川崎勝さん訳、馬場辰猪の小説『悔悟―封建日本の物語―』 ― 2026/01/26 07:14
『福澤諭吉年鑑 52』2025年(福澤諭吉協会)で、川崎勝さん翻訳の馬場辰猪の英文短編小説『悔悟―封建日本の物語―』と、ヘレン・ボールハチェット慶應義塾大学名誉教授の「川崎先生の『悔悟』翻訳について」を読んだ。
馬場辰猪歿後125年にあたる2013年秋に、1882(明治15)年、1884(17)年、1885(18)年の「馬場辰猪日記」と、“K’waigo or Repentance:A Story of Feudal Japan”(「悔悟」)が、三菱史料館の岩崎久弥の遺品の中から発見された。
そして杉山伸也・川崎勝編『馬場辰猪 日記と遺稿』(慶應義塾大学出版会・2015年)が刊行された。 そこには新発見の「日記」と「悔悟」(英文)、日記の記述から馬場辰猪筆と判明した『朝野新聞』の無署名論説「史論」を中心として、馬場の最後の投書「日本の内閣(The Japanese Cabinet)」その他の史料に、それぞれに詳しい解題を付し、全面的に改稿した「年譜」、杉山伸也さんの書き下ろし「馬場辰猪伝」で構成されている。
杉山伸也・川崎勝編『馬場辰猪 日記と遺稿』、「馬場辰猪伝」、馬場辰猪作の幕末維新物語「悔悟」については、2016年の7月に当日記にいろいろ書いていた。
杉山伸也・川崎勝編『馬場辰猪 日記と遺稿』<小人閑居日記 2016.7.9.>
啓蒙、自由民権の時代から、渡米決意へ<小人閑居日記 2016.7.10.>
「外からの改革」と馬場辰猪の客死<小人閑居日記 2016.7.11.>
「史論」、帰納法を用いた人民の歴史<小人閑居日記 2016.7.12.>
馬場辰猪作の幕末維新物語「悔悟」<小人閑居日記 2016.7.13.>
「悔悟」の意味するもの<小人閑居日記 2016.7.14.>
馬場孤蝶の言う「訳語の不足」<小人閑居日記 2016.7.15.>
川崎勝さんは昨年6月10日に亡くなり、杉山伸也さんは昨年9月2日に亡くなった。
川崎勝さんとは、2009年11月福澤諭吉協会の中津・小倉・下関・萩の旅でご夫妻とご一緒して以来、協会の会合でお会いすると挨拶をしていた。 3月22日の総会に千鶴夫人の押す車椅子でいらっしゃっていたのが、最後だったか。
その旅行では、春帆楼で贅沢な「ふくづくし」の昼食をして、隣の日清講和記念館を見学。 日清戦争の明治28(1895)年春、伊藤博文と李鴻章が交渉し11か条の講和条約(「下関条約」)を結んだ場所だ。 前日、川崎勝さん(一泊の参加)に見てくるようにいわれた李鴻章の座った位置、李鴻章の道も見る。 日本側は、目の前の関門海峡に軍艦を通過させて威嚇したらしい。 狙撃事件後の李鴻章は、大通りを避け、山沿いの小径を往復したそうだ。
関門海峡を見はるかす壇の浦、みもすそ川公園には長州藩が四カ国連合艦隊を砲撃した八十斤カノン砲のレプリカが並んでいた。 ヘレン・ボールハチェットさんが百円玉を入れると、発射音が三回轟き、砲身から煙(蒸気)も出ることを発見、みんなで楽しんだ。
馬場辰猪歿後125年にあたる2013年秋に、1882(明治15)年、1884(17)年、1885(18)年の「馬場辰猪日記」と、“K’waigo or Repentance:A Story of Feudal Japan”(「悔悟」)が、三菱史料館の岩崎久弥の遺品の中から発見された。
そして杉山伸也・川崎勝編『馬場辰猪 日記と遺稿』(慶應義塾大学出版会・2015年)が刊行された。 そこには新発見の「日記」と「悔悟」(英文)、日記の記述から馬場辰猪筆と判明した『朝野新聞』の無署名論説「史論」を中心として、馬場の最後の投書「日本の内閣(The Japanese Cabinet)」その他の史料に、それぞれに詳しい解題を付し、全面的に改稿した「年譜」、杉山伸也さんの書き下ろし「馬場辰猪伝」で構成されている。
杉山伸也・川崎勝編『馬場辰猪 日記と遺稿』、「馬場辰猪伝」、馬場辰猪作の幕末維新物語「悔悟」については、2016年の7月に当日記にいろいろ書いていた。
杉山伸也・川崎勝編『馬場辰猪 日記と遺稿』<小人閑居日記 2016.7.9.>
啓蒙、自由民権の時代から、渡米決意へ<小人閑居日記 2016.7.10.>
「外からの改革」と馬場辰猪の客死<小人閑居日記 2016.7.11.>
「史論」、帰納法を用いた人民の歴史<小人閑居日記 2016.7.12.>
馬場辰猪作の幕末維新物語「悔悟」<小人閑居日記 2016.7.13.>
「悔悟」の意味するもの<小人閑居日記 2016.7.14.>
馬場孤蝶の言う「訳語の不足」<小人閑居日記 2016.7.15.>
川崎勝さんは昨年6月10日に亡くなり、杉山伸也さんは昨年9月2日に亡くなった。
川崎勝さんとは、2009年11月福澤諭吉協会の中津・小倉・下関・萩の旅でご夫妻とご一緒して以来、協会の会合でお会いすると挨拶をしていた。 3月22日の総会に千鶴夫人の押す車椅子でいらっしゃっていたのが、最後だったか。
その旅行では、春帆楼で贅沢な「ふくづくし」の昼食をして、隣の日清講和記念館を見学。 日清戦争の明治28(1895)年春、伊藤博文と李鴻章が交渉し11か条の講和条約(「下関条約」)を結んだ場所だ。 前日、川崎勝さん(一泊の参加)に見てくるようにいわれた李鴻章の座った位置、李鴻章の道も見る。 日本側は、目の前の関門海峡に軍艦を通過させて威嚇したらしい。 狙撃事件後の李鴻章は、大通りを避け、山沿いの小径を往復したそうだ。
関門海峡を見はるかす壇の浦、みもすそ川公園には長州藩が四カ国連合艦隊を砲撃した八十斤カノン砲のレプリカが並んでいた。 ヘレン・ボールハチェットさんが百円玉を入れると、発射音が三回轟き、砲身から煙(蒸気)も出ることを発見、みんなで楽しんだ。
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