益田肇『人びとの社会戦争 日本はなぜ戦争への道を歩んだのか』 ― 2026/01/08 07:13
こういう見方もあるのか、益田肇著『人びとの社会戦争 日本はなぜ戦争への道を歩んだのか』(岩波書店・2025年9月)という本があるのを、11月22日の朝日新聞読書欄、酒井啓子千葉大学特任教授(中東研究)の書評で知った。 益田肇(はじむ)さんは、1975年生まれ、シンガポール国立大准教授(日本近現代史、20世紀アジア史、アメリカ外交史)。 『人びとのなかの冷戦世界』で大佛次郎論壇賞、毎日出版文化賞を受賞。
酒井啓子さんは、「居心地が悪い。読んでいて、気持ちがざわざわする。それは本書が読者に、太平洋戦争の責任を突き付けるからだ。普通の人びとに、戦争は軍部や「上層部」の横暴のせいだとして、安全な地に逃げ込むことを許さないからだ。」と始める。 「太平洋戦争とそれに先立つ時代、総動員体制と統制強化のなかで、人々は圧政にあえぐ無力な犠牲者だった……。こうした見方に真っ向から異議を申し立てるのが、本書である。政府も軍も、ぎりぎりまで戦争回避を模索した。だが開戦を後押ししたのは「世間」であり、妥協したら「内乱」が起きるのではとの「世情」への不安だった。」
「著者はいう。日本社会は、個人主義や多様性の開花を享受し、ときに「エロ・グロ」までに発展する「解放の時代」と、それをよく思わない、「あるべき姿」の喪失を嘆き「らしさ」(日本らしさや男・女らしさ)と「一体感」の回復を求める社会保守運動とが、繰り返し戦いを繰り広げてきた。それが本書の言う「社会戦争」で、政府・軍による国家間戦争と並行して、人びとは社会戦争を戦ってきたのだという。」
「草の根社会保守を求める人びとにとって、戦時下の引き締め、八紘一宇や大政翼賛会に見られる差異や対立の否定は、国家から押し付けられたのではなく、彼らが「社会戦争」に勝利し「一体感」を確立するための格好の機会だったのだ。人びとにとって戦争は、帝国領土拡張のためでも「興亜の大業」のためでもなく、あくまでも「統一ある秩序と調和を回復すること」、つまり「らしさ」を取り戻すための道具だった。世論が南進論に傾斜したとき、南とは何を、どこを意味するのか明確でないまま、「勇ましい発言」が行き交ったという。」
酒井啓子さんは、「読んでいて気持ちが最もざわつくのが、この高揚する「空気」に今も直面しているという事実だ。『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎著)の再々ブームを挙げ、30年周期の「引締めの時代」が2020年代にあたると指摘する。「今」を強く意識しつつ、著者は「何が争われているのかを私たち自身が見つめなおすこと」の必要性を強調する。」と。
酒井さんは「最後に、すこしばかり欲を」として、「普通の人びとの普通の社会意識が、政治や軍までをも突き動かす「空気」を作り上げるなかで、思想家や知識人と呼ばれる人々、さらにメディアは、どういう役割を果たしたのだろう。「空気」を増幅させるのか、あるいは国家との橋渡しをするのか。そういう仕事を生業にする以上、気になる。」と書いている。
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