立川龍志の「寝床」後半2024/04/12 07:00

 治平さんという番頭さんを知っているか。 旦那が義太夫を語るというんで、今日だけはご勘弁と言ったら、首根っこを押さえつけられて、二人っきりで、義太夫をドーーーッと聞いた。 脂汗、涙と汗でグチョグチョになって、逃げ出した。 それを旦那が追っかけながら、語る。 蔵の中に逃げ込んだんだが、旦那は蔵の周りを回りながら語っていて、窓を見つけたから、梯子を掛けて、窓の中へ語り込んだ。 明くる日、亡くなっていた。 悶絶した表情のままだったという噂だ。

 なんとか、みんなをなだめて、行くから。 こんばんは。 お袋が、俺の腰をつかんで、お前が先に逝ったらいけないというのを、振り切って出てきた。 そんなにすごいんですか? 岩田の隠居なんか、三年、腰が抜けて動けない。 八十五てんで、前に座らせて、壁にしようとしたんだ。 三十三間堂棟(むなぎ)の由来を語ったのが、耳に届いて、ドーーーンと倒れた。 何か、悪い物でも飛んで来るんで? 義太熱だ、節々が痛む。 胸に黒いアザが出来、まわりに点が散るんだ。

 今日は、どうしても旦那様の義太夫が伺いたくて、参りました。 豆腐屋さん、生揚げとがんもどきの注文で、忙しいんだろう。 義太夫が気になって、三角の生揚げを作っているようなわけでして。 みっちり、語りましょう。 芸惜しみなんてしない、持ってるものは、全て出す。 出し物は、ハナは御簾内で、弁慶上使をな。 御簾内なら、当たりが少ない。 三勝半七酒屋の段、伽羅(めいぼく)先代萩、あとは関取千両幟櫓太鼓の曲弾きで。 佐倉宗吾、朝顔日記をうなった後、十八番の三十三間堂棟(むなぎ)の由来を。 岩田の隠居を倒した名作だ。 そして最後に忠臣蔵、大序から全十一段を。 明後日の朝、夜の白々明けまでかかる。 たんと、語るぞ。

 「最後の晩餐」になるかもしれない。 私、酒を断ってるんですが。 飲んだ方がいい、当たりが鈍くなる、死んじゃうよ。 いい酒だ。 中トロも、結構、これで義太夫さえなければ。 「まずい」から、「怖い、恐ろしい」になって、「苦しい」になる、怨霊が祟っているんだ。 頭を下げろ。 土手が破れる、ゴォーゴォー、動物の吠える声か。 声をかけろ。 音羽屋! 女殺し! 人殺し! 褒めなくちゃ。 うまいぞ! 卵焼き。 さあ、どうする! どうする! 目の皮が、突っ張って来た。 みんな寝ちまってから、五、六段、語る。 風で、本がバタン。 中山道、大津のあたりを、行ったり来たり。

 よう、よう、どうする! どうする! もう、義太夫はおしまいだ。 惜しい! 嘘を言いやがれ。 私が、一番最後に寝た。 義太夫は、昔、名人上手が苦心して書き下ろした物語、結構なものだ。 その物語に、さらに節がつくんだ。 節がつくだけ、情けない。 私はまずいよ、素人が語るんだから、料理も酒も用意して、木戸銭も取らずに聞かせるんだ。 これで木戸銭取りゃ、泥棒だ。

 このさなかに、泣いてる奴がいる。 定吉か、泣いてんのは。 悲しいか、こっちへ来い。 褒美をあげますよ。 どこが悲しかった、先代萩の千松か。 釜入りの五郎市、ほんのかか様に逢わしてくだされ、か。 そんなんじゃない、そんなんじゃない。 どこなんだ、いったい。 あそこでございます。 私が義太夫を語った床じゃないか。 あそこはわたしが、いつも寝る寝床でございます。