本は読まないで置くと、『読んでくれ』と夜泣きする ― 2025/01/05 07:08
11月の「等々力短信」で紹介した、原田宗典さんの『おきざりにした悲しみは』(<等々力短信 第1185号 2024(令和6).11.25.>11/22発信)の本を読んで、毎月一冊、私が推薦する本を知らせて欲しい、と葉書をくれた友人がいる。 12月31日に「高階秀爾さんの『本の遠近法』、「メタ情報」の宝庫」を出したが、これまでの「等々力短信」や<小人閑居日記>でも、そういうことを心掛けてきたつもりだった。 本を読まない人が増えて、本屋さんが減っているという。 本についての、鷲田清一さんの「折々のことば」を、いくつか拾ってみよう。
「折々のことば」2592(2022.12.21.)「本当に文学や哲学を理解する人間しか本を買わないのなら、文学者や哲学者は食べていけない 鹿島茂」 鷲田解説「フランスでは近世より、文学や哲学について「一家言ある」か、なくてもそのふりができてやっと一人前にされたと、仏文学者は言う。才気を競うこうした「負けじ魂」が青年らに流行(はやり)の本を追わせた。等身大をよしとせぬこの「見えっ張り」たちが実は文化を支えてきたのだと。山田登世子との往復書簡(「機」1998年4月号)から。」
「折々のことば」1964(2020.10.15.)「若いときに読んだ本のなかで最も重要なものを、人生のある時間に、もう一度読んでみることが大切だ。 イタロ・カルヴィーノ」 鷲田解説「古典とよばれる書物は、集団や個人の無意識の記憶の襞(ひだ)の内にまでしみ込むことで時代を潜り抜けてきた。つまり読む人の経験を分類する枠、価値を測る尺度ともなってきたとイタリアの作家は言う。だから時を経て読み返すと、自分がどう変わったかを知る、別の新しい出来事が起こると。『なぜ古典を読むのか』(須賀敦子訳)から。」
「折々のことば」2856(2023.9.20.)「本は読まないで置いておくと、『読んでくれ』と夜泣きする 井伏鱒二」 鷲田解説「作家の開高健は文豪宅を訪れた時、書斎に広辞苑しかないのを見て、なぜ蔵書がないのか訊ねた。開高はこの返答に倣って自身の蔵書も売り払ったと言う。これを聞いて真似た編集者・島地勝彦は、それが願望であって実は地下室に詰まっていたのではと、後に訝(いぶか)しむ。机の背後に置かれた本は、読まねばならぬという焦燥を表すだけのものが多い。島地の『甘い生活』から。」
鷲田清一さんの「折々のことば」、朝日新聞は今年から土曜日、日曜日は休載だそうで、ちと寂しい。
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