立川談四楼の「百年目―没後百年、生誕百年」 ― 2026/04/07 07:04
その六代目三遊亭円生が、あることを間違って自慢していたという事実を、最近知った。 私が2月25日の「等々力短信」第1200号に「短信50年」「昭和100年」と書いたのを読んだ友人が、図書館で新潮文庫の『百年目―ミレニアム記念特別文庫』(平成12年(2000年))という本が目に入り、借りてきたら面白かった。 「42人の随筆集で一番目が谷川俊太郎の「百年目」で、最後が立川談四楼の「百年目」です。立川は大学の講義に関するものでなかなか辛辣(塾ではないらしい?)ですが、非常に面白い。貴殿が採り上げているのではないかとも想像しましたがどうでしょうか? もしまだでしたら、コピーを送ります。」 落語の「百年目」は知っているけれど、その本は読んでいないと返信すると、親切にコピーを送ってくれた。
立川談四楼の「百年目―没後百年、生誕百年」を、さっそく読む。 立川談四楼は、どこかの大学の文学部で講師をしたという。 ある日の講義で、有史以来、誰か一人落語家の名を挙げろと言われたら「大円朝」と答えるのは、その功績から必然だと、三遊亭円朝の話をし、明治33年8月11日に62歳の生涯を終えた、という話をした。 そして、三日後の独演会で『真景累ヶ淵』のうちの『豊志賀の死』を演るんで、聴きに来たら単位をやる。 受付で学生証を見せれば千円でいいや、その代わりレポート400字3枚提出しろということにした。
その独演会は、満員札止めとなった。 『豊志賀の死』の出来もよかった。 終演後の会場周辺で、女子学生の輪に引きずり込まれた。 「キャー、タチカワ先生」 「わ、私はタテカワだ」 「そんなことはどうでもいいンです。先生、今日よかった、新しいィ」 「新しい? どこが」 「スゴい先生、ミレニアムですよね」
講義で三遊亭円朝が明治33年に亡くなったと聞いたが、明治33年といえぱ西暦1900年、今年平成12年は2000年、「没後百年だから、ミレニアム記念として円朝作品をやってくれたンですよね。発想が新しいィ」
談四楼は、知らなかった。 この正月、西暦2000年と聞いて、21世紀だと叫んだというのだ。 談四楼は、『真景累ヶ淵』の発端『宗悦殺し』に挑もうとして、亡き六代目三遊亭円生のCDを聴いていて、京須偕光(ともみつ)著『圓生の録音室』(中公文庫)を読んだ。 するとそこに、「私(円生)はね、明治33年の生まれなんですよ。つまり大円朝の亡くなった年に生まれたというわけで」と、円朝の生まれ代わりを自負し、さらに「明治33年は西暦で言うと1900年で、皆さんは私を古い古いと言いますが、私はね、20世紀生まれなンですよ」とあった。 20世紀は1901年に始まり、21世紀は2001年から始まる。 円生も、談四楼と同じように、世紀の始まりの年を間違っていたのである。
私がちょっと心配になったのが、明治34年(1901年)2月3日に死んだ福沢諭吉のことである。 そこで、慶應義塾で世紀送迎会をやり、福沢が「独立自尊迎新世紀」と揮毫したのは、いつだったのか、確認した。 世紀送迎会は、明治33年12月31日午後8時から三田で開かれていた。 福沢諭吉も、慶應義塾も、円生や談四楼と同じ間違いはしていなかった。 めでたし、めでたし。
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