書を以って世を耕す日の本一の「べらぼう」2025/12/23 07:13

 寛政8(1796)年、蔦屋耕書堂は馬琴の読本や本居宣長本で大繁盛。 そんな折、蔦重が脚気で倒れる。 脚気は「江戸患い」とも言い、国元に帰って治る者もいる。 ていは、湯治など転地を勧めるが、蔦重は「横になっても本は作れる」と、食べ物や水など厳しい条件の付いた江戸での療養に入る。 仲間を集めて、「死の間際まで本を作ったと言われたい」と告げ、山東京伝(北尾政演)には諸国巡りの黄表紙、十返舎一九には誰でも笑える物語、大田南畝には日の本中から集める目出度い狂歌集、勝川春朗には音を描く絵、朋誠堂喜三二には黄表紙の手直し、宿屋飯盛(又吉直樹)には「二十四孝」を頼む。 見立て蓬莱、見上げたもんだよ、屋根屋のふんどし。 皆、書くぞ! 描くぞ! おぬしの花道を飾ってやる! ありがた山で、ごぜえます。 歌麿には、色っぽい山姥(やまんば)を。 続きを見たいなら、死ぬな。 合点承知の助だ。

 明けて、寛政9(1797)年。 いよいよ、蔦重は病が重くなり、ていは今後の耕書堂の分野別の出版計画書をつくって、蔦重を感心させる。 蔦重は、二代目はみの吉(中川 翼)に、墓碑銘は飯盛さんに頼むと言う。 ていは、蔦重を抱き起して、話す。 読む人がいれば、本も、本屋も本懐。 腹を満たさなくても、心を満たすことは出来る。 人は優しくなれましょう、目の前が明るくなりましょう。 次は、おのれが誰かの心を満たそうと、思うかもしれません。 さような笑うという名の富を、旦那様が日の本中にふるまったのでは、ございませんでしょうか。 遊びでないものを、遊びにして、雨の日も、風の日も、たわけきられたこと、日の本一の「べらぼう」にございました。

蔦重の夢枕に、九郎助稲荷(綾瀬はるか)が立ち、九つ、昼の刻に迎えに来る、拍子木が鳴る、と告げる。 それを聞いたみの吉は、必死で知らせに回り、絵師、戯作者の連中、次郎兵衛、吉原や本屋の面々が、駆け付ける。 昼九つの鐘が鳴り、蔦重はかすかに笑い、「ありがた山で……」と静かに息を引き取る。 涙に沈む部屋で、大田南畝が「呼び戻すぞ。俺たちは、屁だ」と言い出し、一同“屁踊り”となる。 蔦重を抱えていた、ていは「兄さん」と次郎兵衛に代わってもらい、踊りに加わる。 すると、蔦重が目を開け、「拍子木……うるさくて聞こえねえんだけど」と。