日本の海と山、中国の山水2010/06/24 06:53

 「山雲」は、文字通り雲烟縹渺とした日本の山の風景である。 上段の間は、 高貴な方の休み所で玉座がある。 左側に広く床の間があり、それにつづいて 違い棚、右手は桜の間に通じる襖になっている。 正面の床の間と棚の壁に壁 画、棚上部の物入れの左引戸にホトトギスが飛んでいる。 壁画は左上から右 下に向かって、杉林であろうか、山が谷へと落ちている。 襖絵は、やわらか い雲や霧につつまれた深山に、一条の滝がみえる。 東山魁夷は、信濃や飛騨 から、北陸の奥深くまで、この山景を訪ね歩いたという。

 第二期に描かれた「黄山暁雲」「揚州薫風」「桂林月宵」、きのう書いたように 「揚州薫風」だけは鑑真和上像の背後にかすかに見えるが、上段の間につづく 桜の間の「黄山暁雲」と、正面お厨子のある松の間の右につづく梅の間の「桂 林月宵」は、まったく見ることができない。 少し開けてもらえないかという 要望もあったが、頑として首を縦に振らなかった。 案内の僧は「鑑真和上の “プライベート・ルーム”だから」と言ったが、東山魁夷は、ひとえに鑑真和 上に捧げるものとして、この三つの中国山水を水墨画で描いた。 揚州は鑑真 の故郷、桂林は和上とのゆかりの深い土地、黄山は中国の代表的景観である。  日本渡来の苦労で失明した鑑真和上が、その色彩を見ることのできる、心の風 景であった。

 お厨子の中に、明るい色彩で描かれている「瑞光」は、鑑真和上が永年の辛 苦の末に、ついに日本の土を踏んだ、薩摩半島の秋目浦(あきめのうら)の風 景である。 静かな湾内に和上の黄金色の乗船が入ってくる。 なだらかな半 島の山が連なり、松の生えた小島が浮び、瑞雲の流れる空の両端、右には太陽、 左には月が浮んでいる。 ここは、まさしく日本であった。

 制作を引き受けた1971(昭和46)年から、唐招提寺御影堂の全障壁画の完 成した1981(昭和56)年までの11年間、東山魁夷は全身全霊をかけ、無我夢 中で、この仕事に打ち込んだという。 その年月は偶然、鑑真和上が辛苦の末 に日本渡来を果した年月と、ほぼ等しかった。