軽武装・経済重視の「吉田路線」、世界情勢で続く ― 2025/08/29 07:13
米国の占領政策の新方針「NSC13/2」が採択されたのは、第1次吉田茂内閣の退陣後で、米国主導のGHQはソ連との対立が深まり、主権回復前に、日本を米国にひきつけておく思惑があった。 首相に返り咲いた吉田はすんなり従う。 緊縮財政や税制改正を進め、朝鮮戦争を機にマッカーサーの指示を受け自衛隊の前身である警察予備隊を発足させる一方、主権回復後も米軍の駐留を継続させると申し出た。 吉田が採ったこのような軽武装・経済重視政策はのちに「吉田路線」と呼ばれ、戦後日本の基軸とみなされてきた。 しかし、吉田はそれを当初、連合国との講和と独立に向けたステップと考えていた。 回顧録に「占領の主たる責任者が米国である以上、平和条約起草の主たる責任者が米国となる。負けっぷりのよい日本を理解し、同情的である米国によって強力に代弁してもらう以外に、講和を有利に導く方法はなかった。」
ケナンは「日本が米国に依存するのは米国にとっても望ましくない」と考えていた。 1954年に訪米した吉田に、アイゼンハワー政権のダレス国務長官も「日本は積極的努力が足りない。日本も敗戦後の虚脱を脱し、新生の東洋の一大国として世界の安寧秩序に貢献する大きな役割があるはずだ」と指摘した。 だが、日本の軽武装・経済重視政策は、冷戦の深まりによって長引く。
米国は、「東西対立」の正面である欧州と違い、日本には東アジアで共産主義の浸透を防ぐ経済成長と、保守の安定政権を望んだ。 日本も朝鮮戦争による特需と休戦を経て、米国の軍事力と市場に頼る平和と経済成長が続き、結果的に「吉田路線」が定着した。 そして、戦争で何百万人という犠牲者を出し、貧しい暮らしに耐えてきた国民も、多くはそれを受け入れた。
軽武装・経済重視で対米貿易黒字を積み上げる日本に対し、米国で「不公平だ」「安保ただ乗り」という批判が高まったのは、1970~80年代だった。 90年代初めのバブル崩壊、少子高齢化の加速で、日本は停滞期に入る。 一方、冷戦の終結とソ連の崩壊後に米中の対立が深まり、ロシアも復権した。 日本は「吉田路線」に代わる新しい軸を見いだせないまま、米国の要求に応じつつ依存を続けた。 依存と自立のジレンマを抱えながらも、同盟関係に大きな不安を感じる場面はなかった。
しかし今、「貿易や安全保障で日本につけ込まれて来た」と80年代から訴えてきたトランプ大統領の政権が再来し、「米国の後退」を「脅し」に使って、米国の国益に貢献するよう迫っている。 日本はどう向き合うべきか。 マッカーサーによって民主化されたといわれる日本、その実質を自らの手で確かなものにしてきたのか。 米国が揺らぐ中で、それを保つことができるのか。 トランプ氏の存在はこの国に重い問いを投げかけている。(藤田直央編集委員、ミルウォーキー=青山直篤記者)
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