やなせたかしの「ことばの力」2025/07/01 06:57

 雑誌『サライ』7月号が、創刊35周年記念号で、大特集「夏に沁み入る本格「焼酎」」のほかに、「「なぜ生きるのか」を生涯問い続けた やなせたかしの「ことばの力」」を特集している。 いくつか、紹介してみたい。 なお、酒を飲めない私に、大特集は全く関係ない。

 やなせたかしのことば 1「今こそ私たちに訴えかける人生哲学」から。

「人生はよろこばせごっこ」…人生最大のよろこびは何か? それはつまるところ、人をよろこばせることだと思った。「人生はよろこばせごっこ」だと気づいたとき、とても気が楽になった。(『やなせたかし 明日をひらく言葉』PHP研究所編(PHP文庫))

「知的でユーモラスでユニークで好奇心が強く、絶えず時代の流れに敏感であること」…作品のかたちはどんなに変わっても、漫画的精神がしっかりしていれば乗り切っていける。漫画的精神というのは、知的でユーモラスでユニークで好奇心が強く、絶えず時代の流れに敏感であること。それにいくらかの芸術的感性がプラスされればいい。(『オイドル絵っせい 人生、90歳からおもしろい』(フレーベル館))

「雑草の暮しがいい」…高位高官というのは望まないし、似合わない。雑草の暮しがいい。それにしては恵まれていたと思う。日陰の細道の名もない雑草としては、ちいさな花を咲かせることが出来ただけで望外である。すべての点で人後に落ちるぼくにしては上出来と、自分で拍手している。(『アンパンマンの遺書』(岩波現代文庫))

「正義のための戦いなんてどこにもないのだ」2025/07/02 07:09

 やなせたかしのことば 2「正義とはいったいなんなのか」から。

 「正義は常に逆転する」…とにかくぼくは、飢えることが一番つらい。正義は常に逆転する。もし本当に正義を行なおうとすれば、傷つくことも覚悟しなければならないと痛感するようになりました。そしてこれが、アンパンマンの物語の基本的ポリシーになっています。(『人生なんて夢だけど』(フレーベル館))

 「正義のための戦いなんてどこにもないのだ」…正義のための戦いなんてどこにもないのだ。正義は或る日突然逆転する。正義は信じがたい。ぼくは骨身に徹してこのことを知った。これが戦後のぼくの思想の基本になる。逆転しない正義とは献身と愛だ。それも決して大げさなことではなく、眼の前で餓死しそうな人がいるとすれば、その人に一片のパンを与えること。これがアンパンマンの原点になるのだが、まだアンパンマンは影もかたちもない。(『アンパンマンの遺書』(岩波現代文庫))

 「どんな理由があっても戦争はすべきではない」…どんな理由があっても戦争はすべきではないということと、もうひとつは正義の味方だったらまず最初にやるべきことは、ひもじい思いをさせないこと、餓死しかかっている人を救うのが先決と、身にしみて痛感していたからです。(『痛快!第二の青春 アンパンマンとぼく』(講談社))

 「ほんとうの正義というものは、けっしてかっこうのいいものではない」…ほんとうの正義というものは、けっしてかっこうのいいものではないし、そして、そのためにかならず自分も深く傷つくものです。(『あんぱんまん』(フレーベル館)あとがきより)

澤田瞳子さんの『若冲』を読む2025/07/03 07:04

 澤田瞳子さんの『若冲』(文春文庫)を知人から頂いて、本文385頁の長篇を吸い込まれるようにして読んだ。 2015年4月に単行本が刊行され、第153回直木賞の候補になったという。

 まず、小林忠さんの『日本大百科全書』の「伊藤若冲」の項を見て、他から多少補う。 若冲、伊藤若冲は江戸中・後期の画家。 1716(正徳6)年、京都・高倉錦小路の青物問屋「枡源」の長男として生まれる。 1800(寛政12)年歿。 本名源左衛門、名は汝鈞、字は景和、若冲居士のほか、斗米庵、斗米翁と号した。 幼少の頃から絵を好み、初め狩野派の画家に学び、やがて京都の寺に伝わる中国宋、元、明の花鳥画を数多く模写して、その写実力に感嘆、また日本の琳派の装飾画の本質をうかがうなど、和漢の絵画伝統の研鑽を重ねた。 その結果、即物写生の重要性を認識し、自宅の庭に飼った鶏から始めて身近な動植物の写生に努め、迫真的なあまりに一種幻想的ですらある独特の花鳥画の世界を創造してみせた。

 とくに鶏の絵を得意とし、米一斗の代でだれにも気軽に描き与えたという。 天明8(1788)年の大火で、家を焼失、晩年は京都深草の石峰(せきほう)寺のかたわらに居を構え、水墨略画を同寺のために多く描き、釈迦の一代記を表すべくデザインした石像群(五百羅漢)を残した。 代表作に『動植綵絵』30幅(宮内庁)、『仙人掌(さぼてん)群鶏図襖絵』(豊中市・西福寺)、『野菜涅槃図』(京都国立博物館)がある。

