「春の旅」中止、火野正平『にっぽん縦断こころ旅』2024/06/13 07:03

 朝ドラ『虎に翼』(吉田恵里香・脚本)は、「女」の諺、成句、慣用句<小人閑居日記 2024.5.11.>に書いたように、第1週から第6週までの題が「女賢くて、牛売り損う?」、「女三人寄れば、かしましい?」、「女は三界に家なし?」、「屈み女に反り男?」、「朝雨は女の腕まくり?」、「女の一念、岩をも通す?」だった。 その後は、「女の心は猫の目?」、「女冥利に尽きる?」、「男は度胸、女は愛嬌?」、「女の知恵は鼻の先?」と来て、今週6月10日からは「女子と小人は養い難し?」である。 <小人閑居日記>では、家族は養い難しだけれども…。

 前にも書いたが、朝ドラはBSで見ていて、その流れで火野正平さんの『にっぽん縦断こころ旅』を見ることにしていた。 「2024年春の旅」は、鹿児島をスタートして、九州西岸を北上し、三重県にジャンプ、中部地方からゴールの長野県を目指す予定であった。 ところが4月9日に屋久島市で始まった310週目(1236日~)、指宿市、鹿児島市、4月12日(1239日)の湧水町までで止まってしまった。 その後、「予定を変更して」としか書かずに、昨年放送した「2023年秋の旅」を、放送し始めた。 「2023年秋の旅」以外の週には、「駅ピアノ・街角ピアノ」(仙台、小豆島や今週のニューヨーク)「アメリカ ハンバーガー事情探訪」などを放送している。

 火野正平の『にっぽん縦断こころ旅』「2024年春の旅」は、どうなったのか。 番組のホームページを見て、ようやくわかった。 「春の旅は、火野正平さんの持病の腰痛が悪化したと事務所から連絡があり、ロケを中止しました」とある。 鹿児島県の後、熊本、長崎、佐賀、三重、愛知、岐阜、静岡、山梨、長野の各県を走る予定だったが、鹿児島県だけで終わってしまったのだ。 毎日見ているファンや視聴者はもちろん、手紙を出して取り上げられるのを期待している人も多いだろう。 「予定を変更して」だけでなく、番組できちんと事情を説明すべきではないだろうか。

危篤の検校、杉山和一を救ったのは2024/06/12 06:52

 実は『和一青嵐』、冬と春がせめぎ合いをしている頃、一日中降ったり止んだりしていた雨が、暮六つには雨足も風も強まり、傘を煽る程の雨となって、日頃は人の出入りの多い、小川町の一角に建つ杉山検校屋敷もひっそりと静まり返っているところから始まる。 奥座敷には、この屋敷の主人、杉山和一が病気で昏々と眠り続けていて、薄らと開いた口元から今にも消え入りそうな吐息を漏らしている。 その枕元に座して身じろぎもせず、病人の手を取り、脈を計っているのは一番弟子の三島安一で、その後ろに二、三人の弟子が控えている。 悪天候の中、往診から帰った和田一が、兄弟子の安一に替ると、安一は囁くように「今夜が山だな」と言った。

 「そういえばさっきからおセツ様がいらっしゃらないようですが?」 「江ノ島にお出かけになった。最早、弁財天様のご加護を願うしかないと申されてな」 「この嵐の中、一人で行くと申されたが、流石にそれはお止めして、駕籠を呼び、下男の八助に伴をさせた。今夜は夜通しご祈祷をなさるおつもりだろう」

『和一青嵐』を、これから読もうと考えている方は、この先は読まないで下さい。 小説は「一の風」の冒頭で危篤だった杉山和一の「三の風」に入る。

 黎明の中で三島安一はしきりに響いてくる雨だれの音にふと気づいた。 またうたた寝をしていたらしい。 己の頬を一つ叩いて居住まいを正す。 気を取り直して、布団に手を伸ばし、師匠の腕を探した。 心なしか腕は温かかった。 もしやという思いで脈を診ると意外にもしっかりと打っている。 安一の心にすっと一条の光が差し込んで来た。 「峠を越えた!」

