。」
それが5カ月経っても、相変わらずの高値が続いていて、直近の農林水産省の調査では、全国のスーパーの平均価格は5キロ4,268円と、前年同期の2倍の値段になっている。 2倍という値段は、どう考えても異常である。 3月になって、ようやく政府は備蓄米の放出を決め、3月に2回、4月に1回入札を実施、計31万トンが落札された。 しかし、農林水産省の調査によると、3月に放出を決めた約21万トンのうち、4月13日までに小売店に届いたのは、たった1・4%の3018トンだった。 その備蓄米を落札した流通業者は、JA全農(全国農業協同組合連合会)が13万3千トンと9割以上を占め、残りはJAの県本部がない福井県、佐賀県、熊本県のJAなど7つの団体だということが判明していた。 さらに、政府は7月まで毎月10万トンの放出をすることを表明している。 JA全中(全国農業協同組合中央会)の山野徹会長は、5月13日の記者会見で、現在のコメの値段は「決して高いとは思わない」、「われわれとしては、消費者、生産者双方が納得できる適正価格を求めている」と述べた。
5月16日、政府は市場への供給を増やして米価の下落を促すため、新たな方針を固めたと、報じられた。 備蓄米の入札に参加する際の条件を緩和し、落札した業者から「同等同量」のコメを買い戻す時期を「原則1年以内」から「原則5年以内」に延長するそうだ。 流通業者が、政府の買戻しの時期にコメが調達しづらくなると想定し、小売店に届ける量を抑えようとしている可能性が指摘されているのだという。
「どこだかわからないけれど、高止まりさせる企図があって、それが成功したのではないだろうか」という私の疑念に、そのどこかが姿を現したような気がする。 だいたい、備蓄米の放出に「買戻し条件」があることを知らなかった。 こんな条件があっては、入札に参加する業者が限定されてしまう。 どういうところが参加するか、政府は当然承知していたのだろう。 はっきり言えば、政府とJA全農は、「同じ穴の狢」なのではないのか。
そこで、「買戻し条件」を「原則5年以内」などと言っていないで、撤廃したらどうだろう。 政府なら、買戻しなどしなくても、あらゆる手段を使い、適当な時期に、備蓄米を積み増すことが可能だと思うからである。 江藤拓農林水産大臣は、果敢に「買戻し条件」の撤廃を断行し、コメの流通を円滑にして、「コメ買ったことない、くれる」などという失言を挽回する、起死回生の一手を打ったらどうだろう。
石破茂首相、江藤拓農林水産大臣を更迭するなら、同時に「買戻し条件」の撤廃を!
「花に 雲に 海に 風に」 ― 2025/05/10 06:58
「花に 雲に 海に 風に」
等々力短信 第496号 平成元(1989)年5月15日
隠岐島からの「飯美便り」は、’89・2・16・付の№316を最後に、永久に頂けないことになってしまった(この号は11月下旬からのご闘病中、唯一の「飯美便り」で、おそらく渾身の力をふりしぼって、お書きになられたものであろう)。 横田武さんが4月28日に亡くなられたことを知らせる奥様からのお葉書は、宛名が横田武さんそっくりの筆跡だった。 ただ宛名の下が、空白になっている。 その空白が、悲しい。 そこはいつも横田さんが、題字と詩を書かれていたスペースだった。
’88・9・9・№313「光に風に緑に水に」 静かな心 静かな心は/照らされている心/静かな心は/仰ぎみている心//静かな心は/待ちわびている心〈信州にて〉
’88・5・26・№309「お寒いことで」 日常 いま/せんならんことを/一生懸命でする/ただ それだけで/そんなつね日ごろ/いまの重味/いま三昧/いま
’87・12・20・№304「暖冬」 書く 字も/文も/いまの/自分を/書いて/いるんですね
昨年の夏、布施村が朝日森林文化賞の優秀賞を受けたことをきっかけとして、等々力短信に「森を守る村」「ノリノス・メノハノス」「神在る里」の隠岐シリーズを書いた。 横田さんはたいへん喜ばれ、「この冬にでも、この里の習俗を書き留めてみようかなどと」思っているというお手紙を下さったのだが、残念ながらその時間はなかったのではなかろうか。 ’88・11・10・№315には、もうご不調だったろう10月下旬。 兵庫県柏原町で開かれた「巨木を語るフォーラム」に出張された記事が見え、添え書きに「巨木フォーラムで「森を守る村」が六百の全員にコピーして配られました おゆるしを」とあった。
