「慶應義塾志木高新聞」百年祭記念号(その1) ― 2010/11/10 06:20
15歳から18歳、慶應志木高校の三年間は輝くばかりの充実した時間だった。 よい仲間に恵まれ、大学受験のない自由を満喫した。 あれが人生のピークで、 あとは下り坂だったと思うことがある。 現在毎日<小人閑居日記>を書いて、 それが生きがいのようになっているが、そのルーツも志木にあった。 その辺 の事情を、慶應義塾150周年だった一昨年、『三田評論』11月号(特集・学塾 の歩みを記録する)巻頭エッセイ「丘の上」に「「慶應義塾志木高新聞」百年祭 記念号」なる一文で書かせてもらった。 肩書は何もないので、(個人通信「等々 力短信」発行人)とした。 当時ほとんど反響がなかったから、先日のホーム カミングデイでコピーを配り、自己PRの売名行為(笑)を行った。 それを 二回に分けて、紹介させていただくことにする。
「慶應義塾志木高新聞」百年祭記念号 馬場紘二
慶應義塾が創立百年を迎えた一九五八(昭和三十三)年、私は志木高校の二 年生だった。あっという間に五十年の歳月が流れた。その五十年の物差しを、 さらに二つ伸ばしただけで、安政五年・一八五八年の福沢先生の塾創立に至る ことに、改めて驚く。
慶應義塾志木高校は、その前年に農業高校から普通高校へ転換、一期生の私 たちは新しい学校を第一歩からつくりあげることになる。クラブ活動もあいつ いで新設された。一年生ながら先輩たちと協力して、学校新聞の発行、生徒会 の創設、日吉高や女子高との提携活動などに、走り回った。百年祭の年には、 生徒会が発足、塾創立百年・志木高創立十周年記念の収穫祭も、実行委員会を 組織して初めて生徒の手で開催した。この記念すべき年の秋、たまたま私は新 聞部の編集長と生徒会の委員長だった。
十一月八日に新設の日吉記念館で開かれた塾創立百年記念式典に参列し、十 二日の「塾生の日」記念式典には全校生で参加をした。「慶應義塾志木高新聞」 は十一月十四日、第六号「百年祭記念号」を発行した。一面を担当し、お言葉 を述べられる昭和天皇の写真をトップに、「義塾百年のクライマックス」〝慶應 の新しい出発点〟「天皇陛下迎えて記念式典」の大見出しを立てたことは、忘 れられない。記事には奥井復太郎塾長が式辞で「過去の百年を思うより、これ からの百年がどうなるかが問題である。われわれは次の百年に出発しなければ ならない」と述べ、陛下もお言葉で「今後さらに協力一致して、この輝かしい 伝統を守りわが国文運の進展に寄与するよう」望まれた、と書いた。「塾生の日」 記念式典で塾長が述べた「今日は考える日だ。慶應の明日を背負うのは君たち なのだから」という式辞も記事にしている。百年記念式典から六日、「塾生の日」 から二日、この短期間で新聞を発行するには、陛下の写真を実況中継のテレビ の画面から撮ったり、それなりの苦心もした。当時使っていた新橋の時事印刷 所に通い詰め、一般紙を真似た速報を喜んだ高校生らしい気分も、なつかしい 思い出だ。
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