桂二葉の「仔猫」下 ― 2025/10/02 07:08
お鍋、はい、番頭さん。 芝居から帰ったか、わしの部屋まで水を一杯持って来てんか。 座れ、話がある。 後ろを閉めて…、やっぱり、開けといてもらおうか。 ようやってくれてる、旦さんもご寮ンさんも喜んではるねん。 実はな…、芝居、面白かったか? 華やかで、よかったろう。 話やけど…、芝居、面白かったか? 道頓堀界隈、賑やかだろう。 ウチに来て、どのくらいになる? 二か月で。 話やけど…、芝居、面白かったか? 中座、何をやっていた? 四谷怪談。
こんなことばっかり言ってもいかん。 お鍋どん、わしが話をしたら、先に「うん」と言って欲しい。 番頭はん、わし、お前の話、知っとるでの。 知っとるか。 人には添うてみよという、お前さん、見かけによらぬ、いい人じゃ。 来年は暖簾分けしてもらうと聞いた、そういうことになれば所帯を持つのだろう。 わしもこれといった定まった男がいるわけでない。 番頭さん、わしゃ至らぬ者だが、お前さんさえよければ……。 違う、違う、違う、違う!
実は、ご寮ンさんにお妹御前(ごぜ)がいなはってな、縁づいてはったんやが、事情があって帰ってきはることになった。 当家へ、女中同様、女衆同様ということでな。 女衆が一人余るので、お前はん、一番新しい女衆なんで、いっぺん家へいんで欲しい。 「うん」て言うてくれんか。 当家には、お妹御前、なかったはずじゃ。 ちゃんと、いはる。 二三日、お妹御前に、仕事をちゃんと教えてから、出るのはどうじゃ。 でも、お互い顔見合わせて「わたしのためにこの人が帰らされる」と思うたら、何やさかいに。 来る前に、シュッと出る、シュッ、シュッと、「うん」て言うてくれ。
番頭さん、そうじゃあるまい。 わしの留守中、何か見はらなかったか。 見た、見てしもうた、堪忍してくれ。 あれを見たか、じゃあ仕方がない。 実は、こういう訳じゃ。 わしの父(とと)さんは、百姓片手の山猟師。 生き物の命を取るのは悪いことじゃと、再三意見はしたけれど、聞いてはくれず。 七つの時に飼い猫が、足を噛まれて帰ったのを、舐めてやったが始まりで、猫の生き血の味を覚え……。 それからというもの、人さまの可愛がる仔猫と見れば、捕って喰らうのがわしの病。
あれは鬼じゃ、鬼娘じゃと、噂され、村にはおられず。 大阪に出て奉公すれば治るかと、出て来は来たが……、番頭さん、駄目じゃ。 日のあるうちは何とか辛抱するのじゃが、日が暮れて闇が迫れば心が乱れ、締まりを越えて町へ出て、猫を捕えて喉笛喰らいつくまで夢うつつ。 生暖かい猫の血が、喉元過ぎればわが身に返り、また益体(やくたい)もないことをしてしまったと悔やんでも、あとの祭りじゃ。
番頭さん、そういうわけじゃで、わしには帰るところがない。 手足くくって休みますので、どぉぞ、どぉぞ、置いとくれ。 猫捕りか、猫だけか、人間の生き血を吸うのかと、思うたん。 そんな恐ろしいことするなんて。 なんじゃいな、猫捕るだけの話かいな。 ハハハ、ハハハ。 因果なもんじゃなあ、昼間あんなに明るいあんたが、夜になって猫をなあ。 ああ、猫被ってたんかいな。
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