2005年の「くっしゃみ講釈」吉朝と小米朝2026/07/15 07:23

 「くっしゃみ講釈」吉朝と小米朝<小人閑居日記 2005.11.26.>というのを、桂吉朝が亡くなった折に書いていたので、再録したい。 当時は、最近は書かない批評ぽいことを生意気にも書いていた。 その伝でいけば、今回の桂二葉の「くしゃみ講釈」、比べるのも気の毒ながら、爆笑とはいかず、まだまだで、物足りない感じがした。

    「くっしゃみ講釈」吉朝と小米朝<小人閑居日記 2005.11.26.>

 8日に桂吉朝が死んで、がっかりしてしまった。 50歳だった。 こんなに若く、惜しい人をなくしたものだ。 今年は、4月に桂文朝が死んで、がっかりしたのだが、特に好きで、うまい人が、二人も逝ってしまった。 泣きたい気持だ。

 桂吉朝が落語研究会に初めて出たのは、平成3年4月9日の「くっしゃみ講釈」だった。 大柄で端正、いかつい真面目な顔をして演る噺が、なんとも可笑しい。 強烈な印象を受け、たいへんな人が登場したものだと思った。 その後「花筏」「崇徳院」「猫の忠信」「池田の猪買い」「仔猫」「たちきれ線香」「質屋蔵」「はてなの茶碗」「高津の富」「住吉駕籠」「どうらんの幸助」「蛸芝居」「小佐田定雄作 狐芝居」「河豚鍋」「米揚げ笊」をやり、一昨年暮の26日「不動坊」をやったのが最後となった。

 今回、桂小米朝が初めて落語研究会に出て、その「くっしゃみ講釈」をかけた。 言わずと知れた米朝の子、自ら又の名を桂七光(ななひかり)、サラブレッドと名乗り、落語家になるといったら、いつも怒っているか、泣いているかのざこばが「それはいい、人生バクチや」といい、枝雀が「小米朝」と命名してくれた、「お父さんのファンです、サイン下さいお父さんの」、と言われ続けて20年、札幌では「子米朝」と書かれ、自ら「あほぼん丸出し」といい、人間国宝の長男は本当に大変で、皇太子の気持がよくわかると述べた。

 出の前に、前座の古今亭駒次、見台(上部は平らな小机)と膝隠し(衝立)を置く位置がわからず、一度引っ込み、訊いてきて置き直した。 もっとも私も、小さい拍子木(家に帰ってものの本をみたら「小拍子(こびょうし)」という由、樫製で二本一組なのだそうだ)を間違って左手の所に置いたかと思ったのだが、右手には「張り扇」を持つのだった。 小米朝は苦みばしったいい男、それで見台と膝隠しの説明から入り、上方でガチャチャチャ、パタンパンパン、ピシリピシリ、と、にぎやかなのは、噺を縁日でやったからだといった。 同じ米朝の弟子ながら、吉朝とはまったく違った芸風、どちらかといえば枝雀に近いにぎやかさと動きだ。 「フェーッ」と、のぞきからくりを一段語った「くっしゃみ講釈」、私には吉朝の思い出が強烈過ぎて、気の毒な評価となった。

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