柳家喬太郎の「拾い犬」前半2023/09/01 07:00

 喬太郎は、しんがり、今一席お付き合いを、と。 釈台を置かせてもらっているのは、膝を痛めて正座が覚束ないので、お許しを願いますが、師匠が正座しているのに、弟子が正座しないのでは…。 国立劇場の落語研究会は、今回が最後か、国立演芸場は修業させてもらった。 かつて社員食堂があって、使わせてもらった、もちろん代金を払う。 また社員食堂、作ってくれるといい。 メニューは一般のと同じで、前座も、歌舞伎の役者も黒紋付きで、カレーライス、Aランチ、Bランチ、ラーメンなど。 国立劇場らしく、おい、日替わりランチを。 鯖の味噌煮、ささ、それでもよろしゅうございますか。

 楽しみは、いろいろころがっているもので、たとえばペットを飼う。 祖父母の家に行くと、雑種だが、犬が飛んで来る。 帰ろうとすると、悲しい目をしたりして、一緒に暮らす心持になる。

 この犬、長屋で飼おうよ。 無理だ、捨てておいでよ。 真っ白い犬、名前をつけた、白。 六ちゃん、飼おうよ。 長屋の連中、みな食うや食わず、食べ残しは出ない。 ねえ、飼おうよ。 どうしたい、六公、善公。 大家さん、この犬、長屋で飼いたい。 無理だよ。 旨そうだ。 冗談じゃない。 どっかに捨てておいで。 何とかならないかな。 どうだろう、どこかのお店に引き取ってもらって、飼ってもらうようにするのは。 一緒にいられないのかい。 大家さんに、任せておきな。

 旦那様、お話が…。 なんだい、番頭さん。 実は、ここんとこ二三日、風体の良くない男が、お店を覗いている。 お嬢様を、勾引(かどわ)かすんじゃないかと、店の奥を見ているんです。 番頭さん、いないよ。 泉水桶の陰から覗いているんで。 子供じゃないか。

 そこの坊、こっちへお入り。 こんにちは。 何で、店の奥を覗いているんだ。 会いたい人がございます、一緒にいたい。 旦那様、お嬢さんの勾引かしです。 お嬢さんじゃない、白に会いたい、白と遊びたい。 ウチの犬かい、観音長屋の大家が連れて来た。 おいらに返してください。 気持はわかるが、大家さんから十両で買ったんだよ。 エッ、あの爺イ。 坊、いい目をしているな、家の仕事は継がなくていいのか。 よかったら、ウチで奉公してみないか。 名前は、善吉君か。 番頭さん、小僧の手が足りない。 白と一緒になれるんなら、奉公します。

柳家喬太郎の「拾い犬」後半2023/09/02 08:13

 善吉かい、そこにお座り。 旦那様。 もう、ずいぶん経つな。 真面目で、人柄もよし、よい奉公人、いい若い衆になった。 それもこれも、白のご縁だ。 白も年取った、あれも賢いな、覚悟をしたんだろう、三、四日前、ふいといなくなってしまった。 自分から出て行ったんじゃないか。 もう会えないと思うと…。 そこんところ、了見してくれるな。 もう一つ、ウチの娘のことでな。 婿を取らなければならない、いいご縁談も舞い込む。 ああいう娘だ、あのね、好き合った同士が一緒になったほうがいいと思う。 娘に思う者があったら、世帯を持たしてやってもいいと思う、身分違いなんてことは、町人だから言わない。 お互いに思い合っているんなら、自分たちでそういうふうになれば…。 何で、こんな話をしているのかな。 善吉、方々からの縁談をどう思う。 手前は奉公人で、お婿さんをお取りになったら、必ず若旦那に仕えさせて頂きます。 もういいよ、悪かったな、仕事の手を止めさせた。

 旦那様のお言葉は有難いが、この庭で、白とお嬢様とよく遊んだな。 それだけだって、身に余るものだ。 白は、この世にはいない。 奉公人だ、奉公人だ、仕事に戻ろう。 そこにいるのは、誰だ? 善ちゃん! 六さんかい、職人さんになって、行方知れずと聞いたが、いい若え衆になったな。 よかったな、今、何をしているんだ。 聞かねえでもらいたい、親父の跡を継いだが、腕は磨かなかった。 お嬢様、二つ下、いい女だ、おかみさんも好きなことをさせてやっている。 ちょいと、お転婆なところもある。 兄妹のように育ててもらった。 お前の言うことなら、聞くんじゃないか。 だから、お嬢さんを脇へ連れ出せるんじゃないか。 吉原に売り飛ばせば、百両にはなる。 半丁でも、五十両になる。 お前は、お店からいなくなればいい。 いい仕事だ、一口乗んねえ。 これでも、出来ねえか。 匕首(あいくち)は、剣呑だ。 くずぐずぬかすと、心の臓を、貫くぞ。

 引っ張るのは、誰だ。 ワンワン! 白じゃねえか。 あの白か。 あの白だよ。 お前と二人で拾ってきた。 放しやがれ! ワンワンワン! 何をしやがる、手前からぶち殺すぜ。 ウーン、ウーン、そんな目で見るんじゃない。 どっかへ、行きやがれ。 ウーン、ウーン。

 善の字、この白とずっと暮らしてんのかい。 お前、この白とずっと暮らしてんのかい。 いいなあ、引っ張るなよ。 匕首、仕舞う。 善公、二度と会わないよ。 あばよ。 六さん、六さん!

