「「大東亜共栄圏」は外務官僚たちが生みの親だった」 ― 2026/01/05 07:11
最新の歴史研究による、現代史の「常識」見直しを、もう一つ。 第25回大佛次郎論壇賞(朝日新聞社主催)は、熊本史雄駒沢大学教授の『外務官僚たちの大東亜共栄圏』(新潮選書)に決まった。 日本は「大東亜共栄圏」という理念のもと、侵略戦争を正当化した。 無謀な秩序構想は軍部の暴走として語られることが多いが、この本では、外務官僚たちが生みの親だったという大胆な見方を示した。 国際協調を捨て去り、無謀な拡張主義へとかじを切った外交官たちの失敗を、膨大な外交資料をもとに検証した。
その源流は日露戦争だった。 多大な犠牲を払って獲得した中国東北部の租借権や鉄道を守り、さらに「満蒙権益」として拡大する――外務省の基本方針が生まれた。 同時に英米協調という国際協調も重要だった。 しかしアメリカは、中国市場の開放を訴えて権益の放棄を迫る。 相反する二つの外交方針を抱え込み、追い詰められていったと考える。
この見方に立てば、協調外交で名高い幣原喜重郎の違った一面が浮かび上がる。 幣原は満蒙権益、特に鉄道権益に強く固執したという。 当然、英米との足並みは乱れた。 中国政府が強硬化していくなかで袋小路に陥ったと指摘する。 1931(昭和6)年に陸軍による満州事変が起きると、幣原は有効な策を打てずに外相を辞任した。
そして1934(昭和9)年を迎える。 外務省は、英米などを排除し、日本単独で中国から東南アジアへと広がる秩序構築を担う「大東亜共栄圏」の構想に突き進んだ。 矛盾に耐えきれなくなり、独善的な「国益」追求にかじを切ったのだ。
選考委員の一人、富永郁子早稲田大学教授(政治学)は、「印象深いのは、戦後「善玉」視された幣原喜重郎と重光葵(まもる)について、前者は満州事変に際し、満蒙の鉄道利権からの他国の排除を強硬に求め、国際連盟脱退を招いた張本人であり、後者はさらに「東亜」全域を日本の排他的勢力圏とする構想を打ち出すことで、日独伊三国同盟に5年先立ち、日本外交を後戻りのできない地点に至らしめていたという指摘だ」と選評している。 佐藤武嗣朝日新聞論説主幹は、「「大東亜共栄圏」と言えば、陸軍が主導し、膨張主義的な構想が推進され、それを理念先行の近衛文麿政権が政治文書として上書きしたとの印象が強かった。だが、本著は歴史文書をたどりながら、外務官僚こそ共栄圏を追求した「本丸」だとして、その内実を掘り起こしている」と評した。
外務省の転落という闇を、広く史料を読んで描いたこの本で、ある外交官の構想があったことに、光を見出す。 小村欣一、1914~19(大正3~8)年に中枢の政務局で課長を務めた、彼は満蒙を手放し、日米共同の中国本土への投資を唱えた。 満蒙にこだわればアメリカとぶつかる。 それは避けなければならない。 ならば手を組み、中国全体を射程にして経済活動を進めればいいと考えた。 大胆な外交姿勢からは、「慎慮」が感じられるという。 「長期的な視野で時代の流れを的確につかみ、何が国益になるのかを冷静に見極めたうえで、柔軟に発想した」。 しかし小村の案は日の目を見なかった。 反故にしたのは、上司の幣原だったという。
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