 江ノ島下之坊の恭順は、三島安一の文を受け取った。 恭順は草履を脱ぐ暇も惜しむ慌ただしさで籠り堂に駆け込んだ。 「おセツさん、吉報ですぞ! 検校様が回復なさいました!」

 セツは震える手で文を受け取り、涙で曇った目でどうにか文を読み下すと、更に涙が滝のように溢れ出た。 「おセツさんの祈りが弁財天様に通じたのですよ! 何とありがたいことだ」 セツは恭順の衣を掴み、嬉しい、嬉しいと言いながら何度も揺さぶった。 その細い肩をいたわるように撫でさすりながら、恭順も男泣きに泣いた。 昨夜から一睡もせずに祈祷を続けていたセツに、休息するようにとねぎらうと、セツはまだお役目が残っております、まずは弁財天様に祈願成就の御礼を申し上げに岩屋に参ります、と言う。 セツの顔は喜びに輝き、その表情は六十歳近い老女とは思えぬほど初々しかった。 岩屋までお伴しましょうという恭順に、「いえ、私一人で参ります。祈願したのは私ですから、ここは私一人で行かねばならないのです」 「検校様がおっしゃっておられましたよ。おセツさんは菩薩様だと」 「もったいないことでございます。でももし私のような者にも菩薩に通じる心が潜んでいるとしたら、それは検校様が慈悲深いお心で私の中からひきだしてくださったからです。それならば、今こそ私は菩薩になりましょう」 そう言ってセツは晴れやかな笑顔で一礼し、しっかりした足取りで籠り堂を出て行った。

 杉山和一は長い夢から目覚めたように意識を回復した。 「ところでおセツの姿がないようだが」 三島安一が意を決したように応えた。 一昨日江ノ島から届いた「恭順様からのお文によれば、おセツ様は検校様がご危篤の日、夜を徹して弁財天様に回復祈願をお祈りし続けたそうでございます。翌朝、検校様ご回復の知らせを聞くと大変お喜びになり、岩屋へ大願成就の御礼を述べにお出かけになってそのまま崖上から海へ身を投げて自ら命を断たれたとのことです。岩の上にはおセツ様の草履がきちんと揃えてあり、岩屋の弁財天像の前にはお文が供えられていたそうです。ご自分の命と引き替えに検校様の命を御救いいただきたいと祈願したところめでたく成就したので、自分は弁財天様にお誓いした約束を果たすために身を投げますと、そのようにしたためられていたそうです。その日の夕方、島の漁師が岩場の海中でセツ様の御遺体を見つけたと知らせてきたそうな」

 じっと聞き入っていた和一は、安一の嗚咽を聞くと、そうか、と一言だけ低く呟いた。

おセツさんと和一、ある月夜の出来事2024/06/11 06:59

 和一は、江ノ島を出て再び江戸に戻り、山瀬琢一に事の次第を告げた。 琢一もたいそう喜び、和一の鍼療治に対する熱意を本物と認め、それから更に五年間、門弟として指導してくれた。 江ノ島での一件は、和一の鍼療治に対する覚悟を決めさせる大きな転機となった。

 更に和一は山瀬琢一の勧めで入江流の鍼術を学ぶために京都へ行き、入江豊明の門人となり随従修業すること七年、鍼業を研鑽熟練し、古今の妙術を会得したのだった。

 伊勢では、和一の父が亡くなり、隠居所に暮らす母親の身の回りの世話をするために、貧乏な武家の娘セツが奉公に来た。 セツは食い扶持を減らすために十五歳で嫁に行ったが、三年経っても子供が授からず婚家で辛く当られ、実家に戻っていた。 和一の母は、すっかりセツが気に入った。 和一が入江流の免許皆伝となって独立、入江流学問所を出ることになった時、母はセツを和一の世話係にと真っ先に思いついたのだった。 律儀に足しげく学問所に通う和一の手を引いて、セツは今出川通りを延々と歩いて北野天満宮に近い学問所まで付き添って行く。 和一を送り届けると、大急ぎで居宅に駆け戻り、洗濯、掃除をし、治療室に近所の山林で手折った山野草を飾ったりした。 セツは、和一の身辺一式に気を配り、その身だしなみも、いつも清潔に保っていた。

