福沢諭吉のロニ宛の手紙1・22016/04/21 06:23

 そこで第126回土曜セミナー、西澤直子慶應義塾福澤センター教授の講演「レ オン・ド・ロニと福澤諭吉―ロニアルバムの手紙から」である。 最近は「ロ ニ」と表記するらしい。 レオン・ド・ロニは、一度も日本の地は踏まぬまま 1914(大正3)年パリ南郊で亡くなったが、残された3分冊のスクラップブッ クの中の1冊に、福沢諭吉がロニに宛てた6通の書簡が貼り込まれていた。 通 称ロニアルバムと呼ばれるそのスクラップブックの1冊は、創立125年の際に 慶應義塾の所有になった。 昨年11月にフランスのリールでロニに関するシ ンポジウムが開かれ、西澤さんも参加して、報告をしてきたという。

 ロニ宛福沢諭吉書簡 1 『書簡集』第1巻19頁(1862年6月18日(文久 2年5月21日)付於:ハーグ 【ロニのハーグ来着を喜び、所用のためすぐに は訪ねることができないことを伝える】「今日コノ京(ミヤコ)へ御着ノヨシ、 私ドモに於テ甚タ(ハナハダ)ヨロコビマス。……私アナタノ家ニマイリタく 存シマスレドモ、色々用事アリテマイルコトアタワ゛ス、甚タ残念(ザンネン・ sorry)ニ存マス。謹言。」 1)初めての外国人⇒視野の広がり。 西洋で当 り前のことを理解することが難しいのが、一緒にいて質問できることで理解で きるのが有難い。 2)難しい候文でない文章を書く経験⇒「山出の下女をし て障子越に聞かしむるもその何の書たるを知る」(『福澤全集緒言』) 話しこと ばに近い表現→福沢の理解しやすい文章の原点。 『明六雑誌』の森有礼「妻 妾論」への論争を読むと、福沢の文章が断然わかりやすい。 わかりやすい文 章を書こうと努力していて、福沢はかなり成功している。 言文一致ではない けれど、一番口語に近い。 それは当時の福沢たちには大変なことだった。 3)初めて郵便を利用。(青い切手に消印)

 ロニ宛福沢諭吉書簡 2 『書簡集』第1巻21頁~22頁(1862年8月3日 (文久2年7月8日)付 於:ベルリン 【ロニの母の病気を見舞い、ベルリン からペテルブルグへの旅程を知らせ、パリでの再会を希望する】 1)学校・ 病院等の見学⇒「大ニ利益トナリシコト多シ」。 工場では沢山の女性が働いて いるのを見た。 2)フランス語学習の決意「(パリで)三月バカリノ間ハ仏蘭 西ノ人ト同居スベシ。コノ間仏語ヲ学ント欲ス。願クハ君此コトニ就キ余ヲ助 ケ給ハルベシ。」⇒しかし、フランス語学習は挫折した。 『中津留別の書』で 「僅か二、三ヶ国の語を学ぶに何程の骨折あるや」と言っているのに。  3)ロニの母・妻への伝言。 「君の御母ノ病ハ如何ヤ、早ク全快ヲ祈ル。」 「余君ノ健康ヲ祈ル。願クバ君ノ細君ヘヨク伝言シ給ハルベシ。謹言。」 父不 在(福沢は早く父を亡くし、ロニの父はロニが15歳のとき、イギリスに亡命) という家族の共通点⇒家族観(「家族はどうあるべきか」という問題が、福沢の テーマとして芽生える。)

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
「等々力」を漢字一字で書いて下さい?

コメント:

トラックバック