伊藤若冲と、その時代2025/07/04 06:56

 伊藤若冲の時代、1716(正徳6)年~1800(寛政12)年は、どんな時代だったのか。 1716年は徳川吉宗が第8代将軍となる享保元年だ。 享保17(1732)年、享保の大飢饉で打ちこわしが発生、享保は21年までで、1736年桜町天皇の即位で元文に改元。 元文は6年までで、1741年寛保と改元。 寛保は4年までで、1744年延享と改元。

 1745年延享2年、徳川家重が第9代将軍となる。 延享は5年までで、1748年桃園天皇の即位で寛延と改元。 寛延は4年までで、1751年徳川吉宗死去で宝暦と改元。 宝暦8年宝暦事件(尊王論者の竹内式部の追放)。

 1760年宝暦8年、徳川家治が第10代将軍となる。 宝暦は14年までで、1764年後桜町天皇の即位で、明和と改元。 明和4(1767)年田沼意次側用人となる。 明和は9年までで、後桃園天皇即位と続いて起こった火事風水害で「明和9年・迷惑年」とされ、1772年安永と改元。 この年、田沼意次老中となる。 安永3(1774)年、杉田玄白『解体新書』。 安永5(1776)年、平賀源内エレキテル(静電気発生装置)を復元。 安永は10年までで、1781年光格天皇の即位で天明と改元。 天明3(1783)年、浅間山噴火。 天明5(1785)年、蝦夷地調査隊を派遣。

 天明7(1787)年、徳川家斉が第11代将軍となる。 天明は9年までで、1789年内裏炎上(天明8(1788)年)などの災異により寛政と改元。 寛政4(1792)年、尊号事件(朝廷と幕府の間での尊号問題)。 寛政は13年までで、1801年享和と改元。

 澤田瞳子さんの『若冲』には、池大雅、与謝蕪村、丸山応挙、谷文晁などの画家、裏松光世、相国寺第百十三世住持大典顕常、木村蒹葭堂(坪井屋吉右衛門)、さらには田沼意次、松平定信、中井清太夫などが登場する。

伊藤若冲  1716(正徳6)年~1800(寛政12)年
池大雅    1723~1776
与謝蕪村  1716~1783
丸山応挙  1733~1795
谷文晁   1763~1840
裏松光世  1736~1804
大典顕常  1719~1801
木村蒹葭堂 1736~1802
田沼意次  1716~1788
松平定信  1758~1829
中井清太夫 1732~1795

 そして、大河ドラマ『べらぼう』の蔦谷重三郎も、同時代人である。
蔦谷重三郎 1750~1797

伊藤若冲は終生未婚だったか?2025/07/05 06:58

 巻末の解説で、作家の上田秀人さんが指摘しているように、伊藤若冲は終生未婚だったと言われてきた。 未だ、若冲が独身だったか、妻帯者だったかはわかっていない。 若冲のことを記した記録に妻という文言は出てきておらず、結婚した記録も見当たらない。 しかし、この小説『若冲』で澤田瞳子さんは、お三輪という妻がいたことにした。 そこに、京都・高倉錦小路の青物問屋「枡源」の長男、源左衛門の名を継いだ若冲が、生涯絵を描くことになった動機を据えたのだ。

 澤田瞳子さんは、京都府生れ、同志社大学文学部文化史学専攻卒業、同大学院博士課程(前期)修了。 この小説で、昨日、見たように沢山の人物と事件をちりばめて、江戸時代の京都の町の中で動かしていく。 そうした史実が、想像によってふくらませた、この物語をしっかりと支えている。 小説家というものは、とりわけ澤田瞳子さんは、すごいものだと、あらためて感心した。

 「枡源」の主、源左衛門は、京の商家の例に洩れず、深い店奥にある、奥庭を見下ろす南向きの二階の八畳間に寝起きし、閉じこもって、絵を描いている。 膠を煮て、顔料を作る手伝いをしているお志乃は十七歳、四十歳の源左衛門とは父娘ほど年が違うが妹だ。 ただお志乃は、先代源左衛門の妾の子、先代はお志乃が産まれる前に亡くなり、母も彼女が十の秋に死んで、困った叔父夫婦が半ば無理矢理、姪のお志乃を枡源に押しつけたのだった。

 お志乃は、長兄がいつからこの部屋に閉じこもって絵を描いているのか、はっきりとは知らない。 家督を継ぐ前からだとも、嫁を娶った直後からとも店の者は言うが、少なくとも七年前、お志乃が枡源に引き取られた時にはすでに、源左衛門はこの二階間で描画三昧に暮らしていた。 商いを任せられている次兄の幸之助と三兄の新三郎が、そんな長兄を苦々しく思っているのは承知していた。

 源左衛門は、一日のうち幾度も、二階の八畳間から見える土蔵に目を向け、そのたびに深い井戸の底を映したような、まるで死んだ魚の目みたいな、目付きになるのだった。 兄たちや、その母、義母のお清が教えてくれたわけではないが、お志乃はちゃんと知っていた。 源左衛門の妻であったお三輪は八年前、あの蔵で首を吊って死んだ。 もともと絵を趣味としていた源左衛門はそれ以来、土蔵の見える一間に引きこもり、画布だけに向き合って日をすごしているのだ。