「二度と再び、戦うことを学ばない」 ― 2013/12/21 06:32
15日の50回で、大河ドラマ『八重の桜』が終わった。 視聴率は昨年の『平 清盛』ほど悪くはなかったけれど、あまり芳しくなかったらしい。 私は、け っこう面白く見た。 幕末維新という背景、明治期の同志社という私立学校の 起ち上げが、福沢諭吉や慶應義塾に重なるところもあったからだろう。 八重 を始め、山本覚馬、川崎尚之助、秋月悌次郎、新島襄、槙村正直、山川健次郎、 大山巌、大山捨松などという登場人物についても、初めて知る人が多かった。
物語は結局、勝った薩長の側からでなく、会津の側から幕末維新史を見ると、 従来と違った見え方をするというところに主眼があったのだろう。 深読みを すれば、武器を鉄砲から学問や言論に替えた山本覚馬や八重、キリスト教者の 新島襄を描くことによって、再び戦争の方向へ進もうとしているかと思える、 きな臭いにおいのする日本に、警鐘を鳴らそうとしたのだろうか。
第49回「再び戦を学ばず」は、日清戦争まであと3年の明治24(1891)年。 京都に来た時に「知識を武器にせよ、学べば答は見つかる」と教わり、ここで は「戦をせず、国を滅ぼさぬ道もあったはずなのだ」と言う覚馬に、八重は「兄 ン様の目はいつも一歩先を見ていた。同じ日本の中でもう戦をしてはならない。 国を失う痛みは、会津が一番よく知っている。学問をすれば、答は見つかると 言われた。それが襄の学校づくりに役に立った。襄は国にしばられず、自分の 頭で考える人になれ、と教えた。襄の子供たち(学生たち)は、その思いを受 け継いで行ってくれる。兄ン様、あきらめないでくなんしょ」と言う。
新島襄の死後、臨時総長を務めた山本覚馬は、同志社英学校の卒業式の式辞 で、「諸君は弱い者を守る盾となって下さい。私は京都の町を焼き、会津を滅ぼ した者です、その償いは道半ばです。今、世界が力を競い合い、日本は戦に向 けて動き出した。どうか聖書の一節を心に深く刻んで下さい。『剣(つるぎ)を 打ち変えて鋤(すき)となし、その槍を打ち変えて鎌となし、国は国に向いて 剣を上げず、二度と再び、戦うことを学ばない。(イザヤ書第2章)』諸君は、 一国の、いや世界の良心であって下さい。いかなる力にも、その智慧であらが い、道を切り拓いて下さい。それが、身を持って戦を知る、私の願いです」と、 述べたのだった。
最近のコメント