虚子句の「自他半」、小説、郷居、小諸、虹、贈答2025/08/11 07:02

 本井英主宰の、虚子句の「自他半」。 つづいて『五百句』所収の「自他半」の句を読み進める。 すぐに気付くのは、若い虚子青年の句に、まるで小説の一齣のような「場面」が少なくないということである。 <松虫に恋しき人の書斎かな>明治29年。 <薔薇呉れて聖書かしたる女かな>明治32年。 <君と我うそにほればや秋の暮>明治39年。 <後家がうつ艶な砧に惚れて過ぐ>明治39年。

上記の句群とは、異なる純情な「小説」の世界に、虚子の所謂「郷居もの」と言われる句群もある。 <友は大官芋掘つてこれをもてなしぬ>明治36年。 <野を焼いて帰れば燈火母やさし>大正7年。 「郷居もの」は、「母恋い」とも背中合わせの作品として「自他半」の句群をなす。 <蚊帳越しに薬煮る母をかなしみつ>明治29年。 <送火や母が心に幾仏>明治39年。 <柊をさす母によりそひにけり>昭和3年。 <藪入や母にいはねばならぬこと>昭和14年。 <元朝や座右の銘は母の言>昭和26年。 <母がせし掛香とかやなつかしき>昭和32年。 <母が餅やきし火鉢を恋ひめやも>昭和33年。

「小諸時代」。 昭和19年から足かけ3年、虚子は小諸に疎開する。 地元の住民、小諸・長野の俳人など、今まで馴染みの無かった人々との暮らしを詠めば、「自他半」の句態が増える。 <諸君率て小諸町出て秋の晴><我さむさ訪ひ集ひくる志><寒からん山盧の我を訪ふ人は><炬燵出ずもてなす心ありながら><二三子と木の葉散り飛ぶ坂をゆく><里の子と打交りつゝ草を摘む><物種をくれて腰かけ話し込み><昼寝してゐる間に蕎麦を打ちくれて><山国の蝶を荒しと思はずや><初蝶来何色と問はれ黄と答ふ>

「虹もの」。 小諸時代と並行して、虚子の晩年を飾る小説「虹」の物語が、老人の心に柔らかい「灯火」をそっと灯していた。 <不思議やな汝が踊れば吾が泣く><虹を見て思ひ思ひに美しき><病む人に各々野菊折り持ちて>

「贈答句」。 如上のごとく虚子俳句の中で「自他半」が効果的に使われてきたことは確認できたが、それ以上にはっきりと見えたのは、虚子の「贈答句」の多さであった。 「自他半」の「贈答句」・「挨拶句」を何句か紹介する。 <葛城の神臠はせ青き踏む>「一言主」の神、大正6年。 <墓生きて我を迎へぬ久しぶり>松山、大正14年。 <子の日する昔の人のあらまほし>大磯一本松、中村吉右衛門別邸、昭和8年。 <たとふれば独楽のはぢける如くなり>河東碧梧桐「弔句」、昭和12年。 <此上は比叡の座主の秋を待つ>渋谷慈鎧毘沙門堂門跡に栄転を祝す、昭和14年。 <君と共に四十年の秋を見し>京都で最も信頼した弟子、田中王城追悼。 <手出せばすぐに引かれて秋の蝶>五女晴子の長女坊子追憶、享年五歳、昭和16年。 <在りし日の如くに集ひ余花の庵>水竹居追悼句会、深沢、赤星邸、昭和17年。 <楡大樹諸君は学徒我は老い>北大大講堂にて俳句大会、昭和23年。 <惟(おもんみ)る御生涯や萩の露>外祖父山川市蔵の墓畔に句碑を建てると切望され、昭和28年。