新潟に生れ北鎌倉に住む ― 2010/11/19 07:11
藤沢周さん、1959年新潟の内野町生れ、新潟明訓高校から法政大学文学部に 進み、「図書新聞」という書評紙の編集者を10年やって作家生活に入ったとい う。 それで『鎌倉 古都だより』は「新潟日報」の連載をまとめたもので、そ の連載中に芥川賞を受賞して、もみくちゃになり、故郷の人々に大歓迎を受け る様子も書かれている。 昨日、いくらか傾向が変ったかもしれないと書いた のは、内野の海や父親のことを書いた『海で何をしていた?』、内野を舞台にし た『砂と光』という第118回芥川賞候補作があることを知ったからだ。
作品は「最初の一行。それでほとんどが決まる。」が、それはなかなか出て来 ない「煉獄の扉」だという。 『鎌倉 古都だより』の冒頭は、「鎌倉、という あり方に惹かれ、憑かれて、四年が過ぎる。」だ。 北鎌倉の知人宅を訪れ、約 束の時間まで間があって、円覚寺仏殿裏で寝転がっていた。 「一陣の風が吹 いて、目の前の杉林や竹林の葉群を揺らしたと同時に、自分の抱えている心象 風景がグラリと揺れて、その時間が入り込んできた。何か胸の奥底に横たわっ ていた自然(じねん)とでもいったもの――いや、おそらく、人間の呼吸その もの――に、涼やかな波のような、あるいは磁力に屹つ力のようなものが立つ のを感じた。」 それで横浜から、北鎌倉に引っ越す。
あの時、感じたのは、「たぶん、本来の自然を前にした時の人間の素直な感情 だと思っている。つまり、「自分はここにいてもいいのだ」ということ、意味や ら社会やら経済やらに編み込まれた自分自身を心から解き放てた、ということ だ。「あなたはここにいてもいいのだよ」というその声を、円覚寺の仏のものだ と思うほど自分は信心深くはないが、それを教えてくれたのは、少なくとも、 自然、鎌倉の自然であることに間違いはないと思う」
北鎌倉での生活、散歩中の自然との対話、子育てと幼稚園入園、居酒屋の仲 間との韓国カルビ旅行などの日々は、芥川賞受賞をはさんで、作家の成長物語 のように読める。
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