 内弟子に入った少年安一から見ても、セツは和一にとって単なる使用人以上の、かけがえのない存在であるように思えた。 こっそりセツに、「どうしてお二人は夫婦にならないのですか?」と尋ねた。 セツは言下に否定した。 「奥様なんてとんでもない! 私は使用人の分際ですよ。滅多なことはおっしゃらないでくださいまし」 安一はセツからこういう話も聞いた、セツが和一に会った時「こんなに純粋な方がこの世においでになるのかと感動で胸が震えました。それまで私は人の愚かさや汚さを身に沁みて味わってきましたから、和一様に接していると何か自分の心の中の邪心までもが浄められていくような気がしたのです。それだけでもう十分なのですよ」

 安一には打ち明けなかったが、こんなこともあった。 彼女が和一の元へ来て一年ほど経った日のことである。 夜更けてふと目を覚ますと隣の部屋で休んでいる筈の和一の気配がない。 和一は濡れ縁に座り込んでいて、満月に近いややいびつな月が煌々と照らす庭中を、草木の陰から虫の音が湧き上がるように響き渡っている。 声をかけようか迷っていると、「セツさんか?」という。 並んで虫の音を聞き、時間のわからぬ和一に、真上に月があるから夜更けで、満月に近い明るい月夜だと説明した。 和一が月夜の散歩と洒落込もうかというので、出掛けると一面の芒の原に出た。 芒の穂が銀色の波のように揺れ、その白銀の波間から賑やかな虫の音、マツムシ、スズムシ、クツワムシがピーヒャラヒャラリと景気の良い秋祭のお囃子さながらの音色を鳴り響かせている。 セツさんは説明がうまいなあ、月見に加えて秋祭りまで見物できたと、和一は喜んだ。 セツは夢心地だった。 ふいに和一が真面目な口調でいった。 「おセツさんには本当に感謝しているよ。何から何までありがたいと思っている」 セツは胸がドキンと鳴った。 心の臓が早鐘のように打ち始めている。 和一は続けた、「鍼治の修行を始めたばかりの頃、挫折して江ノ島の弁財天様のありがたい御加護に救われたことがある。その時、私は弁財天様に生涯妻は娶りません、鍼治の道に一生を捧げますと誓ったんだよ」

 セツの胸の内で膨らみかけていた想いが一瞬にして萎んで消えた。 重苦しい沈黙がその場を支配した。

 ややあって和一が砕けた調子で口を開いた。 「月見なんて何十年ぶりだろうなあ! これもおセツさんのおかげだよ」 セツは気を取り直して応えた。 「いえ、私こそ、お陰様で生まれて初めてお月見というものをじっくり味わうことができました」

 帰り道、歩きながらセツは密かに心に誓った。 私は一生涯この方をお守りしよう、この方が望む道を邁進して行けるようにとことんお世話をしよう。

破門され、江ノ島弁財天に籠り「二の風」2024/06/10 06:59

 両親に、江戸に出て鍼灸師として身を立てたいと話すと、母は驚き息子の身を案じたが、父はそれもいいかもしれないと山瀬琢一に息子を弟子にと手紙を書き、折り返し快諾の手紙が届いた。

 養慶は親許を離れ江戸の山瀬琢一の下で、和一の名で修行に励むこと五年、自分なりに努力してきたつもりだったが、成果ははかばかしくなく、経穴を覚えるだけでは四苦八苦している上に、鍼を打つのがたいそう下手で、先生が「三里に打ってみなさい」と自らの膝を差し出してくれても、まともに打つことができない。 生来緊張しやすい性質で、集中しようとすると指先が震え出す。 おまけに汗っかきで鍼を持つ手が滑ってしまうので、きちんと鍼が刺さらない。 さすがに温和な先生も、「和一、五年修業してもお前の鍼の腕は箸にも棒にもかからない。お前に素養がないのか、私の教え方が悪いのか、いずれにしてももうこれが限界だ。残念ながらこれ以上お前を指導することはできん」と、おっしゃった。

