「湊、いい人生だったじゃないかよ、なあ」2010/06/10 06:49

 「湊、いい人生だったじゃないかよ、なあ」と、にこやかな遺影に声をかけ た。 お別れ会で、お子さん方へのメッセージのビデオを見、六甲アイランド や明石の市民活動のお仲間、同窓生(同期で神戸の長田庄太郎さん)、ヨット仲 間、仕事仲間と分類された得意先シャープ(株)の方々の献辞を聞いて、つく づくそう思ったのだ。 奥さんにお聞きしたところでは、「命を二年くれないか。 まだまだやりたいことがある」と、言ったそうだけれど…。 小学校教諭にな った娘さんには「麻希子、『二十四の瞳』のような先生になれ」、医大に入った 息子さんには「昂志、いい医者になれよ」と、言い遺していた。

 東京から参加したので、突然スピーチを求められた。 高校時代から50年 を超える交遊だったこと、背の高かった彼がみんなとは見える世界が違うから 世界観が違うと言っていたことを話し、先日「等々力短信」に書いた弔句を披 露した。 <丈高き漢(おとこ)の目路に夏の潮>

 長くなるので話さなかったのだが、本当はこの句をつくった後で読んだ俳誌 『夏潮』6月号所収の詩人・高橋睦郎さんの「死と仲よく」という講演に触れ たかった。 高橋睦郎さんは、こう話している。 俳句では挨拶ということを 言い、挨拶で最も心を込めなければいけないのは人の死に際してである。 ひ とりの人の死は、その人にとっての世界の終わりだ。 その時に心を込めて挨 拶をする。 挨拶の究極だ。 何のためにそんなことをするかというと、最終 的にいつか来る自分の死と向き合う練習を、その中でしているのだ。 言い換 えれば、自分の生と向き合うためだ。 生と向き合うには、死と向き合わなけ ればいけない。 親しい人、尊敬している人が亡くなったら、真剣に弔句を作 ってもらいたい。 そのことによって自分の死を思い、自分の生を思う。 い や、それよりも生きることである、と高橋睦郎さんは語っていた。