森靖孝さんを悼む<等々力短信 第1146号 2021(令和3).8.25.> ― 2021/08/17 07:02
立花隆さんが亡くなった時、<梅雨空や知の巨人とは同い年>と詠んだ。 江田五月さん、一つ上「遠くへ行きたい」のジェリー藤尾さん、年の近い人の訃報には、ドキリとする。 だが4月15日に逝った森靖孝さんのことは、なかなか書けなかった。
森靖孝さんをよく知ったのは、卒業30年の1994年連合三田会大会準備の実行委員会で記念品部会のトップをされた時で、私は広報のライターだった。 森さんの会議での的確な報告、企画と実現の手際よさに、会議のない零細ガラス工場の私は、目を見張ったものだ。 資生堂取締役国際事業部長で、中国への事業拡大に奮闘中だった。
その105年三田会の幹事連中を中心に立ち上げられた情報交流会で、後に森さんと世話役をご一緒することになり、お付き合いが深まった。 2001年資生堂の常務になられたので、資生堂パーラーで一万円のカレーのご相伴をしたり、最上階のファロというバーで酒の飲めない私は生涯最高のジンジャエールを味わえたりした。
工学部管理工学科卒業の森さんが、どういう機縁で慶應義塾のSFC湘南藤沢キャンパスに深い関わりを持つようになったのかは知らない。 SFCの学生で、ベンチャービジネス・新事業の創出や新商品の開発に高い意欲を持つアントルプレナー(起業家)を支援する、メンター三田会を創設し、会長や顧問を務めた。 成城石井中興の祖、石井良明さんを、この支援に引っ張り出した。 その活動から生まれた事業家を、105情報交流会の講師として招いてくれ、ケアプロ(株)社長川添高志さんの「ワンコイン健診の挑戦」、カラフル・ボード(株)CEO渡辺祐樹さんの「慶應発AI(人工知能)技術を活用した、新しい社会創発へのチャレンジ」など、われわれ老輩も斬新な事業の話を聴く機会を得た。 交詢社での会から菊名に帰る森さんとは、よく慶應義塾や福沢先生についての話をした。 メンター三田会に寄せた追悼文で、伊藤公平塾長は、森さんに「(河野)太郎さんが総理大臣、公平さんが塾長になれば、日本と慶應義塾の将来は大丈夫」と言われたと、書いている。 伊藤さんは、森さんと同じく、癌を患い、治癒していた。
森さんの闘病生活は、壮絶だった。 5年前の膀胱癌発症以来、26回の入退院や数え切れない通院で、内視鏡手術、放射線治療、数種の抗癌剤治療などを続けて来た。 時折頂くメールに、激励や慰めの言葉に窮した。 昨年12月29日には充子夫人が亡くなった。 3月10日にメールを頂いた。 1月8日に余命半年を告げられたが、奥様の納骨も無事に過ぎ、一人息子夫婦と中1男子の孫の思い遣りや気配り、気遣い、優しさに感謝、縁のあった人すべてに「感謝」の気持で一杯。 一足先に逝って、この「至福の時」をプレゼントしてくれた家内は偉大、頭が上がらないとあった。
コメント
_ 深瀬 啓司 ― 2021/08/17 21:27
_ 轟亭(河野太郎さん) ― 2021/09/03 21:12
_ 轟亭 ― 2021/09/29 15:51
_ 森 玲治 ― 2025/01/06 13:17
先ほど初めて拝読いたしました。
父のことを思い出の片隅に残してくださっている方がいらして、大変ありがたく感じております。
なお、父がSFCに関わる切っ掛けとなったのは、福原社長から1991年に発足したばかりのSFCフォーラムへの参加指示と(当時、資生堂の取締役で三田会はその二名のみ)、ちょうど私がSFC1期生だったことから、否応なくSFCと関わることになったのが経緯です。笑
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