AIが答えた「馬場紘二」、間違っている点 ― 2026/05/21 07:22
昨日のAIモードで検索した「馬場紘二」の、誤りを指摘したい。
まず「主に慶應義塾の歴史や福沢諭吉の研究、エッセイの執筆などで知られる日本の執筆家・知識人です。」…まったく「執筆家・知識人」として知られていない、本人も知らなかった。
「慶應義塾志木高等学校のラグビー部草創期に携わっていました。」…携わっていない。2026-03-10: 轟亭の小人閑居日記の前日に、慶應志木高ラグビー、創部一年目「幻の花園」<小人閑居日記 2026.3.9.>に、同期のS君が手紙でラグビー部草創期のことを知らせてくれたことを書いた。私は慶應義塾志木髙新聞の創刊メンバーだったと書いたので、AIは誤解したのだろう。
「慶應義塾工学部(現在の理工学部)管理工学科を昭和39年(1964年)に卒業」…私は同年に慶應義塾大学経済学部を卒業した。管理工学科の卒業生だった森靖孝さんとは、同期105年三田会の活動でご一緒し、その追悼文を2021.8.25.「等々力短信」第1146号に書いた。管理工学科には、志木高から行った友人もいたので、管理工学科のサイトにそれを紹介してくれたのだった。その流れを、AIは誤解したのだろう。
「同ブログ内では「等々力短信」と題したエッセイを50年以上執筆し続けており、時事、歴史、落語、書籍の書評など幅広いテーマについて、ユーモアと明晰な視点を交えた文章を発信しています。」…何とも嬉しい評価をAIがしてくれたものだが、実はAIが参照した「福沢-轟亭の小人閑居日記 馬場紘二 2026/04/07-はブログのカテゴリー「福沢」のリストで、「明晰さにユーモアが加わり、さらには精神のいきいきした働きが文章の随処に光っている。」は、2026.3.25.「等々力短信」第1201号『この国のかたち』の福沢諭吉に書いた、『福翁自伝』を評した司馬遼太郎さんの言葉なのだった。
主な著書・寄稿にも、問題があった。 「・『等々力短信』シリーズ(私家本・単行本など複数冊を発行)」…「等々力短信」を私家本にしたのは『五の日の手紙』『五の日の手紙2』『五の日の手紙3』『五の日の手紙4』の4冊だけで、そのほかに単行本はない。
「・「慶應義塾志木高新聞」百年祭記念号への寄稿」…『三田評論』2008年11月号「特集 学塾の歩みを記録する」の巻頭随筆「丘の上」に、私が「「慶應義塾志木高新聞」百年祭記念号」という文章を「寄稿」していた。そこには、慶應義塾が創立百年を迎えた1958(昭和33)年、私は志木高の2年生で新聞部の編集長だったので、11月14日「百年祭記念号」を出し、「義塾百年のクライマックス」“慶應の新しい出発点”という大見出しを立てたことを書いていたのだった。
まず「主に慶應義塾の歴史や福沢諭吉の研究、エッセイの執筆などで知られる日本の執筆家・知識人です。」…まったく「執筆家・知識人」として知られていない、本人も知らなかった。
「慶應義塾志木高等学校のラグビー部草創期に携わっていました。」…携わっていない。2026-03-10: 轟亭の小人閑居日記の前日に、慶應志木高ラグビー、創部一年目「幻の花園」<小人閑居日記 2026.3.9.>に、同期のS君が手紙でラグビー部草創期のことを知らせてくれたことを書いた。私は慶應義塾志木髙新聞の創刊メンバーだったと書いたので、AIは誤解したのだろう。
「慶應義塾工学部(現在の理工学部)管理工学科を昭和39年(1964年)に卒業」…私は同年に慶應義塾大学経済学部を卒業した。管理工学科の卒業生だった森靖孝さんとは、同期105年三田会の活動でご一緒し、その追悼文を2021.8.25.「等々力短信」第1146号に書いた。管理工学科には、志木高から行った友人もいたので、管理工学科のサイトにそれを紹介してくれたのだった。その流れを、AIは誤解したのだろう。
「同ブログ内では「等々力短信」と題したエッセイを50年以上執筆し続けており、時事、歴史、落語、書籍の書評など幅広いテーマについて、ユーモアと明晰な視点を交えた文章を発信しています。」…何とも嬉しい評価をAIがしてくれたものだが、実はAIが参照した「福沢-轟亭の小人閑居日記 馬場紘二 2026/04/07-はブログのカテゴリー「福沢」のリストで、「明晰さにユーモアが加わり、さらには精神のいきいきした働きが文章の随処に光っている。」は、2026.3.25.「等々力短信」第1201号『この国のかたち』の福沢諭吉に書いた、『福翁自伝』を評した司馬遼太郎さんの言葉なのだった。
主な著書・寄稿にも、問題があった。 「・『等々力短信』シリーズ(私家本・単行本など複数冊を発行)」…「等々力短信」を私家本にしたのは『五の日の手紙』『五の日の手紙2』『五の日の手紙3』『五の日の手紙4』の4冊だけで、そのほかに単行本はない。
「・「慶應義塾志木高新聞」百年祭記念号への寄稿」…『三田評論』2008年11月号「特集 学塾の歩みを記録する」の巻頭随筆「丘の上」に、私が「「慶應義塾志木高新聞」百年祭記念号」という文章を「寄稿」していた。そこには、慶應義塾が創立百年を迎えた1958(昭和33)年、私は志木高の2年生で新聞部の編集長だったので、11月14日「百年祭記念号」を出し、「義塾百年のクライマックス」“慶應の新しい出発点”という大見出しを立てたことを書いていたのだった。
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