「戯去戯来又迎年」2025/01/06 07:02

 福沢諭吉は揮毫によく「戯去戯来自有眞」と書いた。 「戯れ去り戯れ来り自ら(おのずから)眞あり」と読む。 「戯去戯来」をネットで検索したら、福沢の書を売る古美術瀬戸、長良川画廊、そして慶應義塾大学メディアセンターデジタルの次、四番目に何と「福沢精神のキーワード」<小人閑居日記 2005.10.29.>が出てきた。

 藤原銀次郎さんは『福澤先生の言葉』(実業之日本社)の最初に、「平生の心構え」として、「人生本来、たわむれ(戯)と知りながら、この一場のたわむれをたわむれとせずして、真面目につとむべし。」(『福翁百話』七「人間の安心」)を引いている。

 年賀状を「御慶」にして、久しい。 初めは昭和47(1972)年、昭和51(1976)年からはずっと「御慶」だから、50年を超す。 安藤鶴夫さんの真似、落語「妾馬」「八五郎出世」起源である。 この落語をご存知でない方は、<小人閑居日記>2008.10.25.古今亭菊之丞、2013.4.9.-10.柳家花緑、2018.7.6.-7.柳亭市馬を参照して下さい。

 「折々のことば」3269(2024.11.20.)「うちの親父の小咄や〝くすぐり〟が、とてつもなくおかしいというのは、結局、想像させるうまさだと思うんです。  古今亭志ん朝」 鷲田清一さんの解説、「どこかのおかみさんだかが、よく切れる包丁で大根を切ると俎板まで切れちゃったと言う件(くだり)で、その表情を噺家の五代目古今亭志ん生がやると情景が目に浮かぶようだったと、志ん生の息子は言う。力の抜きようが絶妙で、まやかしも「精一杯やっちゃうと、相手はまやかされないんです」と。小林信彦『名人』所収の小林との対談から。」

 「折々のことば」3257(2024.11.7.)「なぜなら、笑いとは、人間が作るしかないものだからです。  井上ひさし」 鷲田解説「生きるということは、苦しみや悲しみ、恐怖や不安などがどれもこれも詰まっているが、笑いは入っていないと作家は言う。笑いは待っていても起こらない。笑いは人の内にはなく、誰かと分かち合って作るほかないもの。「人が行く悲しい運命を忘れさせるような、その瞬間だけでも抵抗できるような」いい笑いをみなと作りあいたいと。」『ふかいことをおもしろく』から。」

 「折々のことば」3256(2024.11.6.)「理屈でわかっているようなものを書くと、全然面白くありません。  井上ひさし」(『ふかいことをおもしろく』から。)

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