 要するに破門だ。 先生の連絡で親元から迎えがきた。 父の言伝は、とりあえず国元に戻ってこれからの身の振り方を考えよとのことだった。 和一は、東海道を上る道々、思案し続けて、伊勢へは行かず、京都で適当な師匠を探して音曲の修行をしようと考える。 転機が訪れたのは藤沢宿、ふいに江ノ島に立ち寄ることを思いついた。 江ノ島には弁財天が祀られている。 弁財天は母が実家で先祖代々守り神としていた神様で、幼少の頃学問に秀でるよう祈願しろと近在の弁天様にお参りしたことがあった。

 江ノ島の弁財天にお縋りして、開運を祈願する断食行、お籠りをしようと、岩本院に申し出るが断られ、上之坊で断られ、岩屋で一夜を明かした。 翌日、岩屋を出たところで運よく下之坊の宮司恭順に出会った。 恭順は、和一と同年代の若い宮司で、信仰心の厚い純粋な人だったから、和一は末社に籠り、七日七晩の行に入ることができた。 飲まず食わずでひたすらに祈ったが、何の「神応」もなかった。 二度目の七日七晩の行にも「神応」はなかった。 恭順は、やつれ果てた和一を見て、再三断食を止めるよう忠告した。 すべては弁財天様のお心のまま、もし何の啓示もなければ、それは死を意味し、潔く死のうと覚悟を決める。

 三度目の飲まず食わずの七日間も終わった。 だが、やはり何の啓示も授からなかった。 日の出からまもなく、放心したように籠り堂を出、天女窟に参詣しなければと岩屋へ向かい、茫然自失の状態で弁財天様にお参りをした。 下之坊へ帰ろうと岩屋を出て歩きかけた時、あの風が吹いたのだ。 妙に温かな優しい風が、首筋から頬にかけて撫でるよう吹き過ぎ、誰かの声が聞こえたような気がした。 「迷わず真っすぐに進んでお行きなさい」

 とたんに何かに躓いて前のめりに転んだ。 萎えた体で起き上がることもできず暫くはそのまま枯れ木のように転がっていたが、我に返った時、自分が何かを掴んでいることに気づいた。 筒形に丸まった葉っぱと、それを貫いて包まれている一葉の松葉だ。 突然、ある考えが閃いた。 そうか! この松葉が鍼とすれば、葉っぱは筒のようなものだ。 この筒を細い管に替えて鍼を通し、それを皮膚に立てて、鍼頭を叩けば狙った経穴に正確に鍼を打ち込むことができる。 そうすれば盲人でも楽に鍼を扱える筈だ!

絶望の淵から、光明を見い出す2024/06/09 07:07

 杉山養慶が号泣しているのを、霊泉寺の寺男が見つけ、寺で介抱され、恕風和尚と話をする。 寺は詮議場ではない、御仏の御座(おわ)すところ、御仏に心を開くことができたなら充分といわれ、自分の心にのしかかっていた一切を包み隠さず打ち明ける。 和尚は、鯛を食べてもいいが、鱈を食べてはいけない、という。 目が見えたらと嘆いていても何事も始まらない、それよりやりたいという希望を叶えるためにはどうすればよいのか、知恵を絞って考えることだ。 和尚は、唐の鑑真和上が日本に仏教の規範を根付かせるため困難な渡航で何度も失敗し、あげくの果てに失明してしまったにもかかわらず、五度目の挑戦で来日に成功、盲人の身で精力的な布教活動をして、唐招提寺を建立した話をした。 そして、江戸には盲目の鍼灸師が現われて、たいそう評判になっているという噂を聞いた、養慶殿、心の目を開きなさい、さすれば何も恐れるものはない、と諭した。

 養慶は数日間よく考えた末、寺に出向き恕風和尚に盲目の鍼灸師について詳しく教えて欲しいと懇願した。 和尚は喜び、江戸の知人に頼んで、調べ上げてくれた。 鍼灸師の名は山瀬琢一、京都生まれで、京都の鍼治療の大家、入江流の門人で、盲人として初の入江流免許皆伝となり、江戸に出て愛宕下で開業、腕が良いので毎日治療客が押し寄せるという。 養慶がぜひ山瀬琢一に鍼療治の手ほどきを受けたいと言うと、和尚は山瀬に手紙を書いてくれ、山瀬も熱意ある若者なら喜んで弟子に迎えたいという返事をくれた。