 アッ、お嬢さん。 一部始終を見ておりました。 守ってくれたのね、白が。 白と善吉さんと、二人で私を守ってくれた。 お友達なのね、あの人、悪い人じゃないわ。 お父っつあんのところに、どんな縁談がきても、断ります。 はしたないとお思いでしょうが、善さんでなければ、私は嫌です。 お嬢様! いつか名前で呼べるようにならなきゃ、駄目よ。

ユーロヴェロEV7、1150キロ自転車旅2023/09/03 06:52

 植物学者の牧野富太郎を、槙野万太郎として描いている朝ドラ『らんまん』を7時30分から先行のBSプレミアムで見ている。 去年、朝井まかてさんの長編小説『ボタニカ』(祥伝社)を読んで、この日記の2月4日~17日までいろいろと書いていたので、それと比較しながら、ドラマは槙野万太郎をどう美しく脚色するのかと、ちょいと斜めから見ている。

 この時間の朝ドラの後は普段、火野正平が自転車で日本全国を走る「こころ旅」を見ているのだが、秋の旅が始まる前、15分単位のいろいろなシリーズ番組をやっている。 先日までは、「自転車でなければできない旅がある」というキャッチフレーズで、ヨーロッパでサイクリングロードが整備されている、ユーロヴェロ90000キロの内、EV7、1150キロ、イタリアのフィレンツェから、オーストリアを経て、チェコのプラハまで、ドイツ在住のアキラという若いユーチューバーが14日間で走る自転車旅を、20回でやっていた。

 1150キロを14日間というと、一日平均82キロ強、なにしろアルプスを越えていくのだから、登り坂も多い。 一部は自転車も積める車両のある電車旅もあった。 「人生下り坂、最高」の火野正平「こころ旅」だったら、ブーブー言うどころか、便乗する軽トラを探し、タクシーに頼るところだろう。 2022年夏の旅、アキラ青年、若いといっても、プラハが近づいたところで、体調を崩し一日休養、スタッフの電動自転車と交換してもらっていた。

 ユーロヴェロ7、何といっても、景色が素晴しい。 アルプスの山々を背景に、牧場のむこうの丘の上には教会の塔があり、いろいろの色の洒落た建物が並んでいる。 家々には、薪が積んである。 川や湖に沿って、キャンプ場のような所もある。 標識などはそれほどないようで、スマホのGPSのコース地図を頼りに進む。 舗装されていない道もあり、細い草の生えた道に入って進むと、一軒の民家に突き当たる行き止まりだったりする。 コースの整備は、地元の自治体に任せられているらしく、倒木がそのままになっていて、自転車を担いで乗り越えたところもあった。

 友人の加藤隆康さんが今年の正月に、『日本画で描く 中世の町並み』というコンパクトだが、とても美しい私家本の画文集を送ってくれた。 加藤さんは現役を退職後、俳誌『夏潮』表紙の画家、清水操画伯のNHK文化センターの教室「小品からはじめる日本画入門」に入り、以来、日本画で主にヨーロッパの中世の町並みを描いている。 ユーロヴェロEV7の自転車旅では、その画文集に収録されていた《ザルツブルクの眺望》《モーツァルト生誕の家》《ゲテライド通り》も、出て来たのであった。 番組は景色を見せながら走るだけで、その場所の解説はほとんどない。 加藤さんの本によると、ゲテライド通りはザルツブルク旧市街のメインストリートで東西320メートル、ザルツブルクが司教区になった700年ごろから整備され、中世の趣を残す世界遺産の小さな街路で、手の込んだ美しい鉄細工の装飾看板が各店ごとに表に吊り下げられている。 この通りにあるモーツァルトが1756年に生まれ、7歳まで過ごしたイエローに塗られた家は博物館として開放されているが、イエローはハプスブルク家が好んだ色で、横に吊り下げられた幟の赤白赤の「ウィーン国旗」との相性がいい、とある。

「巡礼の道 スペイン縦断1500キロ」2023/09/04 07:11

 BSプレミアム朝ドラ『らんまん』の後の15分番組、「ユーロヴェロEV7の自転車旅」の次には、「聖なる巡礼路を行く」II「巡礼の道 スペイン縦断1500キロ」になった。 サンティアゴ・デ・コンテスポーラを目指す「巡礼の道」だが、よく知られたフランスからピレネー山脈を越えて、スペインの北部を横断する道ではなく、地中海沿岸のアルメリアから出発して、「モサラベの道」グラナダ、コルドバを通り、シェラモレナ山脈を越えて、「銀の道」小ローマといわれるメリダ、エストレマドゥーラ州の厳しい不毛の大地を行き、サラマンカ、サモーラを通ってアストルガでフランスからの道と合流し、レオンに達する「巡礼の道」である。

