50年目の早慶優勝決定戦2010/11/04 07:08

 東西、東~西、第508回落語研究会の覚書も中でありますが、緊急事態が出 来(しゅったい)、早慶戦でござりまする。 慶應が早稲田との対戦に連勝し、 同率首位で優勝決定戦となった。 連勝した試合後、江藤省三監督は「来ちゃ ったかなあ。 よかったですね。 これくらいのことはできるという気持はあ った。 頼もしい。 うれしくて、しょうがない。 ここまできたらという気 持」と、述べた。

50年前の1960(昭和35)年の秋のシーズンは、逆に早稲田が2勝1敗で勝 点を取って、優勝決定戦となり、日没引き分け2試合の後、早稲田が勝った。  世に名高い早慶六連戦である。 大学一年生で、この六連戦を共に経験したク ラスメートから誘いのメールが入ったので、「行きましょう。行きましょう。あ の六連戦から50年、安藤元博からの借りを、斎藤佑樹に返す事にいたしまし ょう」と、出かけたのであった。 

 11時に外苑前駅の出口で4人が集合したが、同じような考えの人は3万6 千人もいたそうで、すでにネット裏も、内野席も、売り切れで、外野の応援席 の後ろの方に陣取る。 六連戦当時のことを思い出す。 慶應には安藤統夫、 榎本博明、渡海昇二、大橋勲がおり、早稲田には末次義久、徳武定之、前監督 の野村徹がいた。 ピッチャーは慶應が、清沢忠彦、角谷隆、三浦清、丹羽弘 の四本柱、早稲田は安藤元博と金沢宏だった。 外野は芝生席だった当時、「ロ バのお握り」というのを売っていて、「ロハ」なのにお金を取るのかと言ったり、 同じお握りを食べている女子学生を、「同じ釜の飯を食った仲」とからかったり した。

 さて、試合はご承知のような結果となった。 斎藤佑樹投手にノーヒットに 抑えられたまま0―7で、7回まで進み、大磯の友人は帰宅した。 鎌田實先 生の「あきらめない」という教訓は生きていた。 8回、慶應は5点を取り、 5―7まで行った。 帰宅した友人は、肩を組んで「若き血」を歌い、奇跡の 逆転かと思う歓びを味わえなかったのだ。 金子投手がなぜかスクイズを試み、 失敗、そこで代打を出して、投手がいなくなったのが江藤省三監督の誤算であ った。

それにしても、50年前と本日と、両方の早慶優勝決定戦を神宮で観られたこ とは幸福というほかない。 夕焼けがきれいだった。

   五十年の借りを返せぬ秋の暮