『福澤諭吉書簡集』の大河内輝剛2023/09/12 06:56

 つづいて『福澤諭吉書簡集』の大河内輝剛を見てみる。

第二巻、書簡番号287、渡辺洪基宛、明治11年12月12日付。 8月26日の「渡辺洪基宛ほか、関連の福沢書簡」に書いたように、渡辺洪基に、馬場辰猪の学習院教師採用を催促し、大河内輝剛の教員就職を依頼するもの。

 第三巻、書簡番号585、浜野定四郎宛、明治14年4月29日付。 この時塾長だった浜野定四郎に、大河内輝剛の塾監就任への働きかけを依頼する。

 書簡番号592、渡部久馬八宛、明治14年5月23日付。 義塾の事務を取り仕切る塾監で、帰郷途中の渡部久馬八から受けた便りに、後任の人選に当惑していたが、大河内輝剛に頼むことにしたと伝える。

 書簡番号598、小泉信吉・日原昌造宛、明治14年7月8日付。 塾監の渡部久馬八帰国、代りに大河内輝剛君を頼み、誠に好都合に御座候。

 書簡番号602、永井好信宛、明治14年8月19日付。 塾卒業生、永井好信の郵便汽船三菱会社の大阪転勤の挨拶状に返礼し、書簡番号598と同じことを伝える。

 第七巻、書簡番号1813、荘田平五郎宛、明治27年1月22日付。 山名次郎の日本郵船入社に賛成を願う。 委細は大河内輝剛(明治25年から日本郵船勤務)に聞いてくれ。

 第八巻、書簡番号1902、清岡邦之助宛、明治28年1月4日付。 清岡邦之助は、福沢の三女しゅんの夫、この時、大河内輝剛とともに日本郵船会社広島支店に勤務。 日清戦争の戦地から持ち帰ったドンキー(ロバ)を子供のために買い受けたいと述べる。 旧冬大河内輝剛出京の節、一頭の分捕ものあり、贈るべし云々と約束したのと、同じものか、と。

 書簡番号1911、清岡邦之助宛、明治28年1月22日付。 先だって大河内輝剛、広島より帰来、今度は横浜住居云々と語りし間もなく、にわかに宇品出張となった。

 書簡番号1916、清岡邦之助宛、明治28年2月25日付。 大河内輝剛その他によろしく。 大河内は、過日出京来訪の節、居合の運動の最中で、失礼した。 これは老生の養生ゆえ、勅命にても止められ申さず。

 書簡番号2102、荘田平五郎宛、明治29年10月10日付。 日本郵船会社の要職にある岩永省一、大河内輝剛が外遊から帰国したので、近日海外談を聞くつもり、と。

 第九巻、書簡番号2540、山田(伊東)要蔵宛、明治20年3月。 別表の、慶應義塾維持金収入表、凡ソ五ケ年間払込約束之部に、大河内輝剛、申込金額六百円、払込金額二百四円、とある。