横田武さんは、ふるさと隠岐の教育に生涯を捧げられた方で、小学校長を定年退職後も、隠岐に住んで、地域の発展のためにつくし、隠岐を愛し、隠岐を書きつづけてこられた。 その著『隠岐の四季 わたしの心象風景』の序文で、横田さんの先生である森信三さんに「『天』はあの隠岐という日本海上に孤絶する一小島にも、著者のごとき一偉材を配して、遠く民族の心ある人々のために、その断面の概要を残さしめられたとしか、この書の感慨は表白の仕様がないのである」と言わしめた。 その本に、独特の温かい書体で、サインして下さっている。 「花に 雲に 海に 風に」。 ご冥福をいのる。
「森を守る村」 ― 2025/05/09 06:59
森を守る村
等々力短信 第468号 昭和63(1988)年7月25日
隠岐島の布施村が、朝日森林文化賞の優秀賞を受けるという6月27日付け朝日新聞朝刊を読んで、うれしくなり、すぐ布施村飯美の横田武さんに、お祝いのハガキを出した。 横田さんは、隠岐の自然と風土、その四季の移りかわりを、手書き謄写版刷りのハガキ通信「いいび便り」に綴って(ほぼ月一回)送り続けていらっしゃる。 私が『五の日の手紙』の本を出した時、息子の同級生のお祖父様である横田さんが、この道の大先輩であることが、わかった。 以来、「いいび便り」と「等々力短信」の交換をさせていただいている。 だから「隠岐」や「布施村」という字を見ると、とても親しい感じがする。
私のハガキに対して、横田さんは、さっそく「’88・7・1・天然林が森林文化賞に輝いた日に」という、ご署名入りの『造林始祖二百年祭記念誌』を送って下さった。 布施村は、昨、昭和62年11月3日、造林始祖二百年祭を挙行して、江戸時代の享保年間に、貧しかったこの村で、杉の植林の事業を始めた五人の人物に感謝状を贈ったのだ。 杉を植えることを教えた老医と、その教えを実践した当時の若者四人に、である。 その人々の先見と努力が、布施村林業の、ひいては隠岐島林業の礎になったためだそうだ。
「故 藤野孫一殿 あなたは 享保の昔 旧元屋村 原玄琢翁に教を受け 郷党相計り相扶け 荒地を開墾し杉の植林に 刻苦精励されました このことが 本村林業の先駆となり 経済基盤の確立ともなりました」。 布施村長の感謝状の「あなたは 享保の昔」という書き出しの文句には、感動した。 五人の始祖の子孫の人々が、島内はもとより松江や茨木、西宮から駆けつけ、揃って式典に参列しているのも、とてもよい。
隠岐布施村の、この話には、都会にあって、めまぐるしい変化にさらされながら、毎日を送っている私たちが、忘れてしまった大切なものが、あるような気がした。 なつかしい、あたたかい心がある。 なによりも「物指し」の長いところが、いい。 輸入材の方が安いからといって、日本中の森林を荒廃するにまかせておいて、いいはずがない。 森林の生育には、五十年、六十年という歳月を必要とすることを考える時、この「物指し」の長さは、とても大切なことに思われるのだ。
「伐採すれば、村はその利子だけで食っていけるが、山はもうおしまいだ」。 優秀賞の天然林について、大田正春村長はそう語ったそうだ。 村は超過疎で、財政もひっぱくしている。 それでもなお、天然林を守ろうという心意気が、すばらしい。
トランプ大統領と主要閣僚の出身大学 ― 2025/05/06 07:07
それで野次馬は、ドナルド・トランプ氏と主要閣僚などが、どこの大学を出たのか、と思って、調べてみた。 そこからは、特に反知性主義は、感じられなかった。
ドナルド・トランプ大統領…ペンシルバニア大学ウォートン・スクール(BS)経済学士
J・D・ヴァンス副大統領…オハイオ州立大学、イェール・ロー・スクール
マルコ・ルビオ国務長官…マイアミ大学
スコット・ベッセント財務長官…イェール大学(BA)
ピート・ヘグセス国防長官…プリンストン大学(BA)、ハーバード大学(MPP)
パメラ(パム)・ボンディ司法長官…フロリダ大学(BA)、ステットン大学(法学博士)
マイケル・ウォルツ補佐官→国連大使…バージニア軍事学院(学士)
キャロライン・レビット報道官…セント・アンセム大学(BA)
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