 サンティアゴ・デ・コンテスポーラ大聖堂の地下には、聖人ヤコブの亡骸が葬られている銀色に輝く棺がある。 番組では、スペインで布教活動をし、それが広がるのを恐れたユダヤ王に殺された、と言っていた。 伝説によれば、イエスの十二使徒の一人である聖ヤコブがエルサレムで殉教したあと、その遺骸はガリシアまで運ばれて埋葬されたとされる。 813年、現在のサンティアゴ・デ・コンテスポーラで、隠者ペラギウスは天使のお告げによりヤコブの墓があることを知らされ、星の光に導かれて司教と信者(羊飼い)がヤコブの墓を発見したとされる。 「サンティアゴ」は聖ヤコブ、「コンテスポーラ」は星降る野原のこと。 これを記念して墓の上に大聖堂が建てられた。

 サンティアゴ・デ・コンテスポーラへの巡礼の記録は、951年のものが最古で、11世紀にはヨーロッパ中から多くの巡礼者が集まり、最盛期の12世紀には年間50万人を数えたという。 こうした巡礼の広がりは、中世ヨーロッパで盛んだった聖遺物崇拝によるところが大きいとされる。 番組でも、巡礼路の終盤近くの古都オビエドのサン・サルバドール大聖堂で聖遺物の一つ、聖なる救世主、処刑されたキリストの頭を覆っていた血の付いた布、スダリオ(聖骸布)が公開され、スダリオが収められた額に沢山の人が手や布で触れる。 それで自分や家族などの患部に触れると治るという信仰を集めていた。

 「聖なる巡礼路を行く」IIの特色は、レコンキスタ(国土回復運動)との関連が随所に出てくることである。 レコンキスタは、キリスト教徒が、711年イベリア半島に侵入したイスラム勢力を駆逐するために行なった運動で、722年に始まり、1492年グラナダ陥落で完了した。 この運動の過程で、ポルトガル・スペイン両王国が成立した。 聖地巡礼は、レコンキスタとも連動した。 ヤコブはレオン王国などキリスト教国の守護聖人と見なされ、「Santiago matamoros」(ムーア人殺しのヤコブ)と呼ばれるようになった。 キリスト教国の兵士は戦場で「サンティアゴ!」と叫びながら突撃したという。 キリスト教国の諸王は巡礼路の整備や巡礼者の保護に努めた。

ローマ、イスラム、キリスト教の各時代が遺る2023/09/05 07:07

 「聖なる巡礼路を行く」II「巡礼の道 スペイン縦断1500キロ」、アンダルシア地方を歩き、最初に辿りつくのはグラナダである。 スペイン最後のイスラム王朝であるグラナダ王国(1238~1492)の首都。 城塞・宮殿のアルハンブラ、離宮ヘネラリフェ、アルバイシン地区は世界遺産。 アルハンブラは、中世イスラム建築の遺構。 小高い船形の丘サビーカの上にあり、砦、王宮、浴場、モスクなどを城壁で囲んだ城塞都市だった。 アルハンブラの名は、赤を意味するアル・ハムラ、城壁に塗られた赤い漆喰に由来する。 三つの中庭(パティオ)を中心に、噴水、林立する細身の大理石の円柱、天井、壁、床は漆喰と彩色タイルによるアラベスク模様で埋め尽くされ、イスラム建築の粋を集めた精緻な人工美を誇る。

 丘の上にイスラム時代の城があるモクリンという村の祭では、村の人口の何十倍の人がつめかけ、布のキリストの絵が練り歩く。 その絵の額に触れると、その後に行った古都オビエドのスダリオ(聖骸布)と同じような効果が信じられていた。

 アンダルシア地方では、オリーブ畑の道が100㎞も続く。 古代ローマ時代に、イスラム教徒が灌漑栽培を持ち込んだという。 コルドバは、古代ローマ時代から栄え、ローマ橋が残る、中世にはムーア人(アフリカ北西部から出たイスラム教徒でアラビア語を話す)の後、イスラムの後ウマイヤ朝(756~1031)の首都となった。 1236年にカスティリア王国のフェルナンド3世がこの町をキリスト教徒の手に奪回した。(カスティリアは、カステラという日本語の起源だそうだ。) ローマ時代の建物、ムーア人時代の宮殿、中世の修道院、礼拝堂、学校など現存する旧市街は、1984年世界遺産の文化遺産に登録された。 番組では、キリスト教の大聖堂になっているメスキータ(コルドバの大モスク)やユダヤ人